高江雅人  竹工芸職人の独り言  竹工房オンセ

高江雅人  竹工芸を初めて37年、徒然なる出来事をアップしています。

ミラノ通信 9

2007年11月22日 22時25分00秒 | 海外事業展開グループ

此処から、電話回線に雑音が入りブログのアップが出来なくなった。此処からは後日日本に帰国してからアップした物です。

1121_040 1122日   昨日は10時前に寝付いたのに目が覚めたら6時過ぎであった。久しぶりに朝までゆっくり寝た。やはり疲れているのだろう。窓から外を眺めてみると どんよりと薄暗い、これが普段のイタリアの11月なのだろう。風呂に入って少しゆっくりする。8時に朝食を、やはり、朝食もミラノのホテルより種類も多く、暖かい目玉焼きやベーコン、ハムなどもある。何故かヤクルトもある。食堂も広く、回りを見回してみると34組の日本人がいる。

外は小雨が降っている。当初の予定では、今日もう一度ベェネツィア観光をして、その中でもガラス細工の島、ムラーノ島に行って見るつもりであったが、雨のため変更した。1455分発のユーロスターを予約していたが、11時台出発の便に変える事にした。しかし、日本の場合と違って言葉が通じない。まず、駅の時刻表を見に行って、自分で1135分発のユーロスター9442便を確認した。そのメモを持って切符売り場へ、日本語で「11時台の電車に変更して!」と言えればこんな手間を掛けなくても良いのだが、簡単な言葉でもガイドブックに載ったままなら良いのだが、ちょっと違うセンテンスが入ると話せない。なるべく、相手から返事が帰ってこなくても良い様にしてから窓口に行かなくては?等と考える。「ジス チケット クッジュー チェンジ? プリーズ」と言ってニッコリ笑いながら1135分のメモを見せた。さすがに直ぐに判ったらしく変更してくれた。良かった!良かった!

11時前までブログの文章を書き上げ電話線でアップする。やはり時間がかかる。もたもたしているうちに悦子のいらいらしてくる様子が伝わってくる。「日本と違ってチェックアウトもスムーズには進まないので、もう少し時間の余裕を持って!」と目が言っている。

まー、しかし、充分な余裕を持って駅のホームに行ってみると1135分発のユーロスターは6番線と掲示板に出ているので、行って見ると、まだ、1050分発のユーロスターが停まっている。一事が万事、イタリア時間だ。12時頃に7番線に私達の載る1135分発のユーロスターが入ってきた。早速、乗り込むと何と先発する筈の1050分発の電車より先に出発した。何と大らかな!何といい加減な!時間に几帳面な日本人からは考えられない。よく、外国人が日本に来ると、まずびっくりするのが、鉄道の正確さだそうだ。時間もそうだが、ホームに停まる位置が30センチと狂わないのは信じられないそうだ。

1123_62 フィレンツェに着く前にJALから貰ったホテルの予約票でホテルの場所を確かめようと地図を広げる。しかし、JALの予約票の地図はホテルの四方100mしか載っていない。ホテルの住所、電話番号は書いてあるが、イタリア語が解らない我々が電話する事も出来ず困ってしまった。この予約票は現地の人には判っても日本人旅行者には大変不親切な物だ。JALはもう少し、最寄の何々駅より、徒歩何分とか?タクシーを利用するとか?書くべきである。結局、3枚の地図を広げてホテルの前の通りを探すのだが、判らないままフィレンツェに着いてしまった。駅のインフォメーションで聞こうと思ったが、インフォメーションすらない。仕方なく、タクシーに乗って運転手に住所を見せ、やっとホテルに到着。一方通行ばかりなのでグルグル回って10ユーロほど取られた。ホテルに着いてホテルの人にホテルの場所を地図に書き込んで貰ったら、何と駅から歩いて23分の所であった。事前に日本にいる時にインターネットで調べたら、ベェネツィアのホテルプラザとローマのセンターホテルはサイトがあったので、場所とホテルの情報を大体把握していた。このフィレンツェのアスコットホテルだけ何も出てこなかった。それも、ホテルに着いて納得。ネットに載せる様なホテルではない。以前、行った事のあるボリビアやペルーのホテルを思い出した。ホテルは古く、ドアや窓も古びた木製で、お風呂もバスタブは無い、シャワーだけが辛うじて付いている、シャワーを使うとトイレ中ベタベタになる。チェックインの時も荷物運びがいる訳でなく、重いスーツケースを自分で運び、チキン宿の上級番といった感じだ。でも、フィレンツェの街を歩いてみると、どのホテルもこんな程度だ。何百年前からの建物に内装だけを何度も何度も手直ししながら今日に至っている。まー、それが歴史なのだろう。

1122_018_215時過ぎに街に繰り出した。イタリアでも特に有名なフィレンツェのドォーモに行って見た。ミラノのドォーモとはまた違った面立ちがあり、見る物を圧倒する迫力がある。ドォーモの右にジェットの鐘楼がある。ガイドブックによると、高さ106m、400段の階段を登って屋上に出る事が出来る。意を決して挑戦。106mといえば日本でも30階建てのビルくらいの高さである。これを一気に登るのだ。途中で息が切れる。巾1mも無いような狭い螺旋階段を登っていると目が回ってくる。息を切らせてやっと頂上に登ってみると、1122_028 四方にフィレンツェの茶褐色の町々が広がり絵の様な風景が広がる。此処まで、フーフー言って登った甲斐があった。丁度、その頃から小雨が降ってきた。ドォーモに登るので相当汗をかいた事もあり、着替えのため一度ホテルに戻った。

夜、19時半ころ、夜の街を見てみようとホテルを出る。もう19時を過ぎると何処のお店も閉店の準備をしている。夕食はアルノ川側のトラッテリア・アルマンドというレストランへ、此処はミラノでお世話になった菅沼さんお奨めの店で、落ち着いた雰囲気と観光客はほとんど居らず、地元の人がゆっくり食事をする所のようだ。壁面には、1122_049 このお店に来たと思われるオペラ歌手などの写真がサイン入りで一面に飾ってある。物腰の柔らかい御主人が対応してくれた。注文は赤ワインとガス無しのお水、ワインの銘柄は判らないので、こんな時役に立つのが日本から持ってきた「旅の指差し会話帳」である。簡単なマンガにイタリア語と日本語がかいてあるのだ。言いたい事を指差せば大体コミニュケーションが取れるという優れものである。この時も「Che cosa mi consiglia?

Vino rosso」(あなたのお奨めは?という会話を指差し、その後に赤ワインと言う。そうするとご主人が「Ventoso」という地元のワインを薦めてくれた。料理も生ハム、スパゲッティ、ラム肉のステーキと指差して注文。どれも美味しかった。ワインを1本空け、ブラリブラリとホテルに戻って来た。

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ミラノ通信8

2007年11月22日 19時06分29秒 | 海外事業展開グループ

1121日(水) 一昨日、昨晩と毎日打ち上げの料理ばかりでさすがに少し太ってしまった様な気がする。朝、体重計に乗ってみると一昨日より2キロも太っている。此れは少し節制しなくては!

1121_017 今日でミラノともお別れである。私達夫婦だけが他のメンバーと別れてヴェネツィアに移動する。朝起きて、スーツケースの中に荷物をまとめ移動の準備をするが、どうしてもスーツケースに荷物が収まらない。それもそのはず、実演の作品を「送料が勿体無いから!」という事で、手荷物で持って行く事になったため、大きなダンボールが一つ増えてしまった。竹篭なので軽いのだがかさ張る。まだ、これからヴェネツィア、フィレンツェ、ローマとスーツケースを押しながら移動しなくてはならない。申し訳なかったが、手荷物で!と言い出した浜名さんに持って帰ってもらう様お願いした。彼女は嫌な顔一つせず、「ハイ、解りました」と受け取ってくれた。すみません!

ミラノ中央駅に出て、850分のヴェネツィア行き特急に乗り込む、ヨーロッパの鉄道は日本の鉄道より断然安い。1等車は幅広い椅子とパソコンが使えるようにコンセントつきのテーブルまで付いている。ミラノ市外へ出ると日本と同じような農村風景が広がる。

ミラノから2時間半でベェネツィアに付く、私達は最終駅一歩手前のメストレ駅前のホテルを取っていたようだ。これは電車の中でガイドブックをつぶさに見ていた悦子が見つけた。私はベニスと言えばサンタルチア駅まで行く物と思い込んでいたので助かった。思いスーツケースを持って駅の階段を上り下りするのは男でも結構大変なので悦子にはきつかったろう?浜名さんには申し訳なかったが、実演の荷物が無くなった事は非常に助かった。

駅前のプラザホテルにチェックイン、11時半なのに部屋に入ることが出来た。フロントの対応も非常に親切で、昨日までのミラノのメディウラヌムホテルより数段上のホテルなのだろう。部屋の広さも広く、バスルームも奇麗だ。ミラノのホテルは水の排水が悪く、お風呂もぬるいお湯が少量しか出なかったが、ここは日本と同じように勢い良くお湯が出る。値段もこちらが1泊2人で15000円、ミラノが1泊2人で20000円だった事を考えると断然ベェネツィアのホテルプラザが良い、此処はお奨めのホテルである。ホテルに荷物を置き、もう一度電車に乗ってサンタルチア駅に向かった。

1121_044 隣の駅なので5分くらいで付いてしまう。駅から出ると直ぐに水上バスの乗り合い所になっている。世界でも類を見ない水の上に作られた都市、ベェネツィア。最盛期の15世紀には15万人ほどの人が住んでいたと言うから、今の別府市より大きな都市だ。凄い!水上バスに乗って市の中心地、「サン・マルコ広場」に遣って来た。気分は完全にお上りさんだ。見る物すべてが珍しく、特にドゥカーレ宮殿の中は当時のアドリア海の覇者、ベェネツィア国を象徴する展示品で溢れていた。50m×25mのヨーロッパでも最大級の会議室で国の法律や政治を議論したそうだ。しかし、これほどの栄華を誇ったベェネツィアも「諸行無常の響きあり」と衰退していったのだ。

1121_066 ドゥカーレ宮殿の横にベニスを一望できる鐘楼がある。エレベーターで上がれるので入ってみた。ベニスの街は茶褐色に統一されていて、上から見るとおもちゃの町並みを見ているようで美しい。エレベーター番のおっさんが無愛想にブーたれた顔をしていた。その横のサン・マルコ寺院を見学した後、ベニス一番の目抜き通り(他の街にあるような大きな道でなく、巾3mから4mくらいの道の両側にブランド店、土産物店、絵画屋、レストランなどがずーと続く) 私達も色彩豊かなイタリアセーターを買い、次男シンラにはベェネツィアチームのラグビーボウルを見つけ買い込んだ。街の中は細い道と運河が迷路のようになっており、何処をどう歩いているのか?解らなくなる。しかし、ブラリブラリと夫婦で時間も目的を気にすることなく歩いているのなんて、17年前の新婚旅行以来である。

1121_088 17時を過ぎる頃にはもうすっかり暗くなっている。私達も最寄の水上バスの停留所からバスに乗ろうとするのだが、全員が家路に帰ろうと駅方面に向かうバスは相当込み合っている。何とか1台やり過ごして、2dai目に乗り込むことが出来た。少し寒かったが、舟に揺られながらベニスの家々を見るのも楽しかった。途中、何箇所かバス停によるのだが、乗り切れなかったおばさんが舟の乗務員に向かって猛烈に文句を言っている。目を剥いて、少し空いているところを指差して、きっと「何で乗せないのか?あそこに空いている所があるじゃないか!もっと詰めさせなさい!あんたはバカだ!」と言っていた、と思う。(推測だが)何しろイタリア人は大声で文句を言う。言った者勝ちなのだろう。それで旨く行ったら儲け物という国民性なのだろう。電車に乗っても水上バスに乗っても駅でもみんな携帯電話で大きな声で話している。日本人が無言で携帯メールを打っているのと同じなのかも?知れない。寂しがり屋のイタリア人は一日中大きな声で喋っている。その他、ショッピングしていてびっくりするのが店のメインウィンドウに女性の下着を履かせたマネキンがいたる所にある。慣れない私達は思わず恥ずかしくなる。しかし、こちらでは下着は美しい物であって、隠す物ではない様だ。

サンタルチア駅からメヌスト駅へ電車に乗る。一駅なのでどの電車に乗っても良いのだろうが、時間は18時20分、掲示板を見てみると、まだ、17時57分発の電車がいる。それに走り込んで乗ったのだがなかなか動かない。時刻通り発車しなくても誰も文句を言わない。これも文化の違いか?20分ほど待ってようやく動き出した。今日は歩き疲れたのと今までの疲れが出てきたのか眠たい。イタリア料理にも少し飽きが来たので、久しぶりに駅前のマクドナルドでハンバーガーとチキンナゲットをテイクアウト。ホテルの部屋に戻り、缶ビールで乾杯したら10時前には寝てしまった。

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ミラノ通信7

2007年11月22日 07時26分00秒 | 海外事業展開グループ

1120日(火)

1120_005 昨日でほぼ今回の目的は終了、今日は展示会の作品を返送できるように荷造りと後片付け。朝8時にホテルロビーに集合、8時半から片付けに掛かる、大体普段でも準備より片付けの法が早くなる物である。全員でテキパキと片付けていく。11時にはすべての作業を終了してしまった。

15時に荷物の集荷のトラックが来るので、それまで各自がフリーの時間を!私は悦子とギャラリー近くのブレラ美術館へ、ルネサンス時代のイタリア絵画で有名な所である。元々がイエズス会の施設を美術館にしたらしく宗教画がほとんどである。美術館を出た後、スカラ座の前を通り、ガレリア通りへ。1120_012

長男クルムから頼まれていたジーンズを買いにHMへ、買い物をした後ブラブラして14時半にギャラリーに戻って来た。もう、集荷のトラックは来ており無事出荷することが出来た。この仕事を終えて、県職員の浜名さんもやっと肩の荷を降ろす事が出来た。後はパグマーニーのお守りだけだ。(パグマーニーとは、油布さんは昌孝という名前で、別府にいるときはみんなからマー兄ぃと呼ばれている。それと犬のパグに少し似ている事から、イタリアのアルマーニーに掛けて、パグマーニーとみんなが冗談で言っていた、特に大橋君が)

荷物を出荷した後、手荷物を置きに一旦ホテルへ、今日最後のミラノの夜を楽しむ事になる。

それと、今日一つトラブルが起きた。朝からレンタルの携帯電話がずっと圏外である。あまりにもその状態が続くのでドコモの海外ローミングサービスに電話してみた。20分ほど、あれや此れやと言われるままに遣ってみるが一向に使えるようにならない。海外でこうなると何か心細い面と、もう日本から連絡が入らなくなるので、諦めがつく面と両方だ!

1120_0_7 夜、1930分、ドォーモ前に集合、ミラノ在住の菅沼さんの案内でイタリアのお魚料理を食べにいった。市電に乗り、結構離れたところまで来たような気がする。シャレたレストランでやはり此処も観光客などは来ない、地元の人しか知らない穴場なのだろう。生牡蠣、カジキ、サーモン、エビ、イカ、などの生魚、それにイカ墨、ウニ、さば等のパスタ、ビールにワインで最後の晩餐だ。さすがにみんな疲れが溜まっているのだろう、大仕事を終えた安堵感と疲れで卓人などは食事をしながら眠っている。みんな、お疲れ様。ホテルに戻りシャワーも浴びずにバタンキュー!

竹工房オンセ

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