本日、急遽、棚ボタ的に休みが取れた。
久しぶりに目覚まし無しでゆっくり寝て、
市内へ買い物に出かけた。連休のせいかどこも
人でいっぱいだ。そんな連休も、あと1日である。
久しぶりに米原万理を読んだ。
「他諺の空似」である。
著者自身は、3年前の5月に亡くなっておりこの本は
亡くなった後、今年の5月に出版されている。
どうやらなくなる前に、世界中の諺を集めていたようで、
ある。それにしても集めた諺は膨大である。良くも
ここまで…というしかない。
読んでいて思ったのは、世界中には良く似た諺が、
非常に多いということである。文化的な繋がりなど
全くなさそうな、遠く離れた異国どうしにも、似た
ような諺がいくつか存在するのだ。
米原万理の背景にあるのは、旧ソ連時代のプラハの
国際学校だったに違いない。当時の東側という、我々
とは異なった環境で育ったことが、彼女の一風変
わった世界観や表現方法の基礎になっているような
気がする。
ある意味、真の国際人というのは、案外こういう人を
言うのかもしれないと思った次第である。
もう少し長生きして、もっと書いていただきたかった、
残念である。

久しぶりに目覚まし無しでゆっくり寝て、
市内へ買い物に出かけた。連休のせいかどこも
人でいっぱいだ。そんな連休も、あと1日である。
久しぶりに米原万理を読んだ。
「他諺の空似」である。
著者自身は、3年前の5月に亡くなっておりこの本は
亡くなった後、今年の5月に出版されている。
どうやらなくなる前に、世界中の諺を集めていたようで、
ある。それにしても集めた諺は膨大である。良くも
ここまで…というしかない。
読んでいて思ったのは、世界中には良く似た諺が、
非常に多いということである。文化的な繋がりなど
全くなさそうな、遠く離れた異国どうしにも、似た
ような諺がいくつか存在するのだ。
米原万理の背景にあるのは、旧ソ連時代のプラハの
国際学校だったに違いない。当時の東側という、我々
とは異なった環境で育ったことが、彼女の一風変
わった世界観や表現方法の基礎になっているような
気がする。
ある意味、真の国際人というのは、案外こういう人を
言うのかもしれないと思った次第である。
もう少し長生きして、もっと書いていただきたかった、
残念である。
