


午後から出掛け、ここと近くの王仁公園、王仁の墓を見学し、藤坂天満宮を訪れた。
京阪電車「枚方市駅」からバスで約30分「藤坂」下車、JR学研線で「藤坂駅」直ぐ。
※ 詳細は、後日HPに掲載します。


午後、京阪沿線「大和田駅」から北へ徒歩約20分の「もりぐち歴史館・旧中西家住宅」の見学に出掛ける。自宅から自転車で行く、片道約40分弱かかる。
今、お雛様も飾られている(3月3日まで)。
帰途、駅傍の「茨田堤遺跡」と、それにまつわる「堤根神社」を訪ねる。


《大 門》 柵の内側は濠になっている、住宅を囲んでいたらしい。
※ 写真が多いので、後日HPに掲載します。




広島、長崎に原爆が投下されて60年になる。広島では約15万人、長崎では約10万人の尊い命が奪われた。近年この痛恨の出来事の風化が著しいのはどうしたことだ。
敗戦当時のあの滾るような平和の喜びが失われ、今では右傾化が急速に進みつつあり先行き甚だ不安である。
核大国が率先して核を放棄しない限り核兵器は拡散し続け人類は滅亡に至るであろう。
今夜は淀川の花火大会、自宅近くの丘から約15キロ離れているが音が聞え、微かに花火が見える。
鉄塔左の黄色い円形と横の閃きが花火。

花火を楽しむことが出来る平和な世の中が何時何時までも続くように努めたい。




[秦河勝の墓]
秦河勝は秦氏の長で聖徳太子を補佐して6~7世紀に活躍、京都・太秦に「広隆寺」を建立。
五輪塔は豊臣秀吉の命で淀川左岸の文禄堤を築いた際に持ち去られ、現存する五輪塔は慶長2(1649)年に再建されたと説明板に記されている(要約)。
この墓は自宅から徒歩2分位のところの丘陵地にある。嘗てはこの一帯は竹薮であったが宅地開発で住宅が建ち並び墓も肩身をせまくして佇んでいる。墓域は精々約6~7メートル四方。

[左は側面の写真]



公園の一角には「寝屋古墳」がある。
直径22メートル、高さ5メートルの古墳で、横穴式石室の大きさは北河内では最大規模。
古墳時代後期末に築かれたと考えられ、大阪府の史跡に指定されている。
寝屋川には「秦河勝」の墓もあり、川勝、秦、太秦の地名が現在も残っており、古代人が活躍した土地柄であることが窺える。
[下記・寝屋川公園にリンク]
「寝屋川公園」
[写真は市の由緒説明碑]
次は、そこから抜粋
「国松の弘法井戸」
江戸時代の「河内名所図会」に「三ツ井郡村の東、三ツ井村にあり、二ツ井は国松村にあり。一つ井は高宮村にあり」と市内三箇所の名井が紹介されています。そのうち、現在残っているのは、ここ国松の井戸(二ツ井)だけです。
この井戸は「弘法井戸」と呼ばれ、地域の人々の生活用水として利用されてきました・・・」
次は、そこから抜粋
「国松の弘法井戸」
江戸時代の「河内名所図会」に「三ツ井郡村の東、三ツ井村にあり、二ツ井は国松村にあり。一つ井は高宮村にあり」と市内三箇所の名井が紹介されています。そのうち、現在残っているのは、ここ国松の井戸(二ツ井)だけです。
この井戸は「弘法井戸」と呼ばれ、地域の人々の生活用水として利用されてきました・・・」