光山鉄道管理局・アーカイブス

鉄道模型・レイアウトについて工作・増備・思うことなどをば。
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日本型Nゲージの50年と思い出から・103系編

2015-06-21 08:00:21 | 車輌・電車
 昭和39年版の「模型と工作・鉄道模型ガイドブック」から50年前の16番モデル工作とそれ以降のNモデルの思い出を語るある意味支離滅裂な企画(汗)
 今回は103系電車から。

 103系と言うと今でこそ国電を代表するかつてのスターと言うステイタスでノスタルジーの代表格のひとつですが、本書の出た当時は101系の後継としてバリバリの新型車でした。

 16番の記事では「例によってよく言えばスカッとさわやか悪く言えば大ざっぱな工作ですが」と筆者が謙遜しておられますが切妻のノーシルノーヘッダのボディは下手にゴテゴテとディテーリングするよりは特徴をスパッと捉えた造形の方が向いている気がします。

 実はこの103系も機関士の親類がトレーラーながら2両ほど自作していた事があります。
 恐らくこの製作記事に忠実に作ったものと思いますが、これ又窓は普通の板ガラス使用(!)塗装はラッカーの筆塗りという手作り風ながら全体にクリーンな感じがしていた事が印象に残っています。
 例によって実物が処分されているので写真などをお見せする事が出来ないのが残念ですが。

 ただ、その103系ですが山手線の初期の101系のそれをイメージしたのか色はカナリア色を想定していたようです。
 作り手のイメージがそうだったのか、他の色がなかったのかは今となっては分からないのですが塗装は肌色に近いトーンでした。これが不思議と103系の印象によく合っていた記憶があります。

 それからこの記事とは直接関係ありませんが似た様な時期に確かカツミか天賞堂あたりでしたか「台車を買うとおまけに103系のペーパーボディが付いてくる」なんてサービスをやっていた事がありますし昭和50年代初頭には中村精密がプラボディで103系を出した事もあります。してみると16番の世界にあっても103系は人気者だったという事でしょうか。

 その103系ですがNゲージでは関水金属が最初の電車モデルとして昭和42年頃にリリースしています。
 カプラーが初期のドローバーからアーノルドになったり、動力自体も2,3回モデルチェンジしてはいる物のボディそのものは初登場から殆ど変わらないまま50年近く作られ続け、今でも「KOKUDENセット」として容易に入手可能なロングセラーです。
 KOKUDENセットなどは動力込みで鉄コレのセットよりも安価になった位でその息の長さには驚かされます。

 それほどのロングセラーでありながら私の中では「103系=東京」のイメージが強かったために地方都市風のレイアウトを志向する私のイメージに合わず殆ど増備されていませんでした。
 数が急に増えたのは昨年の「ジャンクの玉手箱」にこの103系が大量に入っていたからとも言えます。

 しかも103系をイメージづける山手線カラーはこの期に及んでいまだ1両もなかったりします。



 昭和50年代に入るとGMのATC仕様のクハ103が「KATOと組み合わせて使う」ためだけに登場したりGMのキットが出てからエンドウが「GMのキットメイク品」を自社ブランドで出したりして103系も結構賑やかになりました。
 後にはしなのマイクロが初の金属ボディで地下鉄乗り入れ仕様の1000番台、1200番台をモデル化しています。