高江雅人  竹工芸職人の独り言  竹工房オンセ

高江雅人  竹工芸を初めて37年、徒然なる出来事をアップしています。

ミラノチーム集合!

2008年12月12日 10時00分40秒 | 海外事業展開グループ

昨日は1年前に海外事業展開グループとして、ミラノで展示会をしたチームがほぼ勢揃い。別府からは油布さん、大橋君、浜名さんの3名、臼杵から毛利一家が全員参加の5名、あと私達夫婦の総勢10名。京都の楓ちゃん、東京の那須さんはメッセージで参加である。

1211_0351_2 やはり、共通体験をした仲間。第1回目のヨーロッパ視察旅行の時や、ミラノでの出来事で話が弾む。油布さんがエッフェル塔の下で漏らしそうになった事や、迷子になった事など、面白いエピソードには必ず油布さんが絡んでいる。

久しぶりの大人数での食事なので、悦子が腕に拠りを掛けて料理を作った。1211_0291 1211_0281

テーブルに所狭しと並べられた料理と飲み物、最後に空瓶を数えてみたら、飲み手が8人で(二人は運転手で飲めない)ワインが7本に焼酎が1本空いていた。

7時から始まり、お開きにしたのは、もう12時前になっていた。飲んで騒いで、実に楽しい時間であった。全員がミラノに向けて、一つのことをやり遂げた集まりだからこそ、気持ちが一つに成れたんだね。

また、集まりましょう!

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予行演習?

2008年12月11日 05時26分49秒 | 海外事業展開グループ

先日、用事があって、「竹工芸訓練支援センター」に行って来た。其処の職員である浜名さんと話していると、ひょこり大橋君がやって来た。「ミラノの展示会から、もう一年経つんだよね!」「じゃあ今度、油布さんを呼んで家で一杯やろうか?」と話が簡単に決まった。

当初は、別府に住む、油布・大橋・浜名の3人を呼んで、こじんまりと食事でも一緒にしようか?と思っていたのだ。もう一人のメンバーの毛利さんは、私のところから地理的に離れており、高速を使っても1時間半くらいかかるのだ。だが、「ミラノのメンバーが揃うのに、一応、声をかけてみよう」と言う事で電話してみると、「家族5人で行くわ!」と返事が来た。毛利さんの家族は全員がヨーロッパ視察の時や、展示会の時に参加しているのだ。

話が段々大げさになってきた。

「それじゃー、通訳の楓子にも声を掛けよう」と思ったのだが、さすがに京都に住む楓子を呼び出す訳にはいかない。そこで、「楓子のお父さん(私の30年来の親友の恵文さん)のソーセージやハムを参加させよう」と注文した。

本日、注文した荷物が届いたので開けてみると、山の様に沢山のソーセージに、特大のベーコンの塊、トントロスモーク、蒸し豚、ミートソース、パウンドケーキと注文の5倍くらいの品物が送られてきた。「恵文ちゃん、ありがとう」。それにそれに、楓子からのメッセージが添えられていた。これは、ちゃんと乾杯の時に詠ませて貰います。

1211_0071 あまりにも、美味しそうなので、今日は予行演習ということで、早速、蒸し豚を切って、イタリアワインを開けて、いただきまーす。

そうか、後、参加していないのはミラノ在住の村山さんは無理にしても、東京の那須さんには連絡だけしてみよう。http://blog.goo.ne.jp/takae_1/d/20071128   

http://blog.goo.ne.jp/takae_1/d/20071129

どんどん、話は大げさに大げさになって行く。大変なのは、料理を作る悦子である。「いつも、すみません!」 こんな事になっても気持ち良く、楽しんでやってくれている悦子に感謝である。  

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種まき、

2008年05月23日 08時33分33秒 | 海外事業展開グループ

昨年、ミラノでの展示会を終え、3年がかりで準備し、コツコツと積み上げた成果を出す事が出来た。多くの方から、「その後どうなるの?何か、良い仕事になりました?」などと聞かれるが、そう簡単に新しい仕事が増えるわけではない。

2月に新宿伊勢丹での「大九州展」で別府竹細工として、ひとブース頂き、ミラノで発表した作品を見ていただいた。その時、油布さんの作品を見ていた伊勢丹の上層部が感動して、「是非、特選売り場で遣って貰いたい!」とオファーが来た。新宿伊勢丹の特選売り場といえば、デパートの中でも最高の売り場である。このお話も、ミラノでの展示会をしたお陰で、結びついてきた話だ。今回、良い結果が出せれば、毎年、特選売り場で「別府竹細工」を表現する新しい展開につながる事になる。

また、イタリア在住のデザイナーから、プレートの中に入れるデザインの依頼が舞い込んできた。まだ、どんな展開になるか?未知数であるが、ミラノに行った事で小さな小さな波紋が広がって行くような感触がある。今、種まきしておかなければ、将来実る事は無い。途中で枯れてダメになってしまう種も沢山あるのだろうが、一つでも育って実る事があれば良いのだ。「一粒万倍」。

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送別会

2008年02月29日 20時49分00秒 | 海外事業展開グループ

20080228183743 伊勢丹から帰った翌日、ジェトロ大分の奈須さんの送別会があった。彼女は大分に3年半在任し、丁度私たちが海外事業展開グループを発足した当初から、丸々関わってきた。まるで、私たちをイタリアに行かせる為に大分に居たみたいだ。今回のイタリア行きには、随分とジェトロのメニューを使って、金銭的にも情報、事前広報、市場調査など多方面に渡って助けていただいた。ジェトロとしてではなく、彼女の物怖じしない飄々とした性格のお陰で、テレビ局まで巻き込んだり、県知事の後押しが出来たり、ずいぶんと巾が広がったものだ。

20080228224318 送別会のメンバーはミラノにいった4人(油布さん、毛利さん、大橋君、私)と県職から浜名さん、K谷さん、それに毛利さんの奥さんのむっちゃんと私の妻の悦子の全員で9人。18時から始まった送別会も23時頃まで、5時間近く、この3年間の中身が濃かったのか?尽きる事無く、話に花が咲いた。繰り返すようだが、今回のミラノまでの道のりは決して簡単に楽に辿り着けるものではなかった。コツコツと小さな積み重ね、時間、労力、お金、多大なる回りのサポート、そして、4人で呼び込んだ運。みんなで積み上げたミラノ展示会であった。彼女を送り出す会で、自分たちも「本当にやって良かった!良く、此処まで来たよな!」と自分たちを励ます会でもあった。

達成感の後に、次への目標の気持ちも少し芽生えてきた。これまで、ミラノから帰った後に必ず「次は何時するんですか?」と聞かれるたびに、「そんなに簡単に出来るもんじゃ無いワイ。」と、心の中で反発していたが、やっと、新しい芽生えが出来るようになって来たのかな?ひょっとして、次回はアメリカで?また、少しずつ積み重ねていきますか?

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新宿伊勢丹  4

2008年02月26日 09時25分08秒 | 海外事業展開グループ

昨日のチェーンメールのお陰で、本来書かなくてはいけなかった記事を今日アップします。無事、伊勢丹での「大九州展」も終了しました。最初は客足が悪く、売り上げが心配されたのですが、結局1週間終ってみると、多くのリピーターや新規のお客様で例年通りで終えることが出来ました。さすが、伊勢丹本店ですね!

今回の九州展での一番の話題は、隣のブースに出店した「ミラノの仲間」、大橋君、油布さんの二人であろう。

226_007 独特の作風でこの人しか出来ない「荒物籠」もうこれは籠ではなく、オブジェですね。重厚感と圧倒的な存在感、作者はちょっと見た目、アンコールワットの露天で見かける様な風貌だが、無骨の中に、ちょっとハニカンデ笑うと恵もいえぬ可愛らしさが漂う油布さん。

竹割り包丁だけで、何でも作り上げていく、お洒落な菓子楊枝や髪飾りをいとも簡単に作っていく。道行く人が、思わず引き込まれていくのが面白い。デパートの社員や上層部の間でも、油布さんの作品は相当な話題になっていた。

226_022 表現すると爽やかな風」こんな言葉が浮かんでくる大橋君。彼の誠実な人柄はお客様にも伝わっているのだろう、みんな、優しそうな顔になって彼の実演を見ている。回りの出店業者全員が彼のことを「ナイスガイ」と言っているように、仲間から見ても、気持ちの良い応援したくなる人柄である。

今回の出店に当たっても、「リスクを背負ってでも、挑戦してみよう」とやって来た。製作する側からだけの見方でなく、使う側、買う側の立場に立って、物を見ることが出来たと思う。これからの彼の作品に大きな影響を与える経験になったようだ。買って頂くための見せ方、相手に購買意欲を湧かせる作品とは何だろう?と、

お陰様で、上々の成績も残して始めての物産展催事を終えることが出来ました。また、機会があれば、一緒に出店しましょう。

226_003

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春一番

2008年02月24日 09時26分34秒 | 海外事業展開グループ

224_005昨日は日本中で「春一番」の大風が吹いていた。その、春一番に乗って、別府から油布さんがやって来た。実演台に座ると、ピタリと決まる。座った姿で大体その人のキャリアの様なものが判るものである。竹割り包丁を持って、淡々と箸置きや楊枝を作る。時たま、通りがかりのお客様に「ほれ!」と言ってその作ったばかりの楊枝を差し出す、無骨な表情だが、「ニッ」と笑った顔は愛らしい。224_003

油布さんの作品は荒々しい独特の世界を作り出している。見る人すべてが驚いていく、吸い付けられていくと表現したら良いのか?

この日も、油布さんの作品の魔力に引き付けられてお客様がお買い上げ下さった。アメリカ人の方だと思われるのだが、「良い買い物をしたと!」ととても喜んでいたのが印象的であった。

夜は油布さんを囲んで、いつものメンバーで楽しい飲み会になりました。今回の出張は初日から毎日、飲み続けているので、せっかく続けているダイエットも春一番と一緒に吹き飛んでしまった。また、帰ってから元のペースに戻さなくては!

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新宿伊勢丹  1

2008年02月21日 08時15分00秒 | 海外事業展開グループ

20日から、新宿伊勢丹での「大九州展」が始まった。今回、私のブースの横に、昨年ミラノに一緒に行った「大橋」さんに出てもらい、「別府竹細工」として新しいブースを作っていただいた。彼も、こういった催事での展開は初めてで、戸惑っている。普段は自分の工房で製作をしていることがほとんどなので、今回の物産催事で経験することが、良い経験になるのでは?

221_002 実に真面目な好青年である。彼の場合はお客様受けも良く、営業も充分こなしていけるであろう。初日、二日目と戸惑いながら、実演販売と緊張してやっているのが伝わってくる。爽やか!彼を一言で表すとこの言葉がピッタリである。一生懸命、製作実演をしながら、ちょいと見た目は歌舞伎役者にしても良いような趣がある。この、ひたむきな真面目さを隣のブースの「福衛門窯」の福ちゃんと、鍋島絨毯の田中に「爪の垢」を煎じて飲ませてあげたい。

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ミラノDVD

2007年12月30日 05時56分00秒 | 海外事業展開グループ

お知らせ!!

1222_001 先日、放映されたOBS開局55周年記念特別番組

「竹の芸術、ミラノへ」の放送を見た方から沢山の励ましや激励、お褒めの言葉を頂きました。私自身、竹細工を知っていただく上でも大変良い番組に作って頂いたと喜んでいます。そこで、「この番組を見たい!」という方は私のアドレスに 件名の所に「ミラノDVD希望」と書いてメールを下さい。最近実に、しょうも無い迷惑メールが多いので件名にこの「ミラノDVD希望」と書いてないと削除してしまう可能性があります。

アドレスは takae@cronos.ocn.ne.jp  です。本文に送り先の住所・氏名を書いてください。正月休みにDVDに焼いてメール便で送ります。(無料)で先着30名まで!

ブログの書き込みで申し込んでいただくと個人情報が判ってしまいますから!

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テレビ放映されました!

2007年12月23日 08時28分22秒 | 海外事業展開グループ

12月22日(土)午後3時から、OBS開局55周年記念特別番組として「竹の芸術、ミラノへ」サブタイトル「海外進出目指す4人の竹工芸家」という題で1時間番組として放映されました。

1222_006 どんな番組になったのか?自分自身も興味を持って見させて頂いた。手前味噌で言う訳ではないが非常に良く構成された良い番組になっていた。冒頭に油布さんが黒い背景の中でかっこよく「四海波花篭」を編む映像から始まる。この「四海波」と「4人の竹工芸家」を引っ掛けて番組は始まって行く。最初から「ほー!」。ナレーションも大げさになる事は無く、たんたんと4人の背景を説明していく、40年前の竹細工で始めて人間国宝になった「生野祥雲斎」の映像が出たり、現在の別府竹細工の現状などを織り込み、巾の広い番組になっている。4人の持ち味を偏ることなく淡々と追っているナレーションには好感が持てる。シャープな映像でカメラマンの左藤君の感性の良さが現われている。

1222_001_2 番組の中で随所に出てくる「四海波花篭」。この花篭は江戸時代に作られた籠であるが、これほどシンプルで息の長い作品は無いと思う。完成されている究極の作品である。16本の竹ヒゴを使って、慣れたものであれば5分で作ることが出来る。初めて竹に触れる人にも指導をしてあげれば20分ほどで作り上げることが出来る。それも、一切の道具を使わないで、出来上がったものは旨く作れば、素人もプロもほとんど変わらない様な見栄えになる。四方に波がうねった様子が表現され、力強い花篭になる。また、紙を引いて、小物入れにしたり、イタリアではキャンディボックスにしたりと用途にも広がりがある。本数を増やしたり、長さを変えれば直系1メートル以上のオブジェにもなる。これほど、竹の弾力と柔らかさと力強さを表現でき、誰にでも作ることが出来るように昇華された作品は無い。300年以上経った今でも充分通用するデザイン性といい、本当に究極に完成された篭である。

この番組を見て、後に続く若い竹細工職人達への刺激になれば幸いである。竹職人は包丁1本で何処へ行ってもパフォーマンスできる。自分の持った技術の可能性を信じて、竹細工を続けて欲しいと切に思うものである。特に30代の大橋君が番組の中で小さな子供を抱えた家族のモデルケースのような形で紹介されている。現実の生活に追われながらも、将来の自分に投資している姿はとても共感を呼び、参考になると思う。若き竹職人へのエールとしてこの番組を見て頂きたい。

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ミラノ通信 その後1

2007年12月11日 17時38分21秒 | 海外事業展開グループ

1118_089 京都から実に楽しい手紙が届いた。そう、一緒にミラノに行った。恵文さんの娘「楓子」からだ。手紙を読みながら、思わずニンマリニンマリしてしまう。文面から、彼女の顔が、仕草が、話し方が、全部伝わってくるのだ。

ひょんな切っ掛けで、思わず知らず訳の判らないおっさん、おばさん達の通訳をする事になり、当人は随分しんどかったのでは?無かっただろうか?と心配していたのだが。でも、大した娘だ。私が20歳の時の事を考えたら、本当にしっかりした娘だ。「恵文さん、あんたは良い娘を持ったよ!この娘は自慢できますよ!」

21日まで、ミラノで我々の通訳をしてくれて、その後は彼女が留学していたサルデーニャ島に向かったそうだ。久しぶりに会った家族達、手紙を読んでいるとその後の楓ちゃんらしいエピソードが満載で、本当に楽しく読ませてもらいました。良かったね、楽しい思い出がいっぱい出来て!

ミラノの余韻を楽しみながら、最近やっと時差ボケが直ってきた所です。大分地方ではこのミラノの展示会の事をNHKやOBSのニュースで頻繁に取り上げられていますし、大分の新聞ではシリーズものとして何回も掲載されているので、買い物など何処に行っても「こないだニュースで見たよ!とか新聞に載ってな!」と声を掛けられる。

ブログを借りて報告しておきますが、大分地方では12月22日(土)、午後3時から1時間物の特別番組でOBS放送で放映されます。時間がある方は見て下さい。来年1月には30分番組で九州地方全域に放送されます。運が良ければ、全国放送にエントリーまでは決まっていますが、放送されるかどうか?は今の所未定です。全国のこのブログファン1000万人の方には放送が決まりましたら報告します。なんちゃって!

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ジェトロの取材

2007年12月09日 08時44分53秒 | 海外事業展開グループ

127 朝早く、まだ、霜が道の両脇に残っている時間に「ジェトロ」の奈須さんが「レトロ」な車に乗ってやって来た。(あー、親父ジャグ!)今時、珍しく、もう20年くらい経つのではないか?と思われるクラウンに乗って遣って来た、まだ、20代の若い娘が運転していると、逆にカッコいい。

今回の取材は、普段ジェトロが支援する海外事業というのは、ある程度規模もあり、海外ビジネスとして数字や結果が出しやすい支援しかやっていない。そんな中、今回のミラノでの展示会は今までジェトロには無い、支援の方向性がある。小さいながら自分の色で、自分の方向で、海外に向けて発信している事への取材である。でも、考えてみると、企業規模も体力もある大手の企業は別に支援することも無く自分たちで充分出来ると思う。かえって、私達の様な、小さいけれど世界に誇れる技術や希少性がある会社こそ、支援して貰いたいのだ。トヨタが売り上げ何兆円上げようが、海外でどんな展示会をしようが我々には、あまりピンと来ないが、自分と規模もそれほど変わらない会社が、自分たちの知恵と汗でジェトロのサポートを受けて、こんな事が出来た。と言うほうが良く判るし、励みになる。

元々、頭の回転の良い娘だ。私の話す、あちらこちらに飛ぶ話を旨くまとめてくれるだろう。一緒に同行していたのは、先日までサンプランシスコに住んでいて、日本の骨董品などをアメリカ内外に販売していたお店に勤めていた「M」さん。現在は故郷、別府で充電中である。

今回のミラノ展示会を開くことにより、それを切っ掛けに知り合った方もたくさんいる。先日も海外向けのCD,DVDをネット販売している社長さんがミラノ展示会の事を知り、是非、彼のサイトで販売できないか?とオファーが来ている。どんなことでも、まず、水面に水を投げかけないと波紋は広がらない。まず、無駄と思えるような事でも取り掛かって見るべきですな。

私達は今回のミラノまでの道のりを作るに当たり、本当に様々なノウハウが蓄積できたし、いろんな人と関わりが出来た、自分の中にも一つづつパズルを組み合わせるように自信が出来てくる。そんな事を取材していってくれたのでは?

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打ち上げ!

2007年12月06日 11時37分34秒 | 海外事業展開グループ

昨日はイタリア・ミラノの展示会の事を県知事に報告。県庁の応接室でメンバー4人と浜名、奈須の合計6人、回りには県職員や新聞記者、テレビ局2局と結構な人数である。知事はざっくばらんな人なので、普段どおりの報告を代表で大橋君がしてくれた。大分県にとっても、竹細工は県を代表する工芸品であるし、これからも発展できるよう県の方からもサポートを続けて頂きたい旨、申し込んだ。

夜になって、ミラノ行きのメンバー全員で打ち上げである。「よく、ほんとに此処まで来れたよね?」と言うのが素直な気持ちである。大仕事を成し遂げた安堵感と、みんなで積み上げて来た共通体験からくる仲間意識がある。今回のミラノ展示会が大成功に終えることが出来た要因として、自分なりに考えてみると

1.自分たちが主体者として出来た事。 見本市や日本を広める催事などでジェトロブースなどに乗っかって展示会をすることも出来たが、会場選びから、飾りつけ、広告、ポスターなど自分たちの身の丈にあった。自分たちの展示会が出来たということ。受身で参加しているのと、自分たちで作り上げていると感じれるのとでは、全然違った物であったろう。

2.メンバー4人が作品的に人間的に信頼できたこと。 これも4人で積み上げて来た楽しさがあった。この中に一人でも、まがい物や人間的に信頼できない者が混じっていると、今回のような展示会には出来なかった。4人とも、小さいと言えども 作者であり、経営者である。4人が作風もキャラクターも被ることなく、お互いが尊重しあえた事が大きい。

3.現地、ミラノにアテンダーがいた事。私達だけでは現地の細かい情報や事前調査、または事前の広報活動、人脈などを広げることは出来なかった。特に、見本市などに乗っかるのでなく、自前で展示会を開こうとした時は現地にアテンダーがいるか?いないか?で成否は決まるであろう。

4.竹工芸訓練支援センターとジェトロのサポート無くては、此処まで来ることはできなかった。最初に「自分たちの手で!」と書いたのだが、主体者は我々であっても、サポートが実に大切であった。浜名さん、奈須さんの細かい所までのフォローが無ければ途中で空中分解していたことは明白である。

20071205213023 そんな事を思いながら、みんなで打ち上げ。同じ体験をしてきた者通しの共有感。ビールをワインを焼酎を飲みながら、時間の経つのも忘れて楽しんだ。ミラノ行きメンバーの他に一人、県職員の「K谷」さんが参加、彼は浜名さんの前任者でこの「海外事業展開グループ」の立ち上がりに関わった人だ。人を焚きつけるだけ焚き付けて、本人は転勤で移動。しかし、今日もミラノに行ったメンバーよりミラノの事を知っているような話し振りであった。「みんな、こいつの話にその気にされられるんだ!」と全員で納得。人を知らない間に引きずり込んで行く話術の持ち主である。

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ミラノ通信16

2007年11月29日 06時19分00秒 | 海外事業展開グループ

メンバー紹介2

11270_004Hamanati Naomi  (ハマナッチ・ナオミ、浜名直美 3?歳)

大分県、竹工芸訓練支援センターの職員。今回の海外事業展開グループに最初からサポートで入ってくれた。公私共に会の運営をサポートしてくれた人だ。真面目でこの人が居なかったら、恐らくこの会は存続していなかっただろう。しかし、真面目すぎて画鋲1本まで表を作っているのではないか?と思われるほど、融通が利かない部分もある。

ミラノ滞在中は小学生の引率の先生の如く、油布さんを叱り、全体から逸れない様いつも注意している。我々、4職人が自分勝手にどんどん話を進めていく中、対外的な交渉の下準備はすべてハマナッチにお任せ。3年越しで本当に良く遣ってくれました。

1114_004 Nasusurecyo Keiko  (ナススレッチョ・ケイコ、奈須桂子 2?歳)

ジェトロ大分職員。彼女も3年間海外展開グループをサポートして来てくれた。ジェトロの滞在任期は大体3年と言われているので、ほぼ、大分在任中は我々の仕事に関わってくれた事になる。現代っ子で悪びれた所が無い。英語が堪能なのでスイスイと何処へでも、自分のペースで入り込んでいく。今回も、彼女の通訳で随分助けてもらった。会場でも、ある程度は英語で通じる人には彼女に通訳してもらった。ジェトロミラノ事務所への応援やジェトロの事前広報活動のお陰で、空前絶後の展示会になった。

彼女の物怖じしない性格のお陰で、OBS放送の特番が組まれたり、NHKのニュースになったりと会全体が巾広い活動になった。

1114_011 Hiroko Murano (ヒロコ・ムラーノ、村山裕子 3?)

ミラノ在住のファッションデザイナー。現地での会のサポート、プロデュースを担当してくれた。県職員ハマナッチの大学の同級生という関係から今回のサポートをお願いした。3年前、ミラノに初めて来た時はミラノでの通訳として案内をしてくれたのだが、展示会会場がミラノに決まったことから、現地でのアテンドなど彼女の存在が実に大きくなった。

今回の展示会がこれほど大盛況に終ることが出来たのは、彼女の功績に寄る所が非常に大きい。事前のギャラリーオーナーとの細かい折衝や広報活動なくして、今回の開催は無かったであろう。

私の彼女の印象は2回目に来た時のタクシー運転手との遣り取りが瞼に焼き付いて離れない。額にピキペキピキと血管を浮き立たせて、運転手に食って掛かっていた光景は忘れられない。交渉事はこの人に任せるべきだ。

1126_076 Etukoba takae (エツコーバ・タカエ、高江悦子 4?歳)

言わずと知れた私の妻である。今までは子供の送り迎えに束縛される12年間を送っていたが、今年二人の息子が寮生活に入り、初めて長期外泊が許される身となった。前回、私とパリに行った時は次男坊のシンラが水疱瘡に掛かっており、結局パリのホテルで缶詰状態であった。

今回、メンバーとも初対面の人ばかりで最初は少々面食らっていたが、段々とペースをつかんで来た。私の影となり日向となりサポートしてくれている最愛の妻である。今回、他のメンバーと別れた後は、二人でゆっくりとイタリア旅行を兼ねた仕事が出来て良かった!

1115_084 Takudobannni Morikone (タクトバンニ・モーリコーネ、毛利拓斗 25歳)

毛利さんの長男坊、今回が海外ツアー初参加。アパレル関係の仕事についていたが現在は家業を手伝っている。私にも二人の息子がいるので、「どうして家業に付いたの?」と聞いてみると「仕事の上での、お父さんを尊敬している。」と、こう思える本人が素直なのか?親父が凄いのか?こんな言葉を聞くと嬉しくなるね。最後の方は慣れない海外旅行で付かれきっていたのか、食事をしながら眠りこけていた姿が忘れられない。

このまま、真っ直ぐ育ってくださいネ。

1119_174 Hayotto Morikone (ハヤット・モーリコーネ、毛利隼斗 23歳)

毛利さんの次男坊、まだまだ幼さが残る新成人だ。街を散策中、お母さんからの電話に「ママからだ!」と言っていたのが思い出される。この子も実に素直に育っている。お母さんの愛情をよほど注ぎ込まれているのだろう。愛くるしい表情が万人を引き寄せる。

今回の旅で、父親以外の職人とも接する事ができ、新たな広がりを感じたかも知れない。兄弟仲良く、家業をついで行くなんて素晴らしいことですナ。頑張って下さい。

1119_165 Sonko Puko (ソンコ・プーコ、孫楓子 20歳)

今回、たまたま父親の親友がミラノで個展をすると飲み話に出たときに、本人は考えもしない方向に世の中は回りだした。結局、半年後には訳の判らない竹細工のおっさん達に囲まれて、会期中引っ張りまわされる。しかし、世の中にはいろんな人種がいる事を知る事となる。

もともと、父親譲りのちょっとひねた所はそっくりでツッパテいる。それがエネルギーになり、今日の楓子を作り出している。あなたのお爺さん、お婆さんにも縁もゆかりもある大分に初めて関係を持てたのだから、この機会を大切にして下さい。それにしても、しっかりし過ぎな20歳、飲むと何処でも寝てしまうのもお父さんソックリである。

竹工房オンセ

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ミラノ通信15

2007年11月28日 06時14分00秒 | 海外事業展開グループ

メンバー紹介1

1115_225 Jigeomi Ohashi (ジゲオーミ・オーハシ、大橋重臣 34歳)

海外事業展開グループの代表、今回のミラノ展示会での代表者である。メンバーの中では一番若く、これからの別府竹細工を背負っていく人物である。実に真っ直ぐに誠実な人柄は誰にでも好かれる。私達もいつの間にか若手と呼ばれていた時期から、もう大橋君達、次の世代に何を残せるのか?と考えさせられる年になって来た。爽やかな人柄は作品にも表れている。素材を大切にした実用品をメインに今回ミラノ用に可愛い試験管を使った花入れが好評であった。同世代の職人にも人望があり、若手を纏めて大きな展示物やオブジェ製作も手がけている。最近オープンしたばかりのペニンシュラホテルのスイートルームにも彼が手掛けた内装が施されている。

今回は、若くフットワークも軽いことから、ある意味雑用も多い会の代表を押し付けられてしまったが、嫌な顔一つせず、対外的な窓口になってくれた人である。

1119_022 Pagumami Yuhu (パグマーニ・ユフ、油布昌孝 67歳)

別府竹製品協同組合理事長の肩書きを持つ、今回のグループのお神輿的存在だ。竹を始めて55年、力強く無法則、カオスの様な作風はそのまま、人柄を表している。日本に居ようが、ミラノに居ようが、変わることは無い。世界に完全無二の作品はまさしく油布ワールドである。今回もあちら、こちらで伝説を残している。

会を始める頃はあまり海外展開に興味は無かったが、理事長と言う立場から、仕方なしに参加していた。しかし、会が進むにつれて、一番自分の作品を評価される中から、「自分の再発見、ルネサンス」出来たのは油布さんではないだろうか?「世界の何処へ行っても、竹と包丁1本あれば、遣っていける!」と改めて、この人の野性味溢れる魅力を再認識させられた。日本人学校での竹細工教室での出来事は我々にもカルチャーショックであった。

1115_163 Tathuno Morikone  (タツーノ・モーリコーネ、毛利達男 53)

今回の実質的、まとめ役。当人の現在の仕事はあまり、竹の製品とは関わりが薄くなっている。竹よりも「書」であったり、彼の創作の「詩」の部分である。以前よりの行きがかり上、海外展開グループに参加して、全体をまとめてくれた。特に今回は会場のレイアウトなど装飾関係の采配は彼に委ねる所が大きかった。デザイン関係は彼の普段の仕事柄、一番得意とするところだ。

彼の仕事は何時も、時代の10年先を見越している。絶えず、次の作品を次のデザインをと決して一つの事に囚われる事は無い!竹から、和紙へ、和紙から創作の詩へ、絶えず独自の世界を作って行くので、オリジナルの物を自分の値段で販売する。先駆者の大変さと醍醐味を楽しんでいる。

今回は特にミラノバージョンの金髪で登場。

1115_009 Manzoni Takae  (マンゾーニ・タカエ、高江雅人 52)

竹のハンドバッグ製作で世界に挑戦。今回の海外展開グループの最初の言いだしっぺみたいな所がある。元々のきっかけは6年前、毛利氏と「二人でニューヨークで個展をしよう」と準備していたのが今回の核になっている。大体が「出べそ」で企画外の事、ハプニングを自ら作り出してはそのスリルを楽しんで居る所がある。今までに、フランス、ドイツと展示会を重ねて来ているが、今回が規模、反応ともに最高のものになった。

特に、ミラノドォーモにおける路上パフォーマンスでは言葉の壁を越え、大きな足跡を残した。「まさか、竹細工で世界に羽ばたけるなんて?」と今でも半信半疑の部分と、「世界は一つ、何処でも生きていける!」と妙な自身を持っている。

竹工房オンセ

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ミラノ通信14

2007年11月27日 05時25分00秒 | 海外事業展開グループ

1127日(火)  長かった様な、あっという間であった様なイタリア旅行も今日が最終日である。やはり、朝早く目が覚めてしまう。普段、家にいる時は私だけこそーと起きて工房に行ってしまうので、何時に起きても良いのだが、この旅行中はホテルに妻と一緒なのであまり早く起きて電気をつけると怒られる。6時になるまではじーと我慢、我慢である。

1127_007 ホテルで12時くらいまでゆっくりして、そのままタクシーで空港に向かう予定であったが、せっかく時間があるので、昨日14時閉館で入れなかった「カラカラ浴場へ歩いて行く事にした。地図ではホテルから2kmぐらいに見えるのだが、実際は3.5kmほどあった。9時の開館と同時に入ったため、広い広い遺跡に私達二人だけだ。紀元前に作られた巨大な浴場、1600人が入浴することが出来たそうだ。今のスーパー銭湯など問題にならない。(問題にするほうが可笑しいか?)1127_038 サウナ室、あかすり室、休憩室、50m×25mもある巨大なプールとびっくりすることばかりだ。その中にポツリと妻と二人だけ、こんな贅沢な時間が持てるなんて!早起きは3文の得と言うでしょう。

1127_062 11時過ぎにホテルに戻りチェックアウト。タクシーで空港に行くはずであったが、昨日「すり」にすられた分を取り戻そうとタクシーでは中央駅までにした。中央駅からレオナルド・エキスプレス急行で空港に向かう。約50ユーロの節約だ。

レオナルド・ダ・ビンチ空港に着いて、アリタリア航空で荷物を預けチェックイン、税関を通るのだが係官が横を向いてお喋りしながら、なかなか仕事をしない。こんな所は本当にいい加減だ。

東京行きの飛行機は日本人客がほとんどで、今の時期には珍しいそうだが満席である。搭乗手続きゲートにはズラーと日本人の列。面白かったのは、その列へ、後から遅れて来た日本人のツアー客が添乗員に連れられてぜんぜん並ばずいきなりゲートに割り込んでいく。私の隣のオバサンが「こんなにみんなが並んでいるのに何よ!あれっ!文句を言ってやる。」と怒り出したが、直ぐ近くにいた人に「あれは胸に三越ツアーと書いてあるのでビジネスクラスだから仕方がないですネ、払っているお金が違うのですから!余計な事を言うと「控えおろー」と言われるスヨ。」とたしなめられていた。確かに私達エコノミークラスは飛行機代往復10万くらいのお客と、片道30万くらい払うお客様では当然待遇が違う訳だ!

機内に入り、私達の席に隣り合わせた人も日本人であった。最初はお互い遠慮して全く話をしなかったが、私達が時間つぶしに「ナンバープレート」又は「数独」をしていると、「内の主人もこれにはまっているんです」と声を掛けてきた。そこから、話が弾み、今はフィレンツェ郊外に住んでいる人で年に1回くらい日本に帰るらしい。悦子と話が弾み、イタリア事情をいろいろ教えて頂いた。ご主人の仕事の関係でもう30年以上イタリアに住んでいるらしい。日本とイタリアの文化や考え方の違い、やはり私達が感じたとおり、イタリア人て大らかで好い加減、自己主張が強くて何時も大声で話している、ユーロになって物価が高くなってしまった事‥‥‥など等。

11時間半の長時間フライトを終えて、成田到着、やっと帰って来た。悦子が「旅行に出るのも楽しいし、お家に帰るのも嬉しいな。」と、名言だ。その通り。日本に帰ってきて、まず、トイレが奇麗な事にホッとする。細かい所まで掃除が行き届き、トイレにせせらぎの音などを流すなんて事は絶対にイタリア人は考えないだろう。日本には日本の良い所がいっぱいあるのネ。成田から羽田行きのバスに乗る。ゆっくりした発進と適度な車間距離、イタリアの様な急発進、急ブレーキ、今にもぶつかりそうな、まるでレースの様な走りは無い。車に乗っていても安心感がある。羽田空港で昼食というか?夜食というか?最初に日本に帰って食べた物は私は1127_064 カレーうどんであった。頭の中に想像したとおりの味がする。今までは何を頼んでも、どんな料理が出てくるか?想像できなかったのだから。

今にも眠りそうでフラフラする中、福岡行きの飛行機に乗り換え、もう1時間半のフライト。福岡空港についてトイレに入った。ウォーム便座にウォシュレット付きの公衆トイレなんて絶対イタリアには無いぞ!感動した。

またまた、福岡空港から高速バスに乗り、運転手さんが車内アナウンスで「今日はご搭乗ありがとうございます。‥‥‥ですので、おねげェしますダ!」と、それを聞いて思わず噴出しそうになってしまった。何を見ても何を聞いても安心感で嬉しいのだろうな。

無事、帰宅したのが19時半。久しぶりに湯船に浸かり、(後半七日間はシャワーだけだったので)幸せな気分になる。体をこすると垢が出ること出ること、体もお湯に浸かって安心できたのかな。一つ、失敗があった。長期間留守にするため使わない電気のブレーカーを下ろしていったのだが、台所のブレーカーまで下ろしていたため、冷蔵庫の中のものが全部ダメになっていた。特に冷凍物のお肉や魚が嫌な臭いを放っていた。

あーそれにしても、今日もトウェンティー・フォーの様な長い長い一日だった。

竹工房オンセ

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