高江雅人  竹工芸職人の独り言  竹工房オンセ

高江雅人  竹工芸を初めて37年、徒然なる出来事をアップしています。

ミラノ通信16

2007年11月29日 06時19分00秒 | 海外事業展開グループ

メンバー紹介2

11270_004Hamanati Naomi  (ハマナッチ・ナオミ、浜名直美 3?歳)

大分県、竹工芸訓練支援センターの職員。今回の海外事業展開グループに最初からサポートで入ってくれた。公私共に会の運営をサポートしてくれた人だ。真面目でこの人が居なかったら、恐らくこの会は存続していなかっただろう。しかし、真面目すぎて画鋲1本まで表を作っているのではないか?と思われるほど、融通が利かない部分もある。

ミラノ滞在中は小学生の引率の先生の如く、油布さんを叱り、全体から逸れない様いつも注意している。我々、4職人が自分勝手にどんどん話を進めていく中、対外的な交渉の下準備はすべてハマナッチにお任せ。3年越しで本当に良く遣ってくれました。

1114_004 Nasusurecyo Keiko  (ナススレッチョ・ケイコ、奈須桂子 2?歳)

ジェトロ大分職員。彼女も3年間海外展開グループをサポートして来てくれた。ジェトロの滞在任期は大体3年と言われているので、ほぼ、大分在任中は我々の仕事に関わってくれた事になる。現代っ子で悪びれた所が無い。英語が堪能なのでスイスイと何処へでも、自分のペースで入り込んでいく。今回も、彼女の通訳で随分助けてもらった。会場でも、ある程度は英語で通じる人には彼女に通訳してもらった。ジェトロミラノ事務所への応援やジェトロの事前広報活動のお陰で、空前絶後の展示会になった。

彼女の物怖じしない性格のお陰で、OBS放送の特番が組まれたり、NHKのニュースになったりと会全体が巾広い活動になった。

1114_011 Hiroko Murano (ヒロコ・ムラーノ、村山裕子 3?)

ミラノ在住のファッションデザイナー。現地での会のサポート、プロデュースを担当してくれた。県職員ハマナッチの大学の同級生という関係から今回のサポートをお願いした。3年前、ミラノに初めて来た時はミラノでの通訳として案内をしてくれたのだが、展示会会場がミラノに決まったことから、現地でのアテンドなど彼女の存在が実に大きくなった。

今回の展示会がこれほど大盛況に終ることが出来たのは、彼女の功績に寄る所が非常に大きい。事前のギャラリーオーナーとの細かい折衝や広報活動なくして、今回の開催は無かったであろう。

私の彼女の印象は2回目に来た時のタクシー運転手との遣り取りが瞼に焼き付いて離れない。額にピキペキピキと血管を浮き立たせて、運転手に食って掛かっていた光景は忘れられない。交渉事はこの人に任せるべきだ。

1126_076 Etukoba takae (エツコーバ・タカエ、高江悦子 4?歳)

言わずと知れた私の妻である。今までは子供の送り迎えに束縛される12年間を送っていたが、今年二人の息子が寮生活に入り、初めて長期外泊が許される身となった。前回、私とパリに行った時は次男坊のシンラが水疱瘡に掛かっており、結局パリのホテルで缶詰状態であった。

今回、メンバーとも初対面の人ばかりで最初は少々面食らっていたが、段々とペースをつかんで来た。私の影となり日向となりサポートしてくれている最愛の妻である。今回、他のメンバーと別れた後は、二人でゆっくりとイタリア旅行を兼ねた仕事が出来て良かった!

1115_084 Takudobannni Morikone (タクトバンニ・モーリコーネ、毛利拓斗 25歳)

毛利さんの長男坊、今回が海外ツアー初参加。アパレル関係の仕事についていたが現在は家業を手伝っている。私にも二人の息子がいるので、「どうして家業に付いたの?」と聞いてみると「仕事の上での、お父さんを尊敬している。」と、こう思える本人が素直なのか?親父が凄いのか?こんな言葉を聞くと嬉しくなるね。最後の方は慣れない海外旅行で付かれきっていたのか、食事をしながら眠りこけていた姿が忘れられない。

このまま、真っ直ぐ育ってくださいネ。

1119_174 Hayotto Morikone (ハヤット・モーリコーネ、毛利隼斗 23歳)

毛利さんの次男坊、まだまだ幼さが残る新成人だ。街を散策中、お母さんからの電話に「ママからだ!」と言っていたのが思い出される。この子も実に素直に育っている。お母さんの愛情をよほど注ぎ込まれているのだろう。愛くるしい表情が万人を引き寄せる。

今回の旅で、父親以外の職人とも接する事ができ、新たな広がりを感じたかも知れない。兄弟仲良く、家業をついで行くなんて素晴らしいことですナ。頑張って下さい。

1119_165 Sonko Puko (ソンコ・プーコ、孫楓子 20歳)

今回、たまたま父親の親友がミラノで個展をすると飲み話に出たときに、本人は考えもしない方向に世の中は回りだした。結局、半年後には訳の判らない竹細工のおっさん達に囲まれて、会期中引っ張りまわされる。しかし、世の中にはいろんな人種がいる事を知る事となる。

もともと、父親譲りのちょっとひねた所はそっくりでツッパテいる。それがエネルギーになり、今日の楓子を作り出している。あなたのお爺さん、お婆さんにも縁もゆかりもある大分に初めて関係を持てたのだから、この機会を大切にして下さい。それにしても、しっかりし過ぎな20歳、飲むと何処でも寝てしまうのもお父さんソックリである。

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ミラノ通信15

2007年11月28日 06時14分00秒 | 海外事業展開グループ

メンバー紹介1

1115_225 Jigeomi Ohashi (ジゲオーミ・オーハシ、大橋重臣 34歳)

海外事業展開グループの代表、今回のミラノ展示会での代表者である。メンバーの中では一番若く、これからの別府竹細工を背負っていく人物である。実に真っ直ぐに誠実な人柄は誰にでも好かれる。私達もいつの間にか若手と呼ばれていた時期から、もう大橋君達、次の世代に何を残せるのか?と考えさせられる年になって来た。爽やかな人柄は作品にも表れている。素材を大切にした実用品をメインに今回ミラノ用に可愛い試験管を使った花入れが好評であった。同世代の職人にも人望があり、若手を纏めて大きな展示物やオブジェ製作も手がけている。最近オープンしたばかりのペニンシュラホテルのスイートルームにも彼が手掛けた内装が施されている。

今回は、若くフットワークも軽いことから、ある意味雑用も多い会の代表を押し付けられてしまったが、嫌な顔一つせず、対外的な窓口になってくれた人である。

1119_022 Pagumami Yuhu (パグマーニ・ユフ、油布昌孝 67歳)

別府竹製品協同組合理事長の肩書きを持つ、今回のグループのお神輿的存在だ。竹を始めて55年、力強く無法則、カオスの様な作風はそのまま、人柄を表している。日本に居ようが、ミラノに居ようが、変わることは無い。世界に完全無二の作品はまさしく油布ワールドである。今回もあちら、こちらで伝説を残している。

会を始める頃はあまり海外展開に興味は無かったが、理事長と言う立場から、仕方なしに参加していた。しかし、会が進むにつれて、一番自分の作品を評価される中から、「自分の再発見、ルネサンス」出来たのは油布さんではないだろうか?「世界の何処へ行っても、竹と包丁1本あれば、遣っていける!」と改めて、この人の野性味溢れる魅力を再認識させられた。日本人学校での竹細工教室での出来事は我々にもカルチャーショックであった。

1115_163 Tathuno Morikone  (タツーノ・モーリコーネ、毛利達男 53)

今回の実質的、まとめ役。当人の現在の仕事はあまり、竹の製品とは関わりが薄くなっている。竹よりも「書」であったり、彼の創作の「詩」の部分である。以前よりの行きがかり上、海外展開グループに参加して、全体をまとめてくれた。特に今回は会場のレイアウトなど装飾関係の采配は彼に委ねる所が大きかった。デザイン関係は彼の普段の仕事柄、一番得意とするところだ。

彼の仕事は何時も、時代の10年先を見越している。絶えず、次の作品を次のデザインをと決して一つの事に囚われる事は無い!竹から、和紙へ、和紙から創作の詩へ、絶えず独自の世界を作って行くので、オリジナルの物を自分の値段で販売する。先駆者の大変さと醍醐味を楽しんでいる。

今回は特にミラノバージョンの金髪で登場。

1115_009 Manzoni Takae  (マンゾーニ・タカエ、高江雅人 52)

竹のハンドバッグ製作で世界に挑戦。今回の海外展開グループの最初の言いだしっぺみたいな所がある。元々のきっかけは6年前、毛利氏と「二人でニューヨークで個展をしよう」と準備していたのが今回の核になっている。大体が「出べそ」で企画外の事、ハプニングを自ら作り出してはそのスリルを楽しんで居る所がある。今までに、フランス、ドイツと展示会を重ねて来ているが、今回が規模、反応ともに最高のものになった。

特に、ミラノドォーモにおける路上パフォーマンスでは言葉の壁を越え、大きな足跡を残した。「まさか、竹細工で世界に羽ばたけるなんて?」と今でも半信半疑の部分と、「世界は一つ、何処でも生きていける!」と妙な自身を持っている。

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ミラノ通信14

2007年11月27日 05時25分00秒 | 海外事業展開グループ

1127日(火)  長かった様な、あっという間であった様なイタリア旅行も今日が最終日である。やはり、朝早く目が覚めてしまう。普段、家にいる時は私だけこそーと起きて工房に行ってしまうので、何時に起きても良いのだが、この旅行中はホテルに妻と一緒なのであまり早く起きて電気をつけると怒られる。6時になるまではじーと我慢、我慢である。

1127_007 ホテルで12時くらいまでゆっくりして、そのままタクシーで空港に向かう予定であったが、せっかく時間があるので、昨日14時閉館で入れなかった「カラカラ浴場へ歩いて行く事にした。地図ではホテルから2kmぐらいに見えるのだが、実際は3.5kmほどあった。9時の開館と同時に入ったため、広い広い遺跡に私達二人だけだ。紀元前に作られた巨大な浴場、1600人が入浴することが出来たそうだ。今のスーパー銭湯など問題にならない。(問題にするほうが可笑しいか?)1127_038 サウナ室、あかすり室、休憩室、50m×25mもある巨大なプールとびっくりすることばかりだ。その中にポツリと妻と二人だけ、こんな贅沢な時間が持てるなんて!早起きは3文の得と言うでしょう。

1127_062 11時過ぎにホテルに戻りチェックアウト。タクシーで空港に行くはずであったが、昨日「すり」にすられた分を取り戻そうとタクシーでは中央駅までにした。中央駅からレオナルド・エキスプレス急行で空港に向かう。約50ユーロの節約だ。

レオナルド・ダ・ビンチ空港に着いて、アリタリア航空で荷物を預けチェックイン、税関を通るのだが係官が横を向いてお喋りしながら、なかなか仕事をしない。こんな所は本当にいい加減だ。

東京行きの飛行機は日本人客がほとんどで、今の時期には珍しいそうだが満席である。搭乗手続きゲートにはズラーと日本人の列。面白かったのは、その列へ、後から遅れて来た日本人のツアー客が添乗員に連れられてぜんぜん並ばずいきなりゲートに割り込んでいく。私の隣のオバサンが「こんなにみんなが並んでいるのに何よ!あれっ!文句を言ってやる。」と怒り出したが、直ぐ近くにいた人に「あれは胸に三越ツアーと書いてあるのでビジネスクラスだから仕方がないですネ、払っているお金が違うのですから!余計な事を言うと「控えおろー」と言われるスヨ。」とたしなめられていた。確かに私達エコノミークラスは飛行機代往復10万くらいのお客と、片道30万くらい払うお客様では当然待遇が違う訳だ!

機内に入り、私達の席に隣り合わせた人も日本人であった。最初はお互い遠慮して全く話をしなかったが、私達が時間つぶしに「ナンバープレート」又は「数独」をしていると、「内の主人もこれにはまっているんです」と声を掛けてきた。そこから、話が弾み、今はフィレンツェ郊外に住んでいる人で年に1回くらい日本に帰るらしい。悦子と話が弾み、イタリア事情をいろいろ教えて頂いた。ご主人の仕事の関係でもう30年以上イタリアに住んでいるらしい。日本とイタリアの文化や考え方の違い、やはり私達が感じたとおり、イタリア人て大らかで好い加減、自己主張が強くて何時も大声で話している、ユーロになって物価が高くなってしまった事‥‥‥など等。

11時間半の長時間フライトを終えて、成田到着、やっと帰って来た。悦子が「旅行に出るのも楽しいし、お家に帰るのも嬉しいな。」と、名言だ。その通り。日本に帰ってきて、まず、トイレが奇麗な事にホッとする。細かい所まで掃除が行き届き、トイレにせせらぎの音などを流すなんて事は絶対にイタリア人は考えないだろう。日本には日本の良い所がいっぱいあるのネ。成田から羽田行きのバスに乗る。ゆっくりした発進と適度な車間距離、イタリアの様な急発進、急ブレーキ、今にもぶつかりそうな、まるでレースの様な走りは無い。車に乗っていても安心感がある。羽田空港で昼食というか?夜食というか?最初に日本に帰って食べた物は私は1127_064 カレーうどんであった。頭の中に想像したとおりの味がする。今までは何を頼んでも、どんな料理が出てくるか?想像できなかったのだから。

今にも眠りそうでフラフラする中、福岡行きの飛行機に乗り換え、もう1時間半のフライト。福岡空港についてトイレに入った。ウォーム便座にウォシュレット付きの公衆トイレなんて絶対イタリアには無いぞ!感動した。

またまた、福岡空港から高速バスに乗り、運転手さんが車内アナウンスで「今日はご搭乗ありがとうございます。‥‥‥ですので、おねげェしますダ!」と、それを聞いて思わず噴出しそうになってしまった。何を見ても何を聞いても安心感で嬉しいのだろうな。

無事、帰宅したのが19時半。久しぶりに湯船に浸かり、(後半七日間はシャワーだけだったので)幸せな気分になる。体をこすると垢が出ること出ること、体もお湯に浸かって安心できたのかな。一つ、失敗があった。長期間留守にするため使わない電気のブレーカーを下ろしていったのだが、台所のブレーカーまで下ろしていたため、冷蔵庫の中のものが全部ダメになっていた。特に冷凍物のお肉や魚が嫌な臭いを放っていた。

あーそれにしても、今日もトウェンティー・フォーの様な長い長い一日だった。

竹工房オンセ

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ミラノ通信13

2007年11月26日 09時45分00秒 | 海外事業展開グループ

1126日(月) イタリア旅行もいよいよ大詰めである。観光出来るのは今日が最後である。朝8時過ぎ、美味しくないホテルの朝食を取り、8時半に出発。今日はバチカン市国周辺を見るつもりである。ガイドブックに寄ると、1126_068 「人気のバチカン博物館は長蛇の列になるため朝早く行くと良い」と書いてあった。9時に到着した時はもう300メートル、400メートルと列が出来ていた。待つこと30分やっと、館内に入ることが出来たが、1126_114 膨大な量のコレクションにびっくりである。キリスト教は世界に平和を広めるため布教されたというが、それ以上に世界中の至宝を略奪してきた歴史の様な気がしてならない。キリストの教えを広めるため世界を征服してきたのだ。物事には必ず2面性があると思う。これほどまでの壮大な建造物、または、絵画、彫刻、などを作った下には無数の奴隷になった人たちの汗と血が流されていた事だろう。1126_084 そんな事を考えながら次から次へと回廊をトコロテンの様に押されながら進んで行く。ゆっくり見たつもりは無かったが役3時間かかってやっとバチカン博物館を出てきた。

その後にサンピエトロ寺院についた時はもう、結構疲れてしまっていた。もう一度、行列に並んで入場する気力が萎えていた。ミケランジェロの「ピエタ」も見たかったが、寺院を表から眺めるだけにした。広場の適当な位置にまた、1126_012 私のバッグを置いてDM撮影。今日は今までの中で一番天気が良かったのできっと良い写真が取れたと思う。

少し、お腹が空いたので、サンタンジェロ城近くのレストランに入った。私達の前にお客様は一組だけ、日本人の新婚カップルと思われる。ガラガラの店内なのに案内されたのが、そのカップルの隣だ。何となく、気恥ずかしい様な思いで席に着く。1時を過ぎるとだんだん混んで来た。しかし、大きな声で会話するグループが一組も居ないのは、地元のイタリア人が一人も居ないからだろう。全員、観光客だ。やはり、思ったとおり、料理はあまり美味しくなかった。

1126_040 その後、サンタンジェロ城を見た後、パンテオンに、古代ローマ時代に建てられた当時の姿をそのままに残す神殿である。中に入って見上げて見ると、荘厳な趣が包み込んで来る。

今日は朝から、ずーと上を見上げてばかりなので首が痛い。一日中天井ばかり見ていた気がする。さすがに此処まで来ると悦子も歩き疲れている。時計を見るとまだ、14時半だ。このままホテルに帰るには少し早すぎる。協議の結果、もう一箇所、「カラカラ欲場」ま1126_046でゆっくり歩きながら言ってみる事にした。30分ほど掛けてやっと辿り着いたら、月曜日は14時閉店。何と、ガッカリである。もう、歩けない。最後の力を振り絞って、もう一度、メトロでスペイン広場まで戻って来て、最後の買い物を済ませた。すべての日程を終えホット一息。もう一度、スペイン広場からメトロに乗ってホテルに帰る時、スペイン広場の地下鉄乗り場で悦子が女すりに財布をすられた。歩き疲れていたのと、今まで何も無かった安心感で気が緩んでいたのか?一番悪かったのが、DM撮影用に上部に結び目の付いていないバッグを持っていた事だ。すりは明らかにこの無防備な悦子を見逃さなかった。悦子が気が付き、「この人に取られた!」と言ったがもう遅かった。地下鉄のドアが閉まるのと同時に逃げられてしまった。財布の中身は、買い物がすべて終った後なので、ほとんど現金も入っていなかった。クレジットや大金は私が肌身離さづ持っていたので大事に至らなかった。かえって、私といる事が彼女に隙を作ってしまったのだろう。海外で一人で歩いている時はもっともっと細心の注意を払って歩いているはずだから。旅の最後にこういった「スリ」の洗礼を受けた事は、逆にこれからの旅に気を付けて下さいと注意された様な気がする。「まー、小銭だけで済んで良かった。」とローマ最後の夜に乾杯をした。

今日も最後に万歩計を見てみると、25586歩、22キロ歩いていた。

竹工房オンセ

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ミラノ通信12

2007年11月25日 08時53分00秒 | 海外事業展開グループ

1125日(日) 昨日のホテル探しでヘトヘトになっていた翌朝である。ホテルの朝食が、今までのミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェのどのホテルよりも悪い。美味しくないパンと自動のコーヒーメーカーと自動のジュースメーカーしかない。今まで、何処にいてもあったはずの、生ハム、チーズ、ゆで卵、フルーツ類、フレーク類、お水も無い。何も無い朝食であった。ホテルの部屋は結構広く奇麗であるが、その他のサービスは無い無いづく目である。テレビはあるのだが、リモコンは無い、聞いてみると20ユーロの保証金を払ってリモコンを借りる様だ。日本語放送は入っていないらしいので借りるのを止めた。部屋が少し寒かったので毛布を貸して欲しいと言ってみたがそれも断られた。インターネットもどうゆう訳か電話回線から繋がらない、フィレンツェ、ローマのブログは日本に帰ってからアップすることになりそうだ。

1125_009 今日は日曜日なので、日曜日しかやっていないポルタ・ポルテーゼの蚤の市に行くことにした。ホテルを9時前に出発、中央駅まで歩いて行き、そこからメトロに乗ってピラミッド駅まで、地図を見ながらポルタ・ポルテーゼの蚤の市を探す。フィレンツェで見た骨董市を想像していたが、全然規模が違った。

以前、パリのクニャンクルーの骨董市を見た事があるが、お店の数や人の多さはその数十倍ある。歩けども歩けどもお店は続く、網の目の様にどんどん広がって行くので何処を歩いているのか解らなくなる。ガイドブックに「すりや引ったくりに注意」と書いてあったので、私も背負っていたナップザックを体の前に掛け代え、悦子にも引ったくりに気を付ける様、お互いに注意して歩くことにした。延々と続く露天商、ありとあらゆる物がある。安い古着から高級な毛皮、宝飾品、靴、電化製品、骨董品、等等‥‥、私達もジーンズやサングラス、ピアス、1125_050 お土産で「ガラスの天使の風鈴」を買ったり、途中でケバブというイスラム系のサンドイッチを食べながらゆっくり楽しんだ。骨董店ばかりのブースもあり、何十軒と面白そうな物が出ている。骨董好きの毛利さんが居たら堪らなかったろうに! 朝一番だったので、まだ品物を見たり聞いたり余裕があったのだが、時間とともに混んで来て、前を歩く人の頭しか見えない状態になって来た。縁日のお祭りで混雑の中を歩いている感じだ。これではすりや引ったくりが出てもおかしくないだろう。その分、いたる所に警察もいる。

11時過ぎに、骨董市を出て、今度はローマの休日でも出てきた「真実の口」、ここでも行列が出来ている。私達はガイドブックに出ていた、スパゲッティ・カルボナーラの美味しい店とあった「ロコロ」というお店を探し当て昼食に入った。落ち着いた趣のあるお店だ。ゲーテの恋人が住んでいた所がお店になっているという。ビールとカルボナーラ、後はお店の人のお奨めのパスタを注文。どれも、美味しかった。お店の中には地元の老夫婦や家族連れが食事を楽しんでいる、観光客は私達だけだ。

1125_077 1125_082食後、雨が降っていたので、タクシーでコロッセオに向かった。此処だけはどうしても来て見たかった。2000年の歴史の重みが伝わってくる。此処で多くの民衆が戦いを見て興奮に包まれていたのだろうか?猛獣と戦わせられたのだろうか?戦車での戦い!このコロッセオには最高6万人の観衆が入るそうだ、見物する場所は地位によって、段の高さが決まっている。今から2000年以上も前の事を想像してしまう。

1125_087 今回のもう一つの目的であるDM撮影をした。ローマの遺跡をバックに私のハンドバッグを置いた写真を取ること、2000年の重厚な背景の中に日本の伝統的な竹のバッグを置き、DM写真を作ろうと思っていた。前回、パリで通訳のマリーさんに竹のバッグを持ってもらい、街中で撮影したDMが大変評判が良かったので、今回はローマでそんな写真が取れればと思い、「波網代のバッグ」を撮影用に持参してきている。コロッセオのあちらこちらにバッグを置いて撮影する。行き交う人々が私の事を1125_111 きっと有名雑誌のカメラマンと勘違いしていることだろう。コロッセオを出た後、直ぐ隣のフォロ・ロマーノ、見渡す限り遺跡が広がっている。今から2000年も前にこんな街が作られていた事に驚く、どの建物も大きく高く。この遺跡の中でもバッグの撮影をしてきた。

街をブラブラしながら、次は定番の「トレビの泉」、1125_199 此処も世界中からの観光客でごった返している。私達もコインを背中越しに泉に投げ込んだ。この泉にコインを入れると、また、此処に来ることが出来ると言われている。私達はケチって本当に小さなコインしか入れなかったので、途中までしか来れないかも知れない?トレビの泉から少し歩いた所に「ローマの休日でオードリー・ヘップバーンがアイスクリームを食べていた」有名な観光名所、スペイン広場の階段にやって来た。早速、ここでも、バッグを置いてDM撮影。良い写真が取れていると良いが?1125_206

さすがにいい加減歩き疲れてしまった。スペイン広場からメトロに乗ってホテルに帰ってきた。今日歩いた距離を万歩計で見てみると、何と、23938歩、20.7キロとあった。あー、くたびれた。

竹工房オンセ

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ミラノ通信11

2007年11月24日 04時16分00秒 | 海外事業展開グループ

1124_13 1124() 朝早く起きている。今日はローマへ移動の日である。一日の動きを計画を立てて!朝、9時前にチェックアウト、荷物だけ預けて、まずアカデミア美術館へ、ミケランジェロのダビデ像を見に行く。この像は日本人でもほとんどの人が知っているだろう。ダビデの目にはハート型の穴が開いている。

見た目にはカッコいい八頭身より少し大きめの頭が付いている。体の割には太い首と大きめの頭だ。館内にはミケランジェロの製作途中の奴隷像など、彫刻が所狭しと無数に飾られている。ゆっくり見学した後、ガイドブックに載っていた骨董市広場「チョンビ市場」に場所を移した。しかし、本当にガラクタばかりで興味を引かれるものは無い。

1124_22 その後、サンタ・ブロージュ市場へ出かける。庶民の集まるフィレンツェの台所である。野菜、果物、パン、チーズ、お肉、お魚、衣料品と何でもかんでも並んでいる。叔父さんやお兄ちゃんが「安いよ!」「安いよ!」と声を掛けてくる。みかんとバナナ、お土1124_30産にプリッチーニ(きのこの干した物)などを買い込む。私は肉屋を見るのが大好きで、 豚一頭の丸焼きがあったり、牛の足、胃袋がそのまま、すずめ、ウサギなど日本では見ない物も沢山ある。庶民の生活のエネルギーが感じられるので大好きである。

11時半に市場を出たが、その頃から段々と空模様が悪くなり雨が降り出した。有名なボーボリ庭園を見に行く予定だったが、雨のため中止、ドォーモ近くのピザレストランに入った。昨日行った所とは当然違うお店である。雨宿りを兼ねて入ったのだが、昨日のお店とは全然違って美味しかった。ピザとスパゲッティ、食後にカプチーノとティラミス。14時近くなるまで時間をつぶし、ホテルで荷物を取って中央駅へ、1453分発のローマ行きに乗る為14時半には駅に付いたのだが、やはり、今回も時間通り電車が来る気配は無い。ようやく30分ほど遅れて電車がやって来た。予定時間より30分遅れてローマに到着。この日もJALの予約票の地図で大変な目にあった。中央駅の直ぐ側と思いホテルを探すのだが、一向に見つからない。道行く人や近くのお店でその予約票の地図を見せるのだが全員があっちだ、こっちだとバラバラの事を言う。現地の人に見せても判らない地図なんてどうなっているんだ!30分以上、重い荷物を引きずって歩くうちヘトヘトになってしまった。結局、もう一度中央駅に戻り、タクシーに乗ることにした。やっとの事でタクシーでホテルの前へ降ろしてもらった。しかし、チェックインしようとしたら、「此処ではなく、道に出て右に行け!」と言う。何と!センターホテルは3軒あって、その中のどのホテルなのか着いて見ないと判らないのだ。やっと、次のセンターホテル(3)に辿り着いた。そこでも、ここじゃ無いからセンターホテル(2)に行け!と言う。「オー、マイ ゴッド!」「いい加減にしろー!」ヘトヘトのクタクタ、やっと3軒目のセンターホテル(2)に辿り着いた。

ホテルの部屋は結構広くて奇麗な部屋である。しかし、バスタブは無い。シャワーだけだ。前日までのフェレンツェのホテルよりシャワー室があるので、シャワーを使っても、他の所は濡れる事は無い。しかし、JALの予約票の地図にはフィレンツェ、ローマと酷い目にあった。本当に文句が言いたい。悦子はくたびれ果てて「もう少し、名前の通ったホテルにしてネ!」と私に文句を言いたそうである。「私かて、こんな誰も判らないホテルを指定した覚えは無いのだ!」

しかし、雨が上がって濡れなくて良かった。どうにか、こうにか無事にホテルに辿り着くことが出来たのだから良しとしよう。

あー、今日も「トウェンティーフォー」の様に長い長い一日であった。

竹工房オンセ

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ミラノ通信10

2007年11月23日 22時38分00秒 | 海外事業展開グループ

1123日(金)  朝8時からホテルの朝食、ホテルの予約票にはコールド・ブレックファーストと書いてあったが、内容はミラノのホテルとさほど違いは無い。生ハム、スライスチーズ、コーンフレーク、ゆで卵、コーヒーとオレンジジュース、パンは美味しい物では無い。

1123_5 この日は945分にウフィツィ美術館を予約していた。この美術館はルネサンス絵画の至宝を揃えている点で世界でも有数の美術館である。ボッティチェッリ、ラファエロ、レオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロなど美術の本で目にしたものばかりだ。3時間掛けてゆっくり見学。昼食にドォーモ近くのピザ屋に入った、小さなワインを1本とピザ・マルゲリータとスパゲッティを頼んだが全然美味しくなかった。高いばかりで、やはり観光スポットそばでは食事をするのは止めておこう。

1123_16 午後から、ヴェッキオ橋、橋の両サイドには宝石店ばかり軒を連ねている。目鼻立ちのハッキリしている西洋人には派手な装飾品が似合いそうだが、扁平顔の日本人には少しケバケバシイ様な気がする。

街をブラブラしていると実に団体の日本人ツアーが目に付く。その中で一人、ガイドと思われる女の人が黄色い旗を持って走り回っている。誰か人を探しているのだろう、目が真剣だ。私達はそれを見て「きっと、誰かはぐれたのだろう?」「はぐれた人を探しているんだ!」「油布さんみたいな人がいるんだ!」日本人学校での油布さんの言った事を思い出した。「どんなに注意しても聞かんヤツが一人は居る!」「それがお前じゃ!」と。何時も一人か二人ははぐれるおっさんやオバサンがいるんだよネ。しかし、農協ツアーが世界を席巻したが、未だに日本人は団体旅行で首からカメラをぶら下げて、日本語でワイワイガヤガヤ、変わらないネ!

1123_50 ピッティ宮の前を通り、その後は観光スポットから離れ、地元の町並みを楽しんだ。15時までは昼食休憩でどの店も休んでいる。15時以降、家具職人や靴職人、面白かったのは帽子の木型を作る工房があった事だ。途中でスーパーマーケットで生ハムと摘みを買い込み、夜に備えた。1123_48 エノテカという酒屋に入り、やはり指差し会話帳で「あなたのお奨めのワインとシャンパンを?」と聞いて2本選んでもらった。2本で20ユーロほど、ワインは安い!今日は外食せずにホテルの部屋でワインと生ハムで食事をする事にした。

一般的に今のイタリアの物価は日本より高い、昼食でも10ユーロくらいするし、夕食だと一人3040ユーロ、500mlのコーラやジュースでも2.2ユーロ、ビールが3ユーロ、入場料でも6ユーロから10ユーロくらいする。1ユーロ163円で計算すると随分高い物である。もう少し、円が強くなってくれると楽なのだが。

途中で気に入った絵があったので1枚買った。本人の手書きの絵だったのでとても気に入ったのだ。彼は「本当は陶芸などのデザインを本業としているが、今はアルバイトで絵を描いている」という様な事を言っていたと思う。悦子は皮手袋の工房で自分のサイズに合った手袋を購入してご満悦である。「宝飾品を買ったら?」と勧めるのだが、「あまり興味が無いから!」とこれは貧しい私を気遣っての事だろう。

その後、屋台のお土産品屋を冷やかしながらホテルに戻って来た。今日は買い込んだワインで乾杯だ!1123 

竹工房オンセ

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ミラノ通信 9

2007年11月22日 22時25分00秒 | 海外事業展開グループ

此処から、電話回線に雑音が入りブログのアップが出来なくなった。此処からは後日日本に帰国してからアップした物です。

1121_040 1122日   昨日は10時前に寝付いたのに目が覚めたら6時過ぎであった。久しぶりに朝までゆっくり寝た。やはり疲れているのだろう。窓から外を眺めてみると どんよりと薄暗い、これが普段のイタリアの11月なのだろう。風呂に入って少しゆっくりする。8時に朝食を、やはり、朝食もミラノのホテルより種類も多く、暖かい目玉焼きやベーコン、ハムなどもある。何故かヤクルトもある。食堂も広く、回りを見回してみると34組の日本人がいる。

外は小雨が降っている。当初の予定では、今日もう一度ベェネツィア観光をして、その中でもガラス細工の島、ムラーノ島に行って見るつもりであったが、雨のため変更した。1455分発のユーロスターを予約していたが、11時台出発の便に変える事にした。しかし、日本の場合と違って言葉が通じない。まず、駅の時刻表を見に行って、自分で1135分発のユーロスター9442便を確認した。そのメモを持って切符売り場へ、日本語で「11時台の電車に変更して!」と言えればこんな手間を掛けなくても良いのだが、簡単な言葉でもガイドブックに載ったままなら良いのだが、ちょっと違うセンテンスが入ると話せない。なるべく、相手から返事が帰ってこなくても良い様にしてから窓口に行かなくては?等と考える。「ジス チケット クッジュー チェンジ? プリーズ」と言ってニッコリ笑いながら1135分のメモを見せた。さすがに直ぐに判ったらしく変更してくれた。良かった!良かった!

11時前までブログの文章を書き上げ電話線でアップする。やはり時間がかかる。もたもたしているうちに悦子のいらいらしてくる様子が伝わってくる。「日本と違ってチェックアウトもスムーズには進まないので、もう少し時間の余裕を持って!」と目が言っている。

まー、しかし、充分な余裕を持って駅のホームに行ってみると1135分発のユーロスターは6番線と掲示板に出ているので、行って見ると、まだ、1050分発のユーロスターが停まっている。一事が万事、イタリア時間だ。12時頃に7番線に私達の載る1135分発のユーロスターが入ってきた。早速、乗り込むと何と先発する筈の1050分発の電車より先に出発した。何と大らかな!何といい加減な!時間に几帳面な日本人からは考えられない。よく、外国人が日本に来ると、まずびっくりするのが、鉄道の正確さだそうだ。時間もそうだが、ホームに停まる位置が30センチと狂わないのは信じられないそうだ。

1123_62 フィレンツェに着く前にJALから貰ったホテルの予約票でホテルの場所を確かめようと地図を広げる。しかし、JALの予約票の地図はホテルの四方100mしか載っていない。ホテルの住所、電話番号は書いてあるが、イタリア語が解らない我々が電話する事も出来ず困ってしまった。この予約票は現地の人には判っても日本人旅行者には大変不親切な物だ。JALはもう少し、最寄の何々駅より、徒歩何分とか?タクシーを利用するとか?書くべきである。結局、3枚の地図を広げてホテルの前の通りを探すのだが、判らないままフィレンツェに着いてしまった。駅のインフォメーションで聞こうと思ったが、インフォメーションすらない。仕方なく、タクシーに乗って運転手に住所を見せ、やっとホテルに到着。一方通行ばかりなのでグルグル回って10ユーロほど取られた。ホテルに着いてホテルの人にホテルの場所を地図に書き込んで貰ったら、何と駅から歩いて23分の所であった。事前に日本にいる時にインターネットで調べたら、ベェネツィアのホテルプラザとローマのセンターホテルはサイトがあったので、場所とホテルの情報を大体把握していた。このフィレンツェのアスコットホテルだけ何も出てこなかった。それも、ホテルに着いて納得。ネットに載せる様なホテルではない。以前、行った事のあるボリビアやペルーのホテルを思い出した。ホテルは古く、ドアや窓も古びた木製で、お風呂もバスタブは無い、シャワーだけが辛うじて付いている、シャワーを使うとトイレ中ベタベタになる。チェックインの時も荷物運びがいる訳でなく、重いスーツケースを自分で運び、チキン宿の上級番といった感じだ。でも、フィレンツェの街を歩いてみると、どのホテルもこんな程度だ。何百年前からの建物に内装だけを何度も何度も手直ししながら今日に至っている。まー、それが歴史なのだろう。

1122_018_215時過ぎに街に繰り出した。イタリアでも特に有名なフィレンツェのドォーモに行って見た。ミラノのドォーモとはまた違った面立ちがあり、見る物を圧倒する迫力がある。ドォーモの右にジェットの鐘楼がある。ガイドブックによると、高さ106m、400段の階段を登って屋上に出る事が出来る。意を決して挑戦。106mといえば日本でも30階建てのビルくらいの高さである。これを一気に登るのだ。途中で息が切れる。巾1mも無いような狭い螺旋階段を登っていると目が回ってくる。息を切らせてやっと頂上に登ってみると、1122_028 四方にフィレンツェの茶褐色の町々が広がり絵の様な風景が広がる。此処まで、フーフー言って登った甲斐があった。丁度、その頃から小雨が降ってきた。ドォーモに登るので相当汗をかいた事もあり、着替えのため一度ホテルに戻った。

夜、19時半ころ、夜の街を見てみようとホテルを出る。もう19時を過ぎると何処のお店も閉店の準備をしている。夕食はアルノ川側のトラッテリア・アルマンドというレストランへ、此処はミラノでお世話になった菅沼さんお奨めの店で、落ち着いた雰囲気と観光客はほとんど居らず、地元の人がゆっくり食事をする所のようだ。壁面には、1122_049 このお店に来たと思われるオペラ歌手などの写真がサイン入りで一面に飾ってある。物腰の柔らかい御主人が対応してくれた。注文は赤ワインとガス無しのお水、ワインの銘柄は判らないので、こんな時役に立つのが日本から持ってきた「旅の指差し会話帳」である。簡単なマンガにイタリア語と日本語がかいてあるのだ。言いたい事を指差せば大体コミニュケーションが取れるという優れものである。この時も「Che cosa mi consiglia?

Vino rosso」(あなたのお奨めは?という会話を指差し、その後に赤ワインと言う。そうするとご主人が「Ventoso」という地元のワインを薦めてくれた。料理も生ハム、スパゲッティ、ラム肉のステーキと指差して注文。どれも美味しかった。ワインを1本空け、ブラリブラリとホテルに戻って来た。

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ミラノ通信8

2007年11月22日 19時06分29秒 | 海外事業展開グループ

1121日(水) 一昨日、昨晩と毎日打ち上げの料理ばかりでさすがに少し太ってしまった様な気がする。朝、体重計に乗ってみると一昨日より2キロも太っている。此れは少し節制しなくては!

1121_017 今日でミラノともお別れである。私達夫婦だけが他のメンバーと別れてヴェネツィアに移動する。朝起きて、スーツケースの中に荷物をまとめ移動の準備をするが、どうしてもスーツケースに荷物が収まらない。それもそのはず、実演の作品を「送料が勿体無いから!」という事で、手荷物で持って行く事になったため、大きなダンボールが一つ増えてしまった。竹篭なので軽いのだがかさ張る。まだ、これからヴェネツィア、フィレンツェ、ローマとスーツケースを押しながら移動しなくてはならない。申し訳なかったが、手荷物で!と言い出した浜名さんに持って帰ってもらう様お願いした。彼女は嫌な顔一つせず、「ハイ、解りました」と受け取ってくれた。すみません!

ミラノ中央駅に出て、850分のヴェネツィア行き特急に乗り込む、ヨーロッパの鉄道は日本の鉄道より断然安い。1等車は幅広い椅子とパソコンが使えるようにコンセントつきのテーブルまで付いている。ミラノ市外へ出ると日本と同じような農村風景が広がる。

ミラノから2時間半でベェネツィアに付く、私達は最終駅一歩手前のメストレ駅前のホテルを取っていたようだ。これは電車の中でガイドブックをつぶさに見ていた悦子が見つけた。私はベニスと言えばサンタルチア駅まで行く物と思い込んでいたので助かった。思いスーツケースを持って駅の階段を上り下りするのは男でも結構大変なので悦子にはきつかったろう?浜名さんには申し訳なかったが、実演の荷物が無くなった事は非常に助かった。

駅前のプラザホテルにチェックイン、11時半なのに部屋に入ることが出来た。フロントの対応も非常に親切で、昨日までのミラノのメディウラヌムホテルより数段上のホテルなのだろう。部屋の広さも広く、バスルームも奇麗だ。ミラノのホテルは水の排水が悪く、お風呂もぬるいお湯が少量しか出なかったが、ここは日本と同じように勢い良くお湯が出る。値段もこちらが1泊2人で15000円、ミラノが1泊2人で20000円だった事を考えると断然ベェネツィアのホテルプラザが良い、此処はお奨めのホテルである。ホテルに荷物を置き、もう一度電車に乗ってサンタルチア駅に向かった。

1121_044 隣の駅なので5分くらいで付いてしまう。駅から出ると直ぐに水上バスの乗り合い所になっている。世界でも類を見ない水の上に作られた都市、ベェネツィア。最盛期の15世紀には15万人ほどの人が住んでいたと言うから、今の別府市より大きな都市だ。凄い!水上バスに乗って市の中心地、「サン・マルコ広場」に遣って来た。気分は完全にお上りさんだ。見る物すべてが珍しく、特にドゥカーレ宮殿の中は当時のアドリア海の覇者、ベェネツィア国を象徴する展示品で溢れていた。50m×25mのヨーロッパでも最大級の会議室で国の法律や政治を議論したそうだ。しかし、これほどの栄華を誇ったベェネツィアも「諸行無常の響きあり」と衰退していったのだ。

1121_066 ドゥカーレ宮殿の横にベニスを一望できる鐘楼がある。エレベーターで上がれるので入ってみた。ベニスの街は茶褐色に統一されていて、上から見るとおもちゃの町並みを見ているようで美しい。エレベーター番のおっさんが無愛想にブーたれた顔をしていた。その横のサン・マルコ寺院を見学した後、ベニス一番の目抜き通り(他の街にあるような大きな道でなく、巾3mから4mくらいの道の両側にブランド店、土産物店、絵画屋、レストランなどがずーと続く) 私達も色彩豊かなイタリアセーターを買い、次男シンラにはベェネツィアチームのラグビーボウルを見つけ買い込んだ。街の中は細い道と運河が迷路のようになっており、何処をどう歩いているのか?解らなくなる。しかし、ブラリブラリと夫婦で時間も目的を気にすることなく歩いているのなんて、17年前の新婚旅行以来である。

1121_088 17時を過ぎる頃にはもうすっかり暗くなっている。私達も最寄の水上バスの停留所からバスに乗ろうとするのだが、全員が家路に帰ろうと駅方面に向かうバスは相当込み合っている。何とか1台やり過ごして、2dai目に乗り込むことが出来た。少し寒かったが、舟に揺られながらベニスの家々を見るのも楽しかった。途中、何箇所かバス停によるのだが、乗り切れなかったおばさんが舟の乗務員に向かって猛烈に文句を言っている。目を剥いて、少し空いているところを指差して、きっと「何で乗せないのか?あそこに空いている所があるじゃないか!もっと詰めさせなさい!あんたはバカだ!」と言っていた、と思う。(推測だが)何しろイタリア人は大声で文句を言う。言った者勝ちなのだろう。それで旨く行ったら儲け物という国民性なのだろう。電車に乗っても水上バスに乗っても駅でもみんな携帯電話で大きな声で話している。日本人が無言で携帯メールを打っているのと同じなのかも?知れない。寂しがり屋のイタリア人は一日中大きな声で喋っている。その他、ショッピングしていてびっくりするのが店のメインウィンドウに女性の下着を履かせたマネキンがいたる所にある。慣れない私達は思わず恥ずかしくなる。しかし、こちらでは下着は美しい物であって、隠す物ではない様だ。

サンタルチア駅からメヌスト駅へ電車に乗る。一駅なのでどの電車に乗っても良いのだろうが、時間は18時20分、掲示板を見てみると、まだ、17時57分発の電車がいる。それに走り込んで乗ったのだがなかなか動かない。時刻通り発車しなくても誰も文句を言わない。これも文化の違いか?20分ほど待ってようやく動き出した。今日は歩き疲れたのと今までの疲れが出てきたのか眠たい。イタリア料理にも少し飽きが来たので、久しぶりに駅前のマクドナルドでハンバーガーとチキンナゲットをテイクアウト。ホテルの部屋に戻り、缶ビールで乾杯したら10時前には寝てしまった。

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ミラノ通信7

2007年11月22日 07時26分00秒 | 海外事業展開グループ

1120日(火)

1120_005 昨日でほぼ今回の目的は終了、今日は展示会の作品を返送できるように荷造りと後片付け。朝8時にホテルロビーに集合、8時半から片付けに掛かる、大体普段でも準備より片付けの法が早くなる物である。全員でテキパキと片付けていく。11時にはすべての作業を終了してしまった。

15時に荷物の集荷のトラックが来るので、それまで各自がフリーの時間を!私は悦子とギャラリー近くのブレラ美術館へ、ルネサンス時代のイタリア絵画で有名な所である。元々がイエズス会の施設を美術館にしたらしく宗教画がほとんどである。美術館を出た後、スカラ座の前を通り、ガレリア通りへ。1120_012

長男クルムから頼まれていたジーンズを買いにHMへ、買い物をした後ブラブラして14時半にギャラリーに戻って来た。もう、集荷のトラックは来ており無事出荷することが出来た。この仕事を終えて、県職員の浜名さんもやっと肩の荷を降ろす事が出来た。後はパグマーニーのお守りだけだ。(パグマーニーとは、油布さんは昌孝という名前で、別府にいるときはみんなからマー兄ぃと呼ばれている。それと犬のパグに少し似ている事から、イタリアのアルマーニーに掛けて、パグマーニーとみんなが冗談で言っていた、特に大橋君が)

荷物を出荷した後、手荷物を置きに一旦ホテルへ、今日最後のミラノの夜を楽しむ事になる。

それと、今日一つトラブルが起きた。朝からレンタルの携帯電話がずっと圏外である。あまりにもその状態が続くのでドコモの海外ローミングサービスに電話してみた。20分ほど、あれや此れやと言われるままに遣ってみるが一向に使えるようにならない。海外でこうなると何か心細い面と、もう日本から連絡が入らなくなるので、諦めがつく面と両方だ!

1120_0_7 夜、1930分、ドォーモ前に集合、ミラノ在住の菅沼さんの案内でイタリアのお魚料理を食べにいった。市電に乗り、結構離れたところまで来たような気がする。シャレたレストランでやはり此処も観光客などは来ない、地元の人しか知らない穴場なのだろう。生牡蠣、カジキ、サーモン、エビ、イカ、などの生魚、それにイカ墨、ウニ、さば等のパスタ、ビールにワインで最後の晩餐だ。さすがにみんな疲れが溜まっているのだろう、大仕事を終えた安堵感と疲れで卓人などは食事をしながら眠っている。みんな、お疲れ様。ホテルに戻りシャワーも浴びずにバタンキュー!

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ミラノ通信6

2007年11月21日 15時16分27秒 | 海外事業展開グループ

1119()  展示会最終日、一応私はフリーの日という事で他の人よりゆっくり1119_025 とギャラリーに行くことにした。ミラノ在住の菅沼さんという方が市内を案内してくれると言うので、油布さんを連れて4人でドォーモへ、まずドォーモ近くの「RITA」というお店で昼食を、此処は市役所の職員が社食で食べるお店で、自分が欲しいものを指示して装って貰うという、好きな物が目で見て選べるお店だ。一般の観光客はまず入ることは無い。1階はピザッテリアになっており、その奥の階段を2階に上がる穴場的なお店だ。私はソーセージとコロッケ、パスタにポテトを少々。ミラノのレストランに入ってもメニューが解らなくて困るのだ、此処なら自分の好きなものを指示して注文できるので助かった。昼食後、直ぐ近くのリナシェンテというミラノ一番のデパートでウィンドウショッピング、美味しいワインを1本買って外に出た。2時にはギャラリーに帰って、3時からのドォーモ前での路上パフォーマンスの準備をしなくてはならない。大体どのあたりでパフォーマンスをしようか下見をしてからギャラリーに戻った。

竹篭教室の教材、ゴザ、座布団、水桶、霧吹き等等、それに毛利さんに看板を書いてもらった。「私達は日本から来た竹細工の職人だ!」「これは売り物ではありません、一緒に作ってみましょう、作った物は差し上げます!」とイタリア語に約した物を書いて貰った。この看板を立てておけば、もし、警察が何か言ってきても大丈夫だろう。私は何も考えないで直ぐ行動しているように思われがちだが、これでも、万が一を想定して準備しているのである。

1119_035 3時10分、いよいよドォーモに向けて出発である。道ですれ違う人や市電の中からみんなが「何事か?」と不思議な顔をして見ている。3人の作務衣姿の男が、竹やゴザを担いで歩いているのである。まるで、チンドン屋さんみたいな感じだ。その回りをテレビカメラがウロウロ回っている。 10分ほどでドォーモの横に到着。さー、いよいよ始めるぞ!少し緊張もある。通訳に引っ張り出された村山さんも少し心配そうである。パフォーマンスの通訳を急遽、楓ちゃんから村山さんに変えたのは、もし何か警察に捕まったり、トラブルがあった時、押しの強い村山さんに対応してもらうためだ。まだ、20歳の楓ちゃんには少し荷が重い!

1119_0471119_050  ゴザを広げて看板を立て、私が篭を作り出すと直ぐに人が集まってきた。看板を見て「私もやりたい!」「私も!」と手を上げてくる。回りも見物人が何事か?と集まってくる。1回の竹細工教室で5人と決めていた。あまり多くなると収支が付かなくなる恐れがある。ギャラリーで教えている時とは、又違った反応である。ギャラリーには最初から竹に興味を持った人が来ているのだが、この路上パフォーマンスはまったく関係の無い一般の人達だ。

1119_098   1119_132 最初はやはり若い人たちがチャレンジしてくる。頭を使って、慣れない手を使って一生懸命である。教える私も慣れないイタリア語を使って必死である。でも、全員楽しそうだ。喜喜として初体験を楽しんでいる。2組目、3組目としている内に段々と私もペースが出てきた。途中、やはりポリスマンが2回ほど見に来ていたが何も言わなかった。やはり、看板を書いておいて正解であった。本人も体験に参加したそうな顔をして。 最後の4組目の時は通訳の村山さんもいなくなり、全くの通訳ナシで篭を作らせた。私が話したイタリア語はウノ(1)、ドゥエ(2)、トレ(3)、クワトロ(4)、オット(8)、デェストォラ()、シニストォラ()、この7文字だけである。その他は訳の判らない中途半端な英語と何故か?少しだけのスペイン語が混じる。でもそれだけでも、手振りと目線だけでコミニュケーションできるのだ。これは本当に嬉しかった。寒い日だったので4組の竹教室をしただけで一応終了したが、ドォーモからギャラリーに帰る時は全員が達成感にあふれた顔をしていた。本当に楽しかった。教室に参加したミラノの人達のなんとも嬉しそうな顔が目に焼き付いている。

1119_1311119_129テレビ局のディレクターも、「現地の人の本当に嬉しそうな反応が面白かった!」と。みんなで興奮冷めやらぬ内にギャラリーに戻って来た。やるべき事はすべて遣ったという感じだ。17時以降もギャラリーにも結構お客様が来ている。これまで四日間の間に来てくれた人が再入場してくる場合が多かった。19時過ぎまでバタバタして閉場。これですべて終了だ。

1119_175 今日はみんなで打ち上げという事になっている。メトロでミラノ郊外のレストランに、此処は通訳の村山さんお奨めの店である。一昨年、昨年と続けて今回が3回目の来店である。全員で14名。どの顔も此処まで遣り遂げた満足感にあふれている。我々、4人とサポートの浜名さん、奈須さん、現地サポートの村山さん夫婦、通訳の楓ちゃん、悦子、毛利さんの息子の卓人、隼人そしてテレビスタッフの田中さん、左藤さん。本当にみんなで作り上げてきた「お祭り」であった。これまでの道のりと関わったすべての人に乾杯!

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ミラノ通信5

2007年11月19日 18時22分12秒 | 海外事業展開グループ

11月18日  展示会四日目、日曜日。今日の当番は私が実演、サブ担当が大橋君、フリーの毛利さん油布さんはミラノ近郊のコモ湖に住む日本人、波多野さんの自宅に電車に乗って出かけていった。二組に分かれてギャラリー組と遠出組と。私は朝10時の集合に少し遅れてしまった。遅れた訳はブログを更新していたのだが、ネットの環境が電話回線なので、どうにもこうにも時間がかかって仕方がない。三日分の文章だけのブログをアップするのに結局20分掛かってしまった。そんな事情でメールを頂いている方や、書き込みをしてくれた方、ミクシィのメッセージにもお返事が出来ない。このブログを通じてお詫びしておきます。後日、日本に戻ってから連絡しますので許してネ。
11時、オープン早々お客様が入ってくる。やはり日曜日なのでお客様が多いようだ。今日は日本人学校の先生や父兄の人達も沢山来てくれている。遠くトリノからネットを見たと言って来てくれた方のいる。一日中お客様が途切れることも無く、私と大橋君で何回「竹細工教室」をした事か? 大橋君の教え方は かゆい所に手が届く懇切丁寧な教え方だ。
油布さんとは対極である。丁度彼が教えた2回の教室は全員日本人だったので、通訳も要らず、竹の性質から特徴、歴史的背景まで優しく教えている。  しかし、四海波の竹細工教室は体験した全員、100人が100人感動する。特にイタリア人は大げさな喜び方をする。

1118_067 そこで、私は考えたのだが、まだ、だいぶ四海波の材料が残っている。これを使わないのはもったいない。そこで、翌日の私のフリーの時にミラノ一番の観光スポットである、ドォーモの前にゴザを引いて、そこで路上パフォーマンスとして、油布さんの竹ヒゴ作りや、竹箸製作と 私が道行く人に「四海波教室」をしようと思う。これほどのパフォーマンスはない。
しかし、事前に市当局や警察に許可を取っていないので、ひょっとすると逮捕されるかも知れない。それでも、やってみる価値はある。世界に冠たるミラノドォーモの前の石畳で日本の竹の素晴らしさをデモンストレーションするのだ。これは面白なるぞ。  他のメンバーに話してみると油布さんが「捕まるかも知れんのか?」とちょっと尻込みしている。大橋君は自分の当番の事はほって置いて、「私もそちらに行きます。捕まっても良いですよ。良し、絶対そっちにいきます。」と大変乗り気である。私はもちろん発案者であるし「そんなの何か言われたらその時止めれば良いよ。もし、捕まってもそれもハプニングで楽しいやん。」といい加減である。そんな事を考えていると、やはり私は人の運に恵まれているのだ。
たまたま、来ていた日本人のお客様に「ドォーモの前でパフォーマンスをしたいがどんな事になるか判らない?」と話してみると、何とこの人が「警察に知り合いがいるから聞いてあげる」と言う。
1118_042 こんなタイミングってあるだろうか?早速、電話してもらうと「本来は許可書を取るのが良いのだが、今日の明日では許可書を取るのは無理だ。しかし、物を売ったりする訳ではないので大丈夫だろう」との事だ。明日には、電話してくれたお客様も一緒に来てくれると言うので もし、何かあった時は彼女を通じて話して貰えば大丈夫だろう。後は天気だけが心配だ。

1118_029 夕方になって、遠出のチームも戻って来た。イタリア一の避暑地で美しいところだったそうだ。夜はオープニングの時に通訳で手伝ってくれた堀田さんが御主人と見学に来てくれた。御主人はレストランのオーナーで今日は休みの日なので日本の工芸を見に来てくれたのだ。大変気に入ってくれて作品を注文してくれたり、竹細工教室に挑戦して大喜びしてくれた。実に良い男で、爽やかな目が彼の誠実な人柄を表しているようだ。堀田さんの提案で「休みの日だが、私達のために食事を作ってくれることになった。」ありがたい。閉店後タクシー3台に分乗して彼のレストランへ、隠れ家的な場所で、外から見ると解らないような所だ。しかし、中に入ってみると広い中庭が広がり、実にゆったりとした落ち着いた空間が広がる。シャレたレストランである。食前酒のシャンパーニュを頂き、その後赤ワインを 料理も彼の思いが込められたリゾット。1118_085 一口、口にすると口いっぱいふわっと甘さが広がる、全員このリゾットに感動である。その次に子豚のロースト、表面はパリパリに香ばしく焼きあがり、中のお肉はとてもジューシー。今までミラノで食べた物の中で最高の料理である。特に大橋君は「この料理を食べになら、もう一度ミラノに来たい。」と。器からナイフ、フォーク、グラス、調度品に至るまで彼の料理に対する思いやセンスが伝わってくる。楽しい時間を過ごして後、堀田さんに「素敵な彼だネ」と言うと「そうでしょう」と本当に嬉しそうに笑っていた。

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ミラノ通信4

2007年11月18日 17時54分43秒 | 海外事業展開グループ

1117日  朝早く起きて、前日、前前日と遅くまでクタクタになっていたためブログの記事をまとめる事が出来なかった。やっと、今日、オープニングからの2日間を整理している。目の前には昨日フェラーリのショウルームで買った熊が私に話しかけている。じーと見つめる顔が愛らしい。

今日の実演当番は油布さん、サブ担当が私、毛利さんと大橋君はフリーである。11時オープンから、ポツリポツリとお客様が入ってくる。1115_223 通訳は楓ちゃん、現地の村山さんが出てくるのはいつも3時過ぎなので、それまでは楓ちゃん一人だ。お客様が来る度に引っ張り出される。今回はボランティアで参加してくれている。毎日ほとんど、あっちだ、こっちだと引っ張りまわされ、自由な時間はほとんど無い。しかし、彼女が居ない事には、私達言葉が話せない者にとっては頼みの綱である。お父さんである私の親友「恵文さん」より「厳しく言って下さい!」と言われて来たが、本当に彼女のお陰で助かっている。小回りが聞くので買い物など、右へ左へと動き回ってくれている。20歳くらいで、おっさんやおばさんの中に入って、それなりに気を使っているだろうが、そんな事をおくびにも出さず、「ハイッ!」「ハイッ、判りました!」「何でも言って下さい。」などと、きっと日本に返ってからどっと疲れが出るだろうな!

1117_013 ギャラリーでは今までミラノできれいな人を沢山見ているが、その中でも「この人は絶対モデルさんだ!」と思うような背が高くて、知性的な美人がやって来た。インターネットで今回の催しを知って来たそうだ。本人もアクセサリーなどを作るアーティストの様だ。油布さんが奇麗な人を見ると、顔は強張っているが、サービスをすること、すること。お箸に始まり、端置き、菓子楊枝まで作って差し上げている。世界何処に行っても美人は得だね!

夕方まではそれほど忙しくなくゆっくりとしていた。ところが17時過ぎからどんどんお客様が入ってきだした。あっという間にギャラリーは人で埋まっていく。ミラノのギャラリーは平日より土、日の方が人の入りが多いようだ。

1117_015 お客様のリクエストもあり、急遽、竹篭作りに教室をすることになった。3組の親子が挑戦、6人ほどに教えるのが目も届き、一番やり易い。前日の経験があるので、私もイタリア語、英語を交えて教えていく。子供達も目を輝かせて大喜び、それより、お母さん達が感動して、東洋の不思議を噛み締めているようだ。作り終わった後も一緒に写真を取らせて欲しいと顔を赤らめ言って来た。

結局この日も夕方からの2時間だけでも50人以上のお客様が入っている。私の作品にも、油布さん大橋君の作品にも注文が入っている。特に油布さんの作品で60万くらいの作品が売れそうである。毛利さんも「ワインのラベルのデザインをして欲しい」と注文が入っているようだ。私は思っていた通り、波網代のポシェットタイプにイタリア人が凄い反応をして問い合わせが多い。やはりパーティーにお洒落な自分だけのバッグを持ちたいのだ。そして、作品的には、無理に迎合するのでなく、自分の持ち味を追求していった方が世界に充分通じると確信できたことが大きかった。

1117_020 ギャラリー閉店後、この日は男ばかり8人で「トプカピ」というピザレストランへ、ありがたかったのはメニューの下にボールペンで日本語表記してあったことだ。料理の内容が判って注文できたこと。ミラノでは野菜サラダがあまり出てこない。やはり、肉食人種なのか?今までホテルの朝食でも、夜のレストランでもほとんど生野菜が出てこない。やっとこの店でサラダを注文したが肉料理よりサラダの方が高かった。ワインを飲みながらそれぞれに楽しんだ。ホテルに戻り、先に返っていた悦子の顔を見たとたんに、もう寝付いてしまった。

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ミラノ通信3

2007年11月18日 17時52分30秒 | 海外事業展開グループ

1116

前日くたくたになり、疲れていたため今日は6時くらいまでぐっすり寝ていた。今日は8時半には日本人学校の先生が来るのだ。ミラノに住む日本人の子供が70人ほど通っている学校だ。そこへ出前で「竹細工教室」をするためだ。私と油布さん、大橋君、悦子、テレビスタッフの6人で出発。一見、ババロッティのようなイタリア人が迎えに来た。日本人の様に流ちょうな日本語を話す。イタリアに長いこと住んでいると風貌もイタリア人の様になるのだろうか?等とバカな事を考える。学校に着くまでにその事を聞いてみると、「24年ミラノに住んでいます。しかし、長く住んでいてこういう顔になったのではなく、イタリア人とのハーフだからです。」と言われた、当たり前だよね。 20分ほどでミラノ郊外の日本人学校にやって来た。向かえはユダヤ教の学校だそうだが、テロから身を守るため学校の回りはバリケードで囲まれ、ミラノ機動隊が常駐しているそうだ。

1116_002 「竹細工教室」は一番先輩である油布さんが指導して、私と大橋君がサポートに回ることにした。さてさて、竹細工教室の始まりである。学年が違う25人の子供に教える事は中々難しい事である。油布さんが前置きの話をするのだが、子供達にとってイタリア語よりも聞き慣れない大分弁で話すので、何処まで理解しているのか?疑問である。「四海波」花篭の作り方を説明し出したが、作り方を知っている私達が聞いても、「難しいだろうな」と思う説明がどんどん先へ先へと進んで行く。案の定子供達はチンプンカンプン‥‥?1116cimg0011 <personname></personname>

油布さんが「こっちとこっちを持ってきびるんじゃ!(きびると言うのは大分弁で結ぶことだ)」「こげんするんじゃ!」とか言うが本人は判っているが子供達はどれがこっちでどうするのか?サッパリ判らない。 さすがにこれではいけないと思い油布さんに、大橋君と私とで 回りの7~8人づつ教えて行くので少し間ってくれ!とお願い。どうにか全体のペースを油布さんに追いつく所までフォローして何とか全員が作り上げる事が出来た。取材のOBSスタッフも2度笑いしている。

1116cimg0016 しかし、考えてみるとここに居る子供達は日本に帰れば帰国子女として、きっとエリートサラリーマンの子供達で今までチヤホヤ育てられて来ている子供達がほとんどだろう。しかし、今回の竹細工教室で、世の中の不条理というか?理不尽な、傍若無人な一方的な場面に出くわした事はある意味、大変良い経験になったと思う。今まで、判らない事があると回りのフォローが入り、手助けしてくれるのが当たり前、決して本人を攻めたりしない環境で育ってきたのだ。<personname></personname>

油布さんの教えは、本人は50年以上も竹細工をやってきているので、一般の人が全然判らない事でも 本人は無意識の内に出来てしまっているので、そんな事は気付くはずも無く、解らないのだ。  「お前が間違がっちょる!お前が約束どおりせんからじゃ!」などと言われたら子供達は目を白黒させている。今までお前呼ばわりされたことなど無いだろうに!「判らんかったら、もっと真剣に聞け!」「これくらいできんでどうすんじゃ!」油布さんの作品どおり(「やたら編み」を得意とするのだが、やたら編みとは不規則なやたらめったらヒゴを差込み感性で作り上げていく作風なのだ)。説明もやたらめったら話が飛んで行く、途中 説明が足らなくてもお構いなし、もう油布ワールド、油布マジックだ。でも、形どおり同じ物を作ることが正しい様な教育を受けて来た私達から見るとびっくりする事であるが、本来教育なんて規則もなくその子の感性で作り上げて物なのだ。全員が出来上がらなくても良いし、「お前」呼ばわりされて たまげる事も教育で、こんな人が世の中には居るのだ?と感じることが教育だ。油布さんの教え方には形はないが、その後には豊かな人間性と優しさがあるので、どんな教え方をしても子供達には伝わっていると思う。竹篭を作らせる事より、学校の先生とは違う種類の人間が居る事を知ることが一番の授業だったりするのだ。

冷や汗物の竹細工教室も何とか終わり、タクシーでギャラリーへ11時半くらいに戻って来た。本日の実演当番は毛利さん、サブ担当が油布さん。私と大橋君はフリーの日で5時までにギャラリーに戻ってくれば良いとの事で、それぞれに市内観光へ、私達夫婦に毛利さんの子供が二人(タクト、ハヤト)がくっついて来た。二人とも今時の若者には珍しく素直な青年達だ。見ていて気持ちの良い兄弟である。まず、モンテナポリオーネ通り、ミラノの高級ブランド店が並ぶ通りをウィンドウショッピング、右1116_072を見ても、左を見ても色鮮やかなお店が連なる。どんどん歩いて来ると街の中心のドォーモまでやって来た。一目見るなり、釘付けになる雄大なゴシック建築、ヨーロッパ随一の大きさを誇る教会である。 ドォーモの近くの路上レストランでピザとパスタとリゾットなどの昼食を取り、その後、「最後の晩餐」のあるグラツェ教会を見て、レオナルド・ダ・ヴィンチの作った物が沢山展示してある、国立科学技術博物館を見学。途中の道で見つけたイタリアンジェラートを頬張りながら半日歩き続けて万歩計を見てみると13キロも歩いている。

1116_113 17時にギャラリーに帰って来るとギャラリーではオーナーの親戚の子供達が竹細工教室を受けるために待っていた。13人の子供達に日本人学校で教えたのと同じ「四海波花篭」を作らせた。今度は油布さんでなく、私が先生になって!私の場合は最初に「説明より先に進まないように!」と通訳に言って貰う。初めての子供達にとって、早い人がどんどん進み、隣を見てみると自分と違った事をやっているととても不安になるからだ。早い子供を抑えながら、ゆっくり、ゆっくり進めていく。全員が30分ほどで完成、みんな大喜びだ。でも、油布さんの様にハプニングがあった方が面白いかも?

ギャラリーのお客様は平日だったので、昨日の様にごった返す様なことは無く落ち着いた一日だったようだ。閉店後、10月末に日本にやって来た「リッチ」さんの事務所で夕食会の招待を受けていたので、全員で出かけて行った。リッチさんの手作りの料理と彼のワイナリーで作ったというシャンパンでおもてなし、通訳の楓子が酔っ払ってノックダウン。私達夫婦は途中で抜け出して、タクシーで楓ちゃんをミラノの友人宅まで送りホテルに戻って来た。この日も「トウェンティーフォー」の様な長い一日であった。

竹工房オンセ

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ミラノ通信2

2007年11月18日 17時49分50秒 | 海外事業展開グループ

1115日   昨日の疲れが抜けきらないうちに朝起きた。前日、夜遅くまで食べ過ぎ、飲み過ぎの反省から朝食は軽めに取った。カプチーノに生ハム、小さなパンを1個、ヨーグルトにフルーツ、それでも結構食べているか? ブログをホテルの電話を使ってアップしてみる。大変時間がかかる、これではとても写真をアップすることはあきらめよう、その日、その日の事を文章で上げ、写真は後日アップすることにした。その日のベストショット1枚に限定してアップできれば?

1115_053 9時半にホテルロビーに集合、メトロにて会場へ、昨日準備できなかったことを入念な打ち合わせしなくてはならない、レセプションに向けて、人の動線、時間的な流れを考えて着々と準備を進めていく、オープニングパーティーの時のテーブルの製作から、箸、紙皿、プラコップなど、ゴミが出たときの分別ゴミ箱まで作って行く。でも、1115_068 みんなでワイワイガヤガヤしながら、特に女性陣が居るとたわいの無い事で笑いあったりすると場が和む。一人、全体の指揮官を任せられた浜名さんだけが責任感と刻一刻と迫ってくるオープニングセレモニーへの重圧で強張っている。看板関係や全体のレイアウトもほぼ落ち着いた所で昼食休憩、今日は買出しに悦子と楓ちゃんがスーパーへ。フランスパンと生ハムを数種類、スライスチーズ、各自が自分でサンドを作って昼ごはん。マヨラーの由布さんが「マヨネーズは?」と聞くとケチンボの楓ちゃんが「もったいないので買いませんでした!」と。食後、私は大橋君とレセプションの出し物の一つである「四海波花篭」の製作の予行演習をしてみた。1115_1561115_1853  お客様の見る位置を想定して、動きや声を丹念に打ち合わせた。こういった細かい下準備が成功への第一歩なのだろう。お花も飾り付けられ、ギャラリーの外にも竹灯りの竹筒が100本ならべられる。今回の飾りつけなどのレイアウト担当は毛利さんだ。彼の指示で会場全体を作っていく。時たま、飾り付け途中にも時間を間違えたお客様が入り込んでくるが、丁重に後日来て頂く様お断りをして!

さて、いよいよ時間になった。16時~1830分がプレス対応の時間、19時よりオープニングレセプションの予定になっている。さて、本当にお客様が来てくれるのか?一人も来なかったらどうしよう?  以前、ミラノに在住していた日本食のシェフ新江氏に相談していた時、「アントニオ猪木のレセプションに料理を頼まれて作ったのだが、イタリア人プロデューサーは200人くらいお客が来るからと言っていたが、実際、始まってみたらお客様が5人だけしか来なかった。急遽、私達も呼び出されて全員で8人、料理は200人分、猪木が「元気だー!」とやっても元気が出ませんよネ」と脅されていた。本当にお客様は来てくれるの?せっかく大分からテレビ局も来ているのに、全然お客様が来なかったらシャレにならないよネ。16時~17時全然人が来ない!ますます、不安が募ってくる。17時くらいから、ポツリ、ポツリと記者やライター、雑誌の編集者などがやって来るようになった。だんだんと知り合いの人も入ってくる。以前から知り合っている波多野さんや彼が声を掛けてくれた友人たち、オーナーの招待客など少しずつ会場に活気が出てきた。やはり、イタリア時間だ。日本のように何時からスタートと言うとそれに合わせてみんなが集まってくるなんて事は無い。ダラダラと自分勝手に集まってくる。外の看板を見て面白そうだからと飛び込みで来ているイタリア人も居る。「良し、良しこれで何とかテレビ局が撮っても最低限の絵にはなる。」1830分、料理も届き、ワイン、お酒なども出され お客さんもどんどん入ってくる。私達作家4人もお客様の質問や対応に追われている。

1115_206  私の作品も現地の女性達から「これはいくらなの?」「売ってくれないの?」「素晴らしい!」「とても軽いわ!」「触ってみて滑らかさにびっくり!」「‥‥‥」「‥‥」次から次へと質問攻めだ。日本で個展をする時よりはっきりとした反応が返ってくる。嬉しい悲鳴だ!会場には何十人と動き回れないほど人が入っている。「ヤッター!」もうテレビ局どころではない。1115_2131915分くらいから毛利さんの出し物で1畳ほどの和紙に「絆」と書き込みが始まった。その後が私と大橋君とで大きな「四海波花篭」の製作、その花篭に油布さんが篭に手を付け、花を活ける。油布さんはお客さんが来ると言葉が通じないのでシドロモドロでウロウロするが竹ヒゴを持つと実に堂々と落ち着く。手に竹を持っていると普段の自分を取り戻すのだろう。まるで、コンセントを入れるとシャキッとなり、抜くとフニャとなるような感じだ。

1115_214 実に威風堂々と現地の花を活けこみ「私はこのギャラリーの木を切って、活け込む事で記念に残したい」などと油布さん独特のスピーチなどもはじめている。4人の作家の実演の後、ミラノ総領事がイタリア語で挨拶、その後、会を代表して大橋君が通訳を交えて挨拶した。しかし、会場は人、人、人で少し離れた所の人には声も届かなかったし、聞いてもいない!でも、そんな事どうでも良いくらい人が入ってくれて大成功である。ジェトロのミラノ支店の人たちも来てくれたが「今までジェトロが関わってこんなに人が入った催しはありません!」と本当に驚いていた。21時までごった返すような会場の賑わいが続いたが、2130分で閉場、やっと終った。「大成功」である。「万歳!ヤッター!」私も喉がからからで水を飲むことが出来たのも21時半、料理を見てみると一つも残っていない。それもそのはず、何人来るか?判らないので、立食式で50人分の料理しか注文していない。(日本で考えるほど沢山の量ではない)ワインを30本、日本酒3升、ソフトドリンク、あられなどの乾き物など‥‥。これでも多いのか?少ないのか?判らなかったのだが。結局、この日の来場者の数は180人を越えていた。日系人関係が30%くらい、現地のイタリア人が70%くらい、日本でもこんなに人が集まるレセプションは無いだろう。それほど、ミラノでは日本への感心が高いのと、現地スタッフである村山さんの事前広報活動、ジェトロミラノ事務所の協力などこれまでの下準備の結果である。本当にみなさんありがとうございました。

会場をある程度片付けホテルにぐったりとして返って来た。軽くシャワーを浴び、私はまだ興奮が冷め遣らないのか一人でワインを1本飲み干してしまった。心地良いまどろみを楽しみたいのだ!此処まで来るまでの2年半の積み重ねが走馬灯の様に次から次へと頭をよぎって行く。

竹工房オンセ

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