ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

ケニア キベラスラム編

2019-04-13 00:38:06 | 旅行(海外)
サファリから戻った翌日、この日がケニアの最終日。今日の夜、オマーンのマスカットへ向かう。とりあえず何の予定もなかったが、案外、元気なのでスラムを見に行こうと思いついた。いや、本当はサファリの間、退屈だったので最後の日はどうしようかと考えていた時に、ふと思いついたのがスラムだった。

ナイロビには世界で2番目に大きなスラム(キベラスラム)がある。ちなみに世界一は、インドのムンバイにあるらしい。で、早々、ネットで検索。するとやはり最安値はニューケニアロッジで申し込む…とある。再び、ニューケニアロッジへ行くと、「今からでもいいよ…」と。ツアーなどと言っても、ガイドはキベラ出身のお兄さんに連れられてキベラを案内してもらうというもの。時間は3時間ほど。行きは、お兄さんに迎えに来てもらいダウンタウンから路線バスに乗ってキベラへ向かう。帰りはキベラのバス停まで見送ってもらい私たちだけで戻る。

このキベラ見学ツアー、一人2000ケニアシリング。およそ2000円。子供なんて参加しないので、子供料金なんてないと思われるが、半額にしてくれた。迎えに来てくれたのは32歳のドレッドヘアーのレゲエのお兄さん。でも、優しいそうだったので安心した。以前、訪れたとき良く乗った路線バス、懐かしい。ダウンタウンからキベラまでおよそ30分、30円ほど。

キベラスラム、ナイロビに住む人口の約半分、およそ80万~100万人以上が住んでいるとも言われている巨大なスラムだ。バス停から歩くこと10分、道を1本隔てただけでいきなりバラックの集合住宅が連なる巨大な集落、いや、町が広がる。道は人一人がやっと通れるほどの迷路のような道が入り組んでいる。案内がなければ絶対に迷い出れなくなる。

とにかく臭いが半端ではない。もう、ドブ臭というか物の腐った臭いというか何とも言えない臭いがスラム全体を包んでいる。鼻をつまみたいが、失礼なのでできない。娘もちょっと緊張している。スラムの中は、一見、無秩序のようだが、一応、ちゃんとした社会が形成されている。ほとんどが住宅だが、時折、商店、雑貨屋や肉屋、八百屋、金物屋などもある。そして学校やデイケアーなどの施設もちゃんとある。びっくりしたのが、アクセサリー工場やレンガ工場などの個人経営の会社のようなものも存在している。写真は基本自由だ。スラムの人間は、こういう外国人(NPOの人など)が来るのは比較的慣れているらしく、大人は無関心を装っているが、子供が来たことには驚いていた。学校では、娘は多くの子供たちに囲まれて、ひたすら髪の毛を触られていた。どうもストレートヘアーがめずらしい。子供は行動がストレートでわかり易い。

1時間ほど歩いて、一軒の家にお邪魔した。ガイドのレゲエ兄さんの知り合いの家のようだった。すべてがトタン作りで狭かったが、小さなテレビもあった。ソファアなどはどこからか拾ってきたもののような感じだ。この家のおばさんは少し英語を話した。部屋に入り、ソファに座ると、小さな子供たちが5人ほど入ってきた。皆、娘の隣に座りたがった。子供の一人はおばさんの娘で、あとはデイケアーで近所の子供を預かっているようだった。

キベラで暮らす人々にとって水の確保が一番の問題だ。所々に水道は引かれていても、頻繁に断水するらしい。あとは病気だ。病院はない。そもそもお金がないので罹れない。なので近くの森や林に入って薬草を探して対応する。大きな病気はスラムの人々が少しずつ、お金を出し合い診てもらうこともあるのだとか…。

おおよそ3時間ほど歩いて終了。いろんな話を聞いたが、これほど大きなスラムは国家規模で対応しないと改善なんて到底、無理な話だと思った。

帰り際、娘に「どうだった?」と聞くと、一番、印象に残ったのは、「ママが足場の悪いところで足を踏み外し、片足がドブにハマり半泣きになったこと…」とスラムとはまったく関係ないことを答えていた。

妻は妻で、「早くホテルに帰りたい、足が腐る…」と嘆いていた。確かにこれまでの人生であんなに汚いドブを見たことがなかった。しかもそんなドブに足を突っ込むなんて悪夢しかない。でも、ちょっと可笑しかった。

以上が、キベラスラムのゾーン1、(実際はそんな風にゾーンには分かれてはいないが…)の話だ。さらにゾーン2とゾーン3まであり、ゾーン3は完全に警察かボディガードを雇わないと行けない地域になっているのだとか。ゾーン2は、様々な違法な薬物や銃器、ワシントン条約違反ものなどを売る場所などを訪れるらしく、こちらもちょっとそれなりの人(キベラの長老など…)を雇わないといけないらしい。

興味はあったが、子連れなので諦めるしかなかった。

キベラで見たもの。いろいろ考えさせられる風景が、未だ、頭に焼き付いている。圧倒的な貧困に対して、どうすることもできない現実があった。もし、自分がここで生を受けたなら…と想像すると、正直、日本という国に生まれた幸運を思わずにはいられなかった。世界にはいろいろな国がある。シリアやイエメンやソマリアなどは、ここよりももっとずっと悲惨な状況にあるはず。

それを思えば、今、自分の抱える悩みやストレスなど、ちょっと小さなことに思えてくるから不思議だ。

とりあえず、ここで見た光景を忘れないでいようと思う。

こうして、ナイロビ滞在は終わった。


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