一昨日から東京へ。
10年ぶりに、朝の通勤ラッシュ時の埼京線に乗った。
手を離してもバッグが床に落ちないのは相変わらずだったが、
赤羽から池袋間では、思わず圧死するかと思ったくらい混んでいた。
こういうのを、乗車率220パーセントなどというのだろうか?
実家に住んでいたころは、別段、何も感じずに利用していたのだが、
地方に暮らし始めると、さすがにあの混雑は異様に感じる。あの混雑
の中、毎日通勤するのは、もう、無理だ。というか考えただけでもぞ
っとする。
それでも多くの人が、慣れた手つきで携帯をいじっていたり、中には
器用に文庫本を読んでいる人もいる。この辺では、座って本を読んで
通勤するなんて、始発駅でもなければ無理だろう。
随分、昔、バングラデッィシュとパキスタンで屋根まで人が乗っている
大混雑列車を見たことがあった。どう考えても、常識的には乗るのは無
理だし、いや、走るのでさえ無理だと思えるのだが、あの国の人らにと
っては、おそらく日本人の朝の埼京線レベルなのだろう。
あの混雑する列車の中にも器用に飲食したり、工夫して快適に過ごして
いる人もいたに違いない。
習慣というものは、たとえそれがどんなに異様とも思えるものであっても
人に工夫や発想力を与えてくれるのかもしれない。
地方に暮らして、随分、軟弱になったような気がした。
10年ぶりに、朝の通勤ラッシュ時の埼京線に乗った。
手を離してもバッグが床に落ちないのは相変わらずだったが、
赤羽から池袋間では、思わず圧死するかと思ったくらい混んでいた。
こういうのを、乗車率220パーセントなどというのだろうか?
実家に住んでいたころは、別段、何も感じずに利用していたのだが、
地方に暮らし始めると、さすがにあの混雑は異様に感じる。あの混雑
の中、毎日通勤するのは、もう、無理だ。というか考えただけでもぞ
っとする。
それでも多くの人が、慣れた手つきで携帯をいじっていたり、中には
器用に文庫本を読んでいる人もいる。この辺では、座って本を読んで
通勤するなんて、始発駅でもなければ無理だろう。
随分、昔、バングラデッィシュとパキスタンで屋根まで人が乗っている
大混雑列車を見たことがあった。どう考えても、常識的には乗るのは無
理だし、いや、走るのでさえ無理だと思えるのだが、あの国の人らにと
っては、おそらく日本人の朝の埼京線レベルなのだろう。
あの混雑する列車の中にも器用に飲食したり、工夫して快適に過ごして
いる人もいたに違いない。
習慣というものは、たとえそれがどんなに異様とも思えるものであっても
人に工夫や発想力を与えてくれるのかもしれない。
地方に暮らして、随分、軟弱になったような気がした。