昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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北海道旅行No.20 利尻島「寝熊の岩」「龍神の岩」碑文の由来

2010年09月13日 | 北海道の旅
7/16 北海道旅行3日目 11:07「仙法志御崎公園」を出発、島の南西部にある「寝熊の岩・人面岩」を目指しました。

鴛泊を13:10出発のフェリーで礼文島へ渡る予定で、鴛泊港近くのレンタカーの返却まで残り1時間に迫ってきました。



「寝熊の岩・人面岩」のすぐ南に「北のいつくしま弁天宮」がありました。

海岸近くに黒々した巨岩があり、その上に赤い祠が建てられています。

この辺りの海岸は、道路の脇に小高い斜面が続く地形です。



南端近くの「仙法志御崎公園」から赤丸印の「寝熊の岩・人面岩」を目指して行きました。

「北のいつくしま弁天宮」や、「寝熊の岩・人面岩」は、海岸沿いの道路脇に並んでいます。

時間に余裕がなく「利尻町立博物館」の見学は中止しました。



路肩に車を止めて海に突き出した参道を進んで行きました。

赤い鳥居の手前に「北のいつくしま弁天宮」と書かれた丸木の看板があります。

■赤い鳥居の左手に案内板があり、祠の建つ大岩の由来が書かれているようです。
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 「龍神の岩」由来
 昔から古老の話によれば、大正の初期、ある日暮時、大沢より地鳴りをたてて下りて来る何物かがあり、それがこの大岩で消えたと伝えられ当時は吉凶何れかのお告げとして誰もが黙して語らず、
ある時、通りかかった修行者が、この大岩に祠を建てて信仰するよう宣して立ち去ったと云う。
 ここに、昭和五十四年北のいつくしま弁天宮の標識を建立、はじめて龍神の岩が広く世間に知られるところとなった。
 昭和五十五年元総理大臣三木武夫先生の揮毫による「龍神の岩」の碑を、
利尻町観光連盟が建立し、北のいつくしま弁天宮の守護神として一層信仰を深めるようになった。
  利尻町観光協会
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巨岩の上に立つ小さな祠です。

しめ縄の真白な紙垂[しで]が、赤い祠にくっきりと映えて神聖さを引き立てているようです。

祠の右手には、黒い石碑が建てられ、「龍神の岩」と、「三木武夫」の文字が刻まれていました。

案内板の説明では「元総理大臣三木武夫先生の揮毫[きごう]」とあり、筆の文字をそのまま石に刻んでいるようです。

徳島県出身の元総理大臣三木武夫氏が、利尻島の地域信仰「龍神の岩」に関わっているとは、ちょっと意外でした。



「龍神の岩」から北にある「寝熊の岩・人面岩」を見た景色です。

手前に黒く突き出した岩の先が「寝熊の岩」で、道路から一段下りた場所に展望台と、白い案内板が見えます。

向こうの黒い岩の上の中央付近に突出た部分が「人面岩」のようです。



道路から「寝熊の岩」の展望台と、海に横たわる「寝熊の岩」を見下ろした景色です。

「寝熊の岩」の看板と、その横に案内板があり、写真まで備え付けられています。



展望台の案内板の右手に「穴澗 寝熊の岩碑 松浦周太郎」と刻まれた石碑がありました。

「寝熊の岩」の案内板ではこの石碑は、「運輸大臣 松浦周太郎先生来島の際揮毫[きごう]」とあります。

調べてみると松浦周太郎氏は、地元選出の代議士で、当時は三木武夫氏(元総理大臣)が率いる派閥に属していたようです。

その後、三木内閣が終わった1976年(昭和51)に政界を引退、秘書の川田正則氏に地盤を引き継いだものと思われます。

後継の川田氏は、三木氏が「龍神の岩碑」を書いた1980年(昭和55)に再選を果たしており、これらの碑文は、自民党三木派人脈と利尻町との関係を記す歴史資料でもあるようです。

■展望台に「穴澗 寝熊の岩碑」の案内板があり、その説明文です。
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穴澗 寝熊の岩碑の由来
 この碑は昭和四十年五月二日時の運輸大臣 松浦周太郎先生来島の際揮毫されたものを、当地産の自然石に刻み建立したものであります。
 昔、この地に先住民族住居跡と伝えられる大穴澗があったが、道路工事のため埋没し、現在寝熊の岩だけが残っている。
 又付近には地区住民信仰篤き弁天宮があり、この碑の由来を託し永く後世に伝えるものである。
  碑文
穴澗 寝熊の岩
 運輸大臣 松浦周太郎
昭和四十年八月吉日建立
 利尻町観光協会
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「寝熊の岩」です。

岩の先端が「頭」で、上に突出た四角い部分が「耳」で、伏せている姿なのでしょうか。

何となく顔や体を横にして、手前に足を出しているようにも見えますが・・・。

上の案内板に「・・先住民族住居跡と伝えられる大穴澗があった・・」とあり、気になる一節です。

「大穴澗」とは、この海岸にあった大きな洞窟という意味でしょうか。

何かの資料で、極寒の地、宗谷では冬にアイヌの人々が洞窟で越冬したことが書かれていましたが、同様のものなのでしょうか・・・。



展望台に「寝熊の岩」の写真がありました。

「この岩のどこが熊なの?」と言いたいような写真に見えます。

実物の岩を見て感じたことが、この写真でかく乱され、まったく判らなくなってしまいました。



「寝熊の岩」の上の展望台から北の「人面岩」を見た景色です。

「人面岩」には綱が巻かれ、ハチマキをした頭に見えてきます。

周囲の岩場にはたくさんのカモメがとまり、白い糞が黒い岩の各所に見えます。



ズームで撮った写真に岩を見て感じた顔の部分を記してみました。

少し上を向き、右の横顔を見せているように見えます。



「寝熊の岩」の上の展望台にあった「人面岩」の写真です。

見る人によって顔の部分が違うようですが、これも利尻火山が創った芸術作品といえるのかも知れません。



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