一時寒の戻りで肌寒い
日中も冷え冷えとして生憎花見には不向きな気候、それでもチラホラと弁当を開く家族連れや桜見物旁々散歩、ランニングをしている人々の姿を見かける。28日からライトアップ(昨年から始まる)されたが夜は寒くてとても見に行く気がしない。
打上川治水緑地は自宅から徒歩5分弱の所にある。4月4日頃から暖かくなり見頃になると報じられているので、その頃に夜桜観賞を考えている。
まだ4〜5分咲き程度か
↓店も出ているが所謂屋台ではなく、[寝屋川市郷土銘菓開発協議会加盟店]
一時寒の戻りで肌寒い
日中も冷え冷えとして生憎花見には不向きな気候、それでもチラホラと弁当を開く家族連れや桜見物旁々散歩、ランニングをしている人々の姿を見かける。28日からライトアップ(昨年から始まる)されたが夜は寒くてとても見に行く気がしない。
打上川治水緑地は自宅から徒歩5分弱の所にある。4月4日頃から暖かくなり見頃になると報じられているので、その頃に夜桜観賞を考えている。
まだ4〜5分咲き程度か
↓店も出ているが所謂屋台ではなく、[寝屋川市郷土銘菓開発協議会加盟店]
入場料・大人2,200円、中高生1,300円、子供(3歳以上)1,100円
料金だけの値打ちがあり長時間楽しめた
別途、施設により有料
こども達も楽しめる企画がいろいろと
チャンバラのお相手に 男の子も女の子もはしゃぎ回っていた
仮面ライダーワールド
↓様々なグッズも販売されている
様々な衣装を借りて撮影できる(有料)
↓満開の桜も楽しめました
また続けて〝東映太秦映画村〟を掲載します
美空ひばり像
各種「テーマ館」があり、有料のものもある
忍者屋敷には長い列ができている
時代劇姿の人々があちこちで散見され気さくに撮影に応じてくれる
↓ポニーも1役貢献 馬に乗っただけの写真撮影に300円とは安いのか高いのか
*続 く
大阪18.3℃暑いほど
太秦映画村一時お休みします
NHK朝ドラ〝まんぷく〟セット
毎年NHK朝ドラが3月に終わるとNHK大阪放送局でセットが展示されるので見に行くことにしている。
こども達は丁度春休みと言うこともあり老若男女大勢の人で賑わっていた。
ドラマは日清食品の創始者・安藤百福を取り上げ主な舞台は大阪府池田で特に大阪人に人気のドラマになっている。
↑松坂慶子が好演
↑漫画の人物の後ろに立てば持参のカメラに記念の撮影をしてくれる係員がいる
↓出演者の衣装も展示
↑即席ㇻーメン研究所
喫 茶 店
アトリエ
帰途大阪城の西堀の外周を回り京橋駅に向かう 桜チラホラ
色々な遊覧船が往き来している
時々暖かい
番外の嬉しいこと、今朝(25日)所用で枚方に出掛けた、乗車した電車は超満員、すると中学生らしき少年が4,5人席に座っていたが全員一斉にさっと立って席を譲ってくれた、少し会話を交わしたが彼らは枚方公園駅で下車、「楽しんできてネ」と言うと「有難うございました」と言い下車した、誠に爽やかな少年達で1日気分浮き浮きさせてもらった。
突然怪獣が浮かび上がり水蒸気を吐く
一定時間に忍者ショーが開催される
吉 原 遊 郭
↑大 門
*続 く
寒の戻りで稍々冷え込む
若い頃から山陰線(嵯峨野線)で太秦付近を列車で通る度に東映太秦映画村の看板を見ては何時かここを訪れたいと思っていたが、その念願漸く叶え太秦〝東映太秦映画村〟に行く。
JR京都駅で嵐山行電車に乗車、外国人を含む観光客で満員、中国人らしき少女が席を譲ってくれた、遠くからの旅で疲れているであろうと思うと申し訳なく感謝した。
嵐電近くの駅からの正面入口でなくJR太秦駅から徒歩5分の(西側の)撮影所入口から入る。
以下見かけた建物やセット等の風景を順序不同で掲載
火の見櫓
*続 く
一時 稍々ひんやりする
《ものずくりイズム館》
1970年の万博を彷彿させる
↓訪問した日付
ここでは新製品の数々が展示されている
↑↓時代を追って映像が大スクリーンに流れる
↓ 〝さくら広場〟
190本のソメイヨシノが植えられている、間もなく満開の景色が見られることだろう
春
創業の地 大阪市北区西野田大開町
今後松下幸之助ような優れた人物は出ないのではなかろうか、単に事業家としての他に近江商人の所謂三方よしの“売り手よし”“買い手よし”“世間よし”の3つのよしの精神に通底する倫理哲学を持っていた。これは儲け第一主義の今の起業家には殆ど見られないのでは。
〝松下幸之助の歩みと業績〟
1 894年11月27日、和歌山県海草郡和佐村千旦ノ木(現:和歌山市禰宜)で生まれる。
幸之助は尋常小学校を4年で中退し、9歳で宮田火鉢店に丁稚奉公に出され後奉公先を五代自転車に移す。
16歳で大阪電灯(現:関西電力)に入社し、7年間勤務する。当時の電球は自宅に直接電線を引く方式で、電球の取り外しも専門知識が必要な危険な作業であったため、簡単に電球を取り外すことができる電球ソケットを在職中に考案する。1913年に18歳で関西商工学校夜間部予科に入学した。1917年、大阪電灯を依願退職した。
大阪府東成郡鶴橋町猪飼野(現:大阪市東成区玉津2丁目)の自宅で、妻むめのと、その弟の井植歳男(営業担当、後に専務取締役、戦後に三洋電機を創業して独立)とソケットの製造販売に着手。
1918年に大阪市北区西野田大開町(現:大阪市福島区大開2丁目)で松下電気器具製作所を創業。電球ソケットに続き、カンテラ式で取り外し可能な自転車用電池ランプ(1925年から「ナショナル」商標を使用開始)を考案し、これらのヒットで乾電池などにも手を広げた。 1929年の松下電器製作所への改称した。
1932年を事業拡大のため土地が広い門真市に本社・工場を移転し1935年には松下電器産業株式会社として法人化した。
その後の発展は人口に膾炙するするところである。
1989年4月27日松下記念病院(守口市)において死去。享年94。
先日の新聞報道によると松下一族の副会長が退任し松下の社内での系譜は途絶えるようである。既に「松下電器」「National」が消えており一抹の寂しさを感じる。
《松下開業初期の家内工業》
↓昔のソケットの基幹部品の作成
*続 く
快晴で初夏を思わす温かさ
パナソニックミュージアムオープン1周年記念企画展が3月7日(木)~4月20日(土)まで開催されている、京阪電車「西三荘」駅から徒歩2分、自宅からだと電車で5駅目、約10分で行ける
入場無料
左「松下幸之助歴史館」入口傍で松下幸之助像が迎えてくれる、右は「浮くかたち一垂」のモニュメント 2018年
一番右に「松下幸之助歴史館」その左「ものづくりイズム館」その左「さくら広場」
「松下幸之助歴史館」
「松下幸之助歴史館」受付
展示場入口
*続 く