ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

合掌…

2018-05-17 21:19:32 | つぶやき
高度経済成長期だった1950年代から1960年代の半ばまで、元号で言えば昭和30年代頃、白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫が「三種の神器」と呼ばれていた。この3つを揃えることが理想であり、一種のステータスであり、経済成長の証のようなことだったと大人になってから知った。ちょうど、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の時代だ。その後、1965年頃からいざなぎ景気が始まると、今度は、カラーテレビ、クーラー、マイカーが「新三種の神器」と呼ばれるようになった。これも随分、後になってから知った。

この「三種の神器」から「新三種の神器」への流れは、西郷輝彦、橋幸夫、舟木一夫の「御三家」から、郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎の「新御三家」への流れとオーバーラップしていると勝手に思っている。なぜなら「御三家」が活躍し始めたのは「白黒テレビの中」で、「新御三家」が活躍していたのは「カラーテレビの中」だからだ。

私は昭和44年生まれなので、名前と顔は一致するけれど、タイムリーに「御三家」は知らない。片や「新御三家」も彼らがデビューした1972頃と言えば、まだ3歳くらいなので、正確に言えば、彼らを知ったのは、もうすでに「新御三家」というような呼び方をしなくなった頃からだったと思う。それでも小学校の低学年の頃、「新御三家」は、確かにまだアイドルだった。

昨日、西城秀樹が亡くなった。

子供の頃、家族で歌番組を見ていると、必ずと言っていいほど、長い髪を振り乱して歌う西城秀樹が出ていた。ちょっと真面目な雰囲気の野口五郎やヘラヘラしていてちょっとアホっぽい郷ひろみよりも、秀樹は断然、格好良かった。その後、たのきんトリオが出てきて、なんとなく男性アイドルがジャニーズの牙城になってしまうと、いつの間にか3人の中では郷ひろみの露出度が一番、多くなっていった記憶がある。もちろんその頃の秀樹の活躍を知らないだけかもしれないけれど…。

その後、随分、経って秀樹の脳梗塞のニュースを聞いたりもしたけれど、それでも私の中の西城秀樹のイメージは、いつまで経っても細い体で長い髪の若いころの秀樹のままだった。

そんな彼はすでに63歳だった。平均寿命から言えば、まだ若すぎるくらいだが、いつまでも若いころのままの秀樹のイメージしかない私にとって、彼の63歳という年齢と死というのは、あらためて自分の年齢の再確認(もう、あなたもいい歳なんですよ…、もういつ、何があってもおかしくない歳なんですよ…」ということを再認識させられる出来事になった。

変な言い方かもしれないが、彼が亡くなったショックというよりも、そういう意味でのショッキングな出来事として受け止めている。

とにもかくにも合掌。




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