今回はメインブログで10月3にtにに上げた記事の再録です。
10月3日に因んで「103系の日」を勝手にでっち上げて思い出話に浸ろうという安直なネタです。
私が昭和44年頃に初めて上京した時、当時の山手線の主役は103系でした。
あの頃はカラフルな通勤電車というのがとにかく珍しかったですから当時走っていた4色すべてを制覇するという意気込みでしたが、山手線と京浜東北線、中央線と総武線は基本的に並進しているので最小限の乗り換えで実行可能でした。
しかも色が違うというだけで、車内の構造はほぼ同一でしたし、満員電車のベンチシートでは外の風景などなかなか見られないですから、今思えば不毛な試みではあります(笑)
私が現住地に住み着いた頃までが国電において103系が目立っていた時期といえましょう。
その時期でさえ中央線は201系がメインになっていましたし。
ですから私の脳内では「103系=大都会の通勤電車の象徴」というイメージがすっかり固まってしまい、地方都市の設定のうちのレイアウトではなかなか103系は入線しませんでした。
その風向きが変わったのはここ数年くらいの事です。
昭和の時代のNゲージャーの放出品と思しき「ジャンクの玉手箱」みたいな出物をバザーやら奥やらで発掘していた時期、それらにかなりの確率で関水金属の103系が複数編成で入っていた事から「ある日突然103系天国が出現した」ような状態になりました。
また、それとは別に第一線から引退した103系が短編成化されて地方へ転出するケースも増え、これも103系の増備に影響しています。
かつては「大都会でないと見られない電車」だった103系ですが、ある時期から「レイアウト向けの短編成が増えた」事で急に親しみが出てきたという感じでしょうか。
(派生車種として1M仕様で2連でも運用できる105系が登場した事もその傾向に拍車をかけていますw)
ただ、そうなっても未だに馴染めないのが「ウグイス色の山手線カラー」でして、どうしても山手線のイメージがついて回るせいか山手線仕様の103系だけはうちにはひと編成もありません。
(そのくせ外観があまり変わらない仙石線の73系アコモ車は在籍しているのですが)
10月3日に因んで「103系の日」を勝手にでっち上げて思い出話に浸ろうという安直なネタです。
私が昭和44年頃に初めて上京した時、当時の山手線の主役は103系でした。
あの頃はカラフルな通勤電車というのがとにかく珍しかったですから当時走っていた4色すべてを制覇するという意気込みでしたが、山手線と京浜東北線、中央線と総武線は基本的に並進しているので最小限の乗り換えで実行可能でした。
しかも色が違うというだけで、車内の構造はほぼ同一でしたし、満員電車のベンチシートでは外の風景などなかなか見られないですから、今思えば不毛な試みではあります(笑)
私が現住地に住み着いた頃までが国電において103系が目立っていた時期といえましょう。
その時期でさえ中央線は201系がメインになっていましたし。
ですから私の脳内では「103系=大都会の通勤電車の象徴」というイメージがすっかり固まってしまい、地方都市の設定のうちのレイアウトではなかなか103系は入線しませんでした。
その風向きが変わったのはここ数年くらいの事です。
昭和の時代のNゲージャーの放出品と思しき「ジャンクの玉手箱」みたいな出物をバザーやら奥やらで発掘していた時期、それらにかなりの確率で関水金属の103系が複数編成で入っていた事から「ある日突然103系天国が出現した」ような状態になりました。
また、それとは別に第一線から引退した103系が短編成化されて地方へ転出するケースも増え、これも103系の増備に影響しています。
かつては「大都会でないと見られない電車」だった103系ですが、ある時期から「レイアウト向けの短編成が増えた」事で急に親しみが出てきたという感じでしょうか。
(派生車種として1M仕様で2連でも運用できる105系が登場した事もその傾向に拍車をかけていますw)
ただ、そうなっても未だに馴染めないのが「ウグイス色の山手線カラー」でして、どうしても山手線のイメージがついて回るせいか山手線仕様の103系だけはうちにはひと編成もありません。
(そのくせ外観があまり変わらない仙石線の73系アコモ車は在籍しているのですが)