遂に光通信がやって来た!
3台のパソコンでネットを使っていても、今までに比べて早いこと、早いこと!
これでやっと、楽天のお店もちゃんと作る事が出来る。
と云うのは、4月に、楽天にもネットショップをオープンさせたのだ。しかし、楽天の管理画面は、非常に要領が大きく、開くのに物凄い時間が掛かる。ページを移動するにも、時間が掛かりすぎるのだ。
一生懸命、ページ編集をして、更新しようとすると、途中で時間切れになり、また、最初からやり直し・・・・・・・こんな時は、肩の力がガクッと落ちてしまう。
結局、中途半端なままではあるが、オープンさせたのが、この店だ。
http://www.rakuten.co.jp/nairebasi/
まだ、商品数も少なく、ページの作り込みの殆ど出来ていない。これから、本格的なスタートだ。
光通信が通ったことで、工房だけでなく、家中インターネットが使えるようになった。
そこで、面白半分で、今にあるテレビにネットを繋いでみた。
これは居間にある37インチのテレビに映った、このブログである。
だけど、パソコンで簡単に見れるものを、テレビで見ると云うだけで、何の意味があるのだろう?
グーグルに繋いで検索するのだが、リモコンで文字を打ち込んでいくのだが、キーボードが無いので文字を打ち込む遣り方は、携帯電話と同じような、1~12までの数字キーで打ち込まなければならない様だ。
もっと、進んだ使い方があるのかも知れないが、今のところ、これならテレビに繋がなくても良いや!
待ちに待った、光ファイバー通信がやって来た。
都会に住み人には、当たり前に使っているブロードバンド回線のありがたみは判らないのかも知れない。
たまたま、やって来た友人が、
「高江さん、電気工事なの?」と聞くので
「インターネットの光回線の工事なんだ。今まで、遅かったから、やっと早くなるよ!」
「ADSLだったの?」
「いやぁ、ISDNなの」
「ひぇ~、それは10年前だよ!」
と驚いていた。
昨年の春、宇佐市の行政施策として、「全市に高速インターネット通信の設置」が打ち出された。
私達が住むような過疎地では、こう云った、特別な行政サービスでない限り、未来永劫、光通信などは夢の夢だったのだ。
遂に、ターミナルルーターに、光ケーブルがつながれた。
「これで繋がりますので、後は、説明書を見てパソコンの設定をして下さい」
と、工事の業者は帰っていった。
先ずは、ルーターの一番近くにあったパソコンを繋いでみた。
「うぁぁぁぁ~」 思わず、歓声が沸く!
「早い!凄い!嬉しい!」
それでは、と、云う事で、ランケーブルをハブ(ランケーブルの分派機)に繋いで、もう一台につなげてみるが、そちらのパソコンはインターネットが繋がらない?
業者に電話してみると、パブでは一台のパソコンしか認識できなくて、沢山のパソコンを繋ぐのであれば、ルーターを通さないとダメだそうだ。
なるほど、
そこで、以前買っていた、バッファローの無線ランルーターを引っ張り出してきた。
それぞれの、パソコンに、ルーターのドライブを設定し、繋いでみる。
すると、3台のパソコンが無線で繋がるではないか!
「ヤッター!」
「遂に、遂に、我家も文明開化の風が吹く」
喜び勇んで、ノートパソコンを10メートルほど離れた、自宅に移動して、繋がるか試してみた。
驚くことに、別棟の我家でも、工房からの無線で繋がっている。
遂に、光がやって来た!
先日、京都に出張した時に食べたお好み焼き「茶花スペシャル」。
これを再現してみた。
先ず、キャベツを細かくみじん切りにして、中くらいの細さの青ねぎも、細かく輪切りにする、小麦粉を適度な濃度に溶いて置く、
中に入れる具は
紅しょうが
天かす
沢庵の賽の目切り (これは我家の特別メミュー)
新鮮なイカ
豚の三枚肉
此処までは、私は口加勢をするだけで・・・・
テーブルを片付けたり、
ホットプレートを用意したり、
箸、器、ビールグラスを用意する。
材料も全て揃いましたので、ホットプレートを熱して、調理開始。
此処からは、私とバトンタッチ!
小麦粉と具を混ぜた関西風だ。
ホットプレートに、お好み焼きの具を直径20センチほどに伸ばし、
その上に、イカと豚肉を乗せて、焼く、
しばらくして、ひっくり返す。
裏面は、豚の油がジューと染み出て、良い匂いがし出すのだ。
もう一度、ひっくり返し
その上に、お好みソースを塗り、
擦りたての山芋を乗せる
その上に、青ねぎをたっぷりと、
最後に、玉子の黄身を青ねぎの真ん中に落とす
此処まで、読んできた貴方の口の中は、このお好み焼きを想像して、唾液がにじみ出ているはずだ。
そして、出来たのがこれだ!
これを、お皿に取ってはいけない!
あくまで、鉄板の上で焼きながら、少しずつ切り分けて食べるのが、美味しく食べるコツである。
是非、家庭で試してみてください!
先日、夢中になって読んでしまった本がある。
寝る間も惜しんで読み込んでしまった。上下刊合わせて1200ページと云う大作である。風呂場まで持ち込んで読んでいた。
「錨をあげよ!」
作者の百田尚樹は、以前にも紹介したことがあるのだが、「永遠の0」と云う本をきっかけにファンになってしまった。
昭和30年大阪下町生まれ。その名は、作田又三。
下品で、ずるくて、しぶとくて、ルール無視でもお構いなし。
人生の至る所で敗北を喫しながらも、絶対にへこたれない不屈の男。
戦争が終わってちょうど十年目、いまだ空襲の跡が残る大阪の下町に生まれた作田又三。高度経済成長、六十年安保闘争、東京オリンピック、大阪万博、よど号 ハイジャック事件、日本列島改造論、石油ショック―激動の昭和の時代、生まれながらの野生児、作田又三は、人生という荒海を渡っていく。いざ、海図なき嵐 の海へ。さあ、錨を上げよ!疾風怒濤の圧倒的青春小説。
ちょうど、主人公の又三は私と同じ昭和30年生まれと云うこともあり、小説の中の時代背景に「そうだ!そうだったよね!」と、思わず相槌を打ちたくなるところがあり、感情移入させられてしまった。
小学生の頃からいわゆる悪たれで、教師や親の手を焼かせる存在。
本人は根っからの悪人というわけでもなく、ある意味無邪気なのであるが、
「枠にはめられようとすることに、本能的な抵抗感を示すところがある。」
こんなところは自分自身を見ているようだ。
吉川栄治の「宮本武蔵」の中の、主人公「武蔵」のストイックなまでの求道性と、相棒「又八」の人間くささ故の葛藤を併せ持った作品だ。
この本は、必見ですぞ!
先日、大分市内のフランス料理屋「プロバンス」で行われた、友人の「ミロ」さんの還暦パーティーに行って来ました。
気心の知れたメンバー20人ほど、全てが自粛・自粛と重く圧し掛かってくるこのごろだが、今日は「還暦祝い」をみんなで盛り上げようと集まった。
還暦になると、初めてこのメンバーに加わる事が出来るので、私は、まだ参加できない。
最近のお年よりは、みんな元気が良い。60歳を過ぎても、昔のようなイメージは無い。
この日も、ダンボールで作った、手作りのランドセルを背負って、新入生の歓迎会。
還暦組、組長「青木」さんは、自称「アルチュハイマー」と仰るように、毎日、毎日五合ほどの焼酎を欠かしたことが無いという・・・・・・・・
童心に戻って、学芸会の様な寸劇があったり、みんなで童謡を歌ったり、久しぶりに子供の頃に戻りました。
箸の通信販売 竹バッグ すべらない箸 名入れ箸 名入れ ギフト
このブログの応援をこめて、下のバナーを ポチッと押して下さい! ワンクリックありがとうございました。
「お尻が痛い!」
「えっ、高江さん、痔なの?」
いえ、いえ、けっして痔ではありません、今のところは?
実は、久しぶりに慣れない肉体労働をしたので、お尻の筋肉が痛いのだ。筋肉痛!
先日、知り合いの方から、「薪にちょうど良いのが、沢山あるので、もって来ちゃるわ!」と、
ダンプカー2台も、材木が届いた。
取り合えず、家の裏にザザーと下ろしてもらったのだが、何時までも、このままにしておくわけにはいかないので、出張から帰った昨日、一輪車を使って、片付けたのだ。
この材木は、どうして急に出て来たのか?と云うと、
何と、大震災の仮設住宅を作る時に、基礎打ちに使う「杭」を作る時に出た、端切れなのだ。
東北の仮設住宅を作るため、全国の材木屋さんに注文が出ているのだ。
普段は、それほど沢山作ることの無いものだが、今回は何万本と作らなくてはならないようで、端切れも山の様に出てくる。その処分に困ったものだそうだ。
こんな所にも、変な影響が出てくるのですな!
これを、朝から一輪車で、50センチくらいの物は、家の裏に、長いものは焚き付けの材料に、小さなものは、他の場所に・・・・・と分類しながら、えっちら、おっちら、運んだのだ。
中腰で薪を拾い、一輪車に積む、・・・今度は、一輪車の薪を拾って、積み上げていく・・・・
実に単純な仕事であるが、半日以上、中腰で仕事をしていた。けっこうな運動になった様だ。
翌日、全身の筋肉が痛い!
慣れない仕事で、普段使わない筋肉が悲鳴を上げている。特に背筋と腿の筋肉と、何と、お尻の筋肉までもが痛いのだ!
お尻を押すと、なんとも云えない筋肉痛がする。
昨日、染色釜の焚き付けに、この端切れを使ってみたのだが、残念ながら、直径が10センチ近くもあるので、このままでは、なかなか火に為らない、
「これは薪割りをしなくては為らないな!
きっと、今度は、背中の筋肉が悲鳴を上げそうだ!」
静岡市のお客様を見ていると、実にゆったりとして、大らかだ。
きっと、静岡県の温暖な気候が影響しているのだろう。
朝歩きをしていると、こんな道路を見つけた。何と、こんな道が駅前付近まで、づっと続いているのだ。
広い道路を三等分し、車と自転車と人とに分けている。
道を歩く速度も、実にゆっくりである。きっと、静岡県民が大阪に入ったなら、目が回って付いていけなくなるだろう。
47都道府県の中で,昔から「10番目の県」といわれる静岡県。その平均的な地域性から,新商品のテスト販売地となることも多いところである。
静岡は暖かく,産物は,お茶,ミカン,久能山の石垣イチゴ,浜名湖の鰻と,バラエティに富む。
こうした風土から,万事のんびりしていてお人好しで,おっ とりした人間が多いという。
お客様を見ていても、本当に義理堅く、「また、来ます。」と言われたお客様は必ず来てくれます。今回も5年ぶりなのに、以前からのお客様が、沢山、顔を出して「久しぶりですね、また、静岡に来たのですね。」と、声を掛けて頂いた。
また、皆様、来年お会いしましょう!
ありがとうございました。
「20年間、ありがとう!」とワイングラスをかさねた。
本当に、よく我儘な私を、この20年間支えてくれたものだ。
毎年、結婚記念日には、妻の好きな花束を贈っている。
今年は、21本のバラの花と小さなケーキとワインで乾杯だ。
「これからまた、20年間お願いしますね!」と・・・・・・
20年経ったら、75歳か?まだ、生きているかもしれないな?
男と女が出会い、結ばれる。子供が生まれて、さまざまな思い出を作りながら生きてくる、楽しい事、悲しい事、驚くこと、感激する事・・・・・・
そして巣立って行き、また、男と女の二人だけになる。
親子の関係は、切っても切れない縦軸での関係だが、夫婦の関係は、お互いが認め合い、求め会わなければ持続させていけない横軸での関係である。
「何の為にこの世に生まれてきたのだろう?」と考えると、突き詰めて考えていくと、「たった一人の愛すべき人と出会うため!」なのだと思う。
静岡松坂屋での催事も、震災後のタイミングを考えると、まずまずの結果で終えることが出来ました。
5年ぶりに、静岡での催事にも関わらず、以前からのお客様が沢山お出で下さいました。ありがとうございました。
また、「次回は1階でやってみませんか?」と、ありがたい申し出も頂き、期待が持てます。
最終日、片付けを終わり、新幹線で浜松へ、
本来は、名古屋まで移動をするつもりでいたのだが、浜松に住む、高校の同級生と会うことになり、浜松で途中下車。
浜松駅に迎えに来てくれたのは、高校2年の時の同級生で、現在は浜松市内で小学校の校長先生をしている竹中、こと、「タケ」と
高校3年の時の同級生で、現在、隣の磐田市に嫁いで来て社長婦人をしている「ケイコさん」だ。
50を過ぎた、おっさん、オバサンの会話であるのだが、気持ちは高校生に戻っている。「高校時代の高江君は野菜が嫌いで、カツサンドのキャベツを捨てていた」とか、「つっぱった格好をしているのに、真面目に試験勉強していたね」とか、他愛の無い話ばかりだ・・・・・・
時間の経つのも忘れて、話に夢中でした。
話していた時は、高校生だったが、こうして写真を見ると、やっぱりオッサンとオバサンだ。
恒例の朝歩きで、今回は駅の南側に行ってみた。
海岸までは、片道5キロあまり、
海岸まで行く途中で、「登呂遺跡」の看板を見つけていた。帰り道に立ち寄ってみようと思う。
「登呂遺跡」と云えば、小学校の時の社会の教科書に載っていた。昭和30年代の教科書には、必ず「登呂遺跡」が乗っていた筈だ。
現在は、「吉野ヶ里遺跡」や「三内丸山遺跡」など、もっと古く、大きな遺跡が発掘された為、登呂遺跡はあまり見ることはなくなってしまった。吉野ヶ里などの発見ですっかり影が薄くなってしまったが、昔は弥生時代の代表的遺跡として各地から修学旅行の学生で大人気だった様だ。
登呂遺跡から竹製の籠やざるが出土している。古来より駿河の地には、良質の苦竹、淡竹が豊富で、弥生時代の登呂遺跡からの出土品の中に竹製のザルが発見されるなど生活用具として、しっかりと根差していたことが伺える。
高床式の柱の部分は、「槍鉋」(やりかんな)で仕上げられた後がある。
現代の鉋と違い、槍のような形をした刃物で、横方向に削り上げていく道具だ。
法隆寺の大改修をした西岡常一さんの言葉の中に
「やりかんなは木目に沿って割った木を、繊維をはがすように削ります。檜の細胞を壊さずに削れるので、水が中にしみこまないのです。
法隆寺が世界最古の木造建築である秘密はやりがんなにもあったのです。」
と、言っている。
感心しながら、登呂遺跡でしばらく時間をつぶして帰ってきた。
小学校以来の念願がかなって、ちょっと満足!
今回の宿泊先は「マイホテル竜宮」
名前から想像すると、ちょっと古い旅館をイメージさせられるのだが、8階建てのビジネスホテルである。まだ、最近リニューアルしたのだろうか、室内は使い勝手もよく、お洒落な内装になっている。
女将も若女将も、いつも着物姿で迎えてくれる。
このホテルの一番の売りは、「若女将の笑顔」だ。
鈴木保奈美に似た美しい若女将、
朝、ホテルを出発するとき、「お願いします。」とキーを預けると、
「は~~~い、行ってらっしゃいませ~~~。」とちょっとキーの高めの声と、満面の微笑で送り出してくれる。
この笑顔で一日が幸せな気分になるから、ありがたい!
回りの人を幸せな気持ちにさせてくれるのだ。
笑顔で接するだけで、相手の気持ちが良くなり、幸せな気持ちになり、笑顔を返してくれる。それで、また本人も幸せな気持ちになれるのだ。
最初は作り笑いでも良いので、先ず、相手に笑顔を送ることで自分自身も気持ちが良くなっていくと、自然な笑顔が出るようになる。
この若女将の笑顔は、このホテルの一番の売りだ。
松坂屋での「職人2人展」では、お客様の少ない6階で行われている。
震災の影響で、消費が落ち込んでいる。また、先日までポイントセールが行われたばかりで、その直後と云うことも大変影響しているようだ。
最初は、お店から渡されたレイアウト通り、飾り付けをしていたのだが、
奥の方に高額品のバッグなどを置き、手前の通路に面した所に、買い易いお箸と実演テーブルを配置してあった。
しかし、通路にお客様が多いときは、実演でお客様の興味を引き、賑わいを作ると云うのは、セオリーであるが、
残念ながら、通りすがるお客様自体が少ない場合は、ちょっと勝手が違う。
それと、バッグに興味を持ってくれる方が入ってくる度に、作業を中断して、後ろを振り向か無ければならない。わざわざ、接客に行くと、お客様も警戒し、逃げていってしまう感じである。
そこで、三日目の夕方から、配置換え。
実演とお箸の展示を後ろに下げ、実演しているところから、事前に全体が見渡せるようにした。
奥にあった、バッグ関係を右サイドに集め、真ん中の空いたスペースに、荷物のダンボールで即席の展示台を作り、私の作品と、漆工房の宮園さんの作品を並べた。
「二人展」のつながりも出来、随分高級感が出た。
果たして、四日目からどんな反応になるのか?
やはり、実に見えてお客様の食い付きが違ってきたから面白い!
バッグを手に取る人が、非常に増えたのだ。自然に展示場の中に入って来てくれる。宮園さんの所も、メインのネックレスが前面に出されたことで、お客さんとの会話が、実にやり易くなっている。
お店の見せ方、飾り方が如何に大切か!
これからの、展開にも考えさせられる。
お陰さまで、この日を境に売り上げが回復した。
3年前の後継者育成事業で教えた生徒が、実家の浜松市に戻っている。
今回、静岡市での催事に合わせて会いに来てくれた。
http://once.blog.ocn.ne.jp/ajimu/2008/12/post_eea7.html
着物姿にズタ袋を背負って、まるで漫画の「俺の空」に出てくる安田一平の様な出で立ちで現れた。
今までの生徒の中で、一番元気の良い青年だ。
ちょっとやんちゃな「ガキ大将」と、云う感じだが、実に素直で気持ちの良い成年だ。
卒業した後も、毎年サツマイモや玉ねぎなど、家で出来た野菜を、義理堅く送ってきてくれる。
三年ぶりの再会に乾杯をした。場所は駅近くの居酒屋で、
静岡名物に舌鼓を打って、
静岡に来たら、「桜海老の掻き揚げ」は、絶対食べなければ為らない。静岡の春の名物である。
次に「静岡おでん」。4尺以上もある大鍋で、黒いだし汁で煮込まれたおでん。
お皿に取り分けられたら、魚粉を振りかけて食べるのだ。
刺身は、白子と桜海老とマグロの3種盛。
彼は、別府から実家の浜松に引き上げてから、ひょんな事から、手作りフルートを作る工房に就職していた。ヤマハ楽器でフルートを作っていた人達が独立して作った会社だ。現在、そこの見習い職人として働いている。フルート1本が100万円とか、ん百万円もするものを作っているそうだ。
仕事以外の時間は、サーフィンに行ったり、畑をしたりで絶えず体を動かしているので、精悍な体つきをしている。
話をしていて、今度の大震災に時間を作ってボランティアに行こうと思っているそうだ。
少ない自分の給料の中から、給料の10分の1だけずつ、寄付をしていくそうだ。
「まだ、まだ、先が長いですから、自分を越えた事をして、自分自身が行き詰ったんでは如何しようもありませんから、少しずつ寄付をする事にしました。」
偉い!
訳の判らない、自己保身ばかり考えている政治家に、彼のような素直な青年が精一杯やっていることを知らせてやりたい!
3時間、久しぶりに話をして、実に清清しい気持ちにさせられた。
箸の通信販売 竹バッグ すべらない箸 名入れ箸 名入れ ギフト
このブログの応援をこめて、下のバナーを ポチッと押して下さい! ワンクリックありがとうございました。
福岡の伝統工芸に「八女仏壇」がある。
宮園さんは、仏壇とか盆ちょうちんに蒔絵をする職人さんだ。ご主人と二人でやっている。普段は、お寺の内装・外装などの改修工事、今の時期は、盆ちょうちんの生産に追われて「猫の手でも借りたい」ほど忙しい時期だそうだ。
「その忙しい時期に、この静かな催事に来ていて良いの?」と、ちょっと心配になる。
彼女が催事で販売しているのは
蒔絵を施したアクセサリーだ。
作品以上に特徴的なのが、彼女の前向きな考え方と明るさである。少し違った表現をすれば、ノーテンキな性格?
見た目も雰囲気も小熊の様な感じの人である。
話していると、次から次へと素晴らしい語録が飛び出してくる。
「お握りをふたつで分けて食べたら美味しいよ!どんな物でも、人と分けあったら気持ちが良いし、美味しいとよ。」
「一人が10成功するより、10人が1づつ成功したほうが力があるとよ!」
「物を作ると云う幸せは、お金に換算できないの、自分は胸を張って貧乏って言えるけど、それ以上に幸せなの。」
「死ぬときに、100万円の札束を握って死んで行くより、人の手に握られて死んでいった方が良いでしょ!これが答えなの!」
ちょっと言葉足らずなので、判りにくい所もあるが、彼女の表情を見ていると充分伝わってくる。
最近、私は知り合った方に、「どんな時に幸せを感じる?」と聞いてみる。
すると、彼女は
「青空に洗濯物を干しているとき」だと言う。
「ちゃんと洗濯が出来て、その仕事の中に家族が健康で平和な毎日があると感じるとよ!」
んー、納得!
京都から静岡に移動してきた。
こちらも、桜が満開で市内のいたる所に美しく咲き誇っている。
朝早く起きて、朝歩きに出てみると、静岡市内の真ん中に駿府城跡ある。
外堀の上には桜並木が続き、お堀の水面には、桜の花が一面に広がっている。
駿府城の回りはジョギングをする人も多く、1周が1.5キロほど、私も1周を走ってみた。久しぶりに走ってみると1.5キロでも、けっこうな汗をかく。
『東海道中膝栗毛』を書いた十辺舎一九は、駿府の生まれだ。
心地よい汗をかいてホテルに戻ってきました。
今回の静岡松坂屋では、普段の催事会場とは違い、6階のリビングフロアーでの「職人2人展」と云う、小さな催しだ。
「職人展」とか「物産展」などの何十社と集まる大きな催事では無いので、お客様は少ない。特に大震災の影響で、非常に厳しい状況になっている。
2人展の相手は
福岡県八女市から来ている、漆工芸 かぐや姫の宮園さん。
宮園さんについては、また明日・・・ つづく