「地雷を踏んだらサヨウナラ」現在、私の読んでいる本である。
この本は、ベトナム戦争当時フリーのカメラマンとして、現地に
単独潜行して活躍した戦争カメラマン、一ノ瀬泰造の残した手紙
を後日、編集し一冊の本にしたものである。
彼は、1973年11月、「アンコールワットをクメールルージュと
一緒に撮りたい」一心で現地に赴き、そのまま消息を絶ち、
1982年、両親によってその死亡が確認された。
享年26歳であった。
本の内容はそのほとんどが、彼が両親、友人などへ宛てた手紙と
また、両親、友人が彼に宛てた手紙から成っている。
それによると、彼の取材は本当に凄まじい。死に最も近いところで
仕事をしている。銃をカメラに持ち替えただけで、ほとんど兵士と
同じ立ち位置で戦争を撮っているのである。
まず、生命保険には絶対に入れないであろう。保険会社が許すまい。
ただ、読んでいてひとつだけ疑問が残った。それは「彼は死にたかったのでは
ないか」という疑問である。その文面からは全く死を恐れていない
どころか、好きな仕事で死ねるなら本望だとも手紙に綴っている。
しかし、これは本心ではないとしても、彼の行動がどうしても
死に近づく方向で行動しているようにしか読み取れないのである。
まあ、真意はどうであれ、私の26歳だった頃の生活と比べると
はずかしくなってしまうくらい、彼の人生は濃厚であった。
彼の残した写真には、彼がカンボジアが大好きであったことが
良くわかるものが多いと感じた。

この本は、ベトナム戦争当時フリーのカメラマンとして、現地に
単独潜行して活躍した戦争カメラマン、一ノ瀬泰造の残した手紙
を後日、編集し一冊の本にしたものである。
彼は、1973年11月、「アンコールワットをクメールルージュと
一緒に撮りたい」一心で現地に赴き、そのまま消息を絶ち、
1982年、両親によってその死亡が確認された。
享年26歳であった。
本の内容はそのほとんどが、彼が両親、友人などへ宛てた手紙と
また、両親、友人が彼に宛てた手紙から成っている。
それによると、彼の取材は本当に凄まじい。死に最も近いところで
仕事をしている。銃をカメラに持ち替えただけで、ほとんど兵士と
同じ立ち位置で戦争を撮っているのである。
まず、生命保険には絶対に入れないであろう。保険会社が許すまい。
ただ、読んでいてひとつだけ疑問が残った。それは「彼は死にたかったのでは
ないか」という疑問である。その文面からは全く死を恐れていない
どころか、好きな仕事で死ねるなら本望だとも手紙に綴っている。
しかし、これは本心ではないとしても、彼の行動がどうしても
死に近づく方向で行動しているようにしか読み取れないのである。
まあ、真意はどうであれ、私の26歳だった頃の生活と比べると
はずかしくなってしまうくらい、彼の人生は濃厚であった。
彼の残した写真には、彼がカンボジアが大好きであったことが
良くわかるものが多いと感じた。
