昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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北海道旅行No.25 礼文島「桃岩展望台」からの絶景

2010年09月23日 | 北海道の旅
7/16 北海道旅行3日目 13:50頃、礼文島の香深港FTへ到着、14:00過ぎ港近くでレンタカーを借りて出発です。

早朝に稚内を出発、利尻島の観光を終え、まだ日が高い礼文島での観光がスタートしました。



14:15頃、「桃岩展望台」の駐車場へ到着、夢のような利尻山の景色が見えてきました。

中腹にかかる雲が、利尻山の神々しさを演出しているようです。



駐車場の脇に「桃岩付近に咲く高山植物」と書かれた案内板がありました。

レブンアツモリソウ、レブンウスユキソウも名を連ねています。

■案内板の説明文です。
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桃岩付近に咲く高山植物
桃岩一帯は、礼文島の代表的なお花畑です。美しい高山植物が短い夏に一斉に咲き乱れ私達の心に感動を与えてくれます。また学術的にも希少価値の高いもので、昭和34年に北海道文化財の指定区域になっております。植物等を採集すると罰せられますので、皆さんの温かい心で大切に保護しましょう。
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■花の案内板の脇に、桃岩付近でおこったアイヌの戦いが紹介された案内板がありました。
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アイヌ戦争 桃岩物語
 今から約三百年前日高東部蝦夷と日高の国沙流の酋長オニビシとの間に漁猟場奮争に因を発し、これに当時アイヌに対する松前藩の失政と和人の抑圧が更に原因を誘発して、南の島原の乱につぐ北の大乱として天下を騒がせたシャクシャイン事件が起こった。
 当時、アイヌ軍の勢力はすざましく、各地で交易船を襲い多数の和人を殺害し一時は松前藩も危なくなったが、奸計によってシャクシャインが討たれてから叛乱は、ようやく鎮圧された。
 だが、すべて平定されていた訳ではなかった。このシャクシャインに組して和人二十有余人を殺した磯谷アイヌ五十~六十人がルイシン(利尻)に押し渡り皆殺しにするというのを利尻のアイヌが助けを求め三十両の賞金を出してやってことなきを得たが、磯谷アイヌは、この余勢をかって礼文にも押し入ってシャクニンコタンを制圧した。これを知った強族香深井アイヌ一族の酋長ワカインは次の襲来を予期して一族を結集、この磯谷アイヌを先制攻撃することになった。
 香深井アイヌ軍は、地勢をよく知っているので、カフカイ川上流より峰を辿って背後より尺忍の拠点を討たんと軍を進めた。一方磯谷アイヌ軍も、これを察知して防戦、拠点を桃岩付近に置きここにたてこもった。
 桃岩付近で両軍必死の抗戦を続けたが、精悍勇壮な香深井アイヌ軍は遂にこれを攻め寄せてこの天敵を討った。この時、松前藩との和睦のため余市に行っていた宗谷アイヌ酋長セクランケと利尻アイヌ酋長ムシモンヘリンが帰って仲裁に入り今後は理由の如何を問わず、島に渡島しないことなどの条件で一物も得ず、残党だけは釈放され、島内は再び平和に復したと言う。
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江戸時代初期、アイヌが蜂起した歴史的事件「シャクシャインの戦い」にまつわる事件だったようです。

磯谷アイヌは、北海道南西部の蘭越町[らんこしちょう]辺りの人達で、和人との接触が多い地区だけに和人への反感が特に強かったものと思われます。

反面、接触が少なかったためか、宗谷地区や、道東地区のアイヌは蜂起に参加せず、利尻島では、交易相手の和人を助命するため磯谷アイヌへ三十両もの大金を負担をしたようです。

この「桃岩物語」は、アイヌ同士の戦いですが、時代に苦悩する人々の物語でもあったのかも知れません。



利尻島と、礼文島周辺の地図です。

利尻島の鴛泊港から礼文島の香深港へ渡り、さっそく島南部の観光を始めました。

「花の礼文島」といわれる島の景色は、南東方向にそびえる利尻山の景色が重なり、一層美しさが増すようです。

「礼文岳」の南に「カフカイ」の名が見えます。

アイヌ戦争の「香深井アイヌ」は、香深港から北へ約5Kmにある集落の人達だったと思われます。



礼文島の香深港から桃岩付近の地図です。

今回は、トレッキングコース「桃岩コース」の内、③桃岩展望台の駐車場から④桃岩展望台までの景色を紹介します。

桃岩展望台の駐車場まで車で走った道は、とりあえず①香深港から島の西岸へ向う途中の「桃岩トンネル」を目指します。

さらに「桃岩トンネル」の数百メートル手前から右に分岐し、トンネルの上の山を通る道を上って来ました。

香深港の北にアイヌ戦争の香深井アイヌ軍の地「カフカイ(香深井)」の名が見えます。

又、「香深港FT」の南に「尺忍」の地名があり、「磯谷アイヌ」が制圧した「シャクニンコタン」の集落と思われます。



「桃岩展望台」へ上る坂道のそばに白い大きな「エゾニュウ」の花が咲いていました。

今回の北海道旅行で、よく似た白い花を各地で見ましたが、なかなか見分けがつきません。

花の下の白い花びらのようなもの見えますが、開花前には白い大きなツボミの袋だったものです。

トレッキングコースの左手には利尻山のある素敵な景色が続きます。



「桃岩展望台」へ上る坂道は、天国の様な景色で、感動しながら歩いたのを今でも思い出します。

草原には「イブキトラノオ」の可愛いピンクの花が群生しています。

白い花もある「イブキトラノオ」は、「伊吹虎の尾」とも書くようで、この可愛いピンクの花には何とも気の毒な名前です。



白い「エゾニュウ」の花が咲き乱れる「桃岩展望台」への坂道から北東の方向を見下ろした景色です。

赤い屋根のある駐車場から続く坂道を上って来る人が見えていました。

桃岩から下るこの一帯で「アイヌ戦争 桃岩物語」の壮絶な戦いがあったのでしょうか。



14:30頃「桃岩展望台」に到着、奥には「桃岩」の案内板がありました。

案内板の向こうに「桃岩」が見えていますが、てっぺんが少しデコボコで、桃の形ではありません。

ここ東側から見る「桃岩」は、桃の形には見えないようです。

■案内板の説明文です。
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桃岩
 桃岩は、礼文島の地層では比較的新しい時代にできたもので、地下のマグマが地表部を押し上げ冷やされながら球状の巨大な岩体に成長したものです。表面にはタマネギの皮のような球状節理(板状節理)が取り巻き、表面のはがれ落ちた内部には、表面よりゆっくりと冷えていく速度の違いから柱のような柱状節理が見えます。
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「桃岩展望台」から見下ろすと、断崖の下に島の西海岸が見えてきました。

駐車場の向こうには、海岸に突出た「桃台猫台展望台」があります。

向こうの海の中には背中を丸めて座っているような猫岩が見えています。



海岸近くの「桃台猫台展望台」から見た南西方向からの「桃岩」です。

桃の形をした巨大な岩山がそびえ、裏から見る姿とは全く違います。

「桃岩」の右手の断崖の上が、「桃岩展望台」です。



トレッキングコースを進み、南東方向から見た「桃岩」です。

桃の上の尖った部分も見えています。

「桃岩」は、見る角度でまったく違う姿でした。



正面の道は、「桃岩展望台」から南に向かう桃岩コースです。

桃岩コースは、ここから「元地灯台」まで約60分、更にそこから礼文島南端付近の「知床」まで40分かかるようです。

この写真は、帰りの16:00頃に撮ったもので、利尻山にかかる雲が大きく減っているのが分かります。