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今季の紅葉の見納めと〝嵐 山〟へ

2016-11-26 21:54:48 | 風 景

小春日和も朝晩寒い 旧暦10月小27日
 今季の紅葉はそろそろ終わりに近づいてきた見納めは何処にしようかと思案、まず京都にと思い、さてそれでは場所はと迷った末に穴場と言われる「二尊院」近くの「厭離庵(えんりあん)」を考えたが、ここは朝早く開門前に行かねば観覧困難との情報、東福寺も考えたが以前の大行列を想い出し、また以前訪れた穴場の鷹峯はバスの混雑が予想されやめる
 そこで入場しなくても楽しめる場所もある平凡ではあるが長らく訪れていない「嵐山」に決めた。嵐電・嵐山駅近くの「天龍寺」を覗いたが長蛇の列、その近くの嘗て訪れ紅葉の美しさが忘れられない「宝厳院」ここも長蛇の列、遠望も素晴らしい「大河内山荘」もとても無理と渡月橋周辺の散策にする。



 ↑宝厳院の長蛇の列
 ↓渡月橋は人人人で身動きできないほど


 丁度昼時で食事処を探したがどこもここも列をなし店によっては2時間半待ち、以前利用した橋を渡った傍の比較的すいていた店を想い出し漸く昼食にありついた↓1人前3800円強。

 ↓周辺の見晴らしが良い食事処からの撮影

 ↓沢山のボートや観光船が







 物凄い人で梅田界隈の混雑を凌ぐ、静かに紅葉を楽しむことなど程遠く人を見に来たようなものだ
 嵐電・嵐山駅のホームは人で溢れ電車に乗れず積み残しが次々とでる、観光バスも駐車場が一杯で入れない。こんな混雑ぶりはテレビでも報道していたらしい

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北野天満宮から旧三井家下鴨別邸へ 続き《完》

2016-11-24 20:33:54 | 学 び

寒さ今冬1番 旧暦10月小25日
 旧三井家下鴨別邸とは
 旧三井家下鴨別邸は、下鴨神社の南に位置し、三井家11家の共有の別邸として三井北家(総領家)第10代の三井八郎右衞門高棟(たかみね)によって建築されました。この地には明治42年(1909)に三井家の祖霊社である顕名霊社(あきなれいしゃ)が遷座され、その参拝の際の休憩所とするため、大正14年(1925)に建築されたのが現在の旧邸です。建築に際しては、木屋町三条上るにあった三井家の木屋町別邸が主屋として移築されました。昭和24年(1949)には国に譲渡され、昭和26年(1951)以降,京都家庭裁判所の所長宿舎として平成19年まで使用されました。近代京都で初期に建設された主屋を中心として、大正期までに整えられた大規模別邸の屋敷構えが良好に保存されており、高い歴史的価値を有していることから平成23年に重要文化財に指定されました。[配付された案内より]

 ↓鳥居が見えているように、ここは下鴨神社への南の入口です、左が旧三井家下鴨別邸



               
 正午前に最初訪れた時は前述したように大勢の人で入場制限されていたが、再度訪れた15時頃は15人ほど入口付近で列をなしていたが、間もなく入れた、しかし3Fの望楼(通常非公開)に登るには1Fで待たされ更に2Fで30分待たされる↓60名が待っていて指示により20名づつ交代で登る

















 ↑玄関入った所の杉戸絵  原在正(はら ざいせい)「孔雀牡丹図」







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北野天満宮から旧三井家下鴨別邸へ

2016-11-22 21:14:55 | 風 景

旧暦10月小23日 小雪
 旧三井家下鴨別邸が12月4日まで特別公開されているので他にモミジ見物旁々出掛ける、旧三井家下鴨別邸は京阪電車・出町柳駅から徒歩約5分の至便の場所にある、訪れた時は正午頃だった。
 大勢の見物客に加えて観光バスの団体さんが次々とやって来て入場制限、お目当ての三階望楼に上がるには90分待ちと言う。そこでモミジ見物に予定していた北野天満宮を先にする。
  
 北野天満宮を訪ねた理由は4月19日の見渡す限り眼の覚めるような見事な〝青もみじ〟が素晴らしかったので、これが紅葉すると絶景に違いないと思ったからだが稍々期待に反した。

 ↑↓北野天満宮の直ぐ南にある有名な「うどん屋」以前北野天満宮を訪れた際2度ほどこの店に立寄ったが1度は満員、1度は14時頃だったが売り切れ閉店、兎に角広く知れ渡っており何時も盛況。今回は幸運にも待たずにありつけた、下の写真の太いうどんが名物だ。


 ↓4月19日の〝青もみじ〟



 

























 この後再び〝旧三井家下鴨別邸〟を訪ねる、次回掲載する

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登録有形文化財〝樟 徳 館〟見学 続きⅡ《完》

2016-11-17 21:45:50 | 学 び

 旧暦10月小18日

 ↓客間・和室  1/4円形の珍しい障子窓

 和洋折衷 床は当時では珍しいチーク材を使った寄木貼り



               継ぎ目のない長い板を使ったら廊下
           
 








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登録有形文化財〝樟 徳 館〟見学 続きⅠ

2016-11-16 20:09:49 | 学 び

 旧暦10月小17日

 ↓応 接 室

 ↓応接室の天井 楠の1枚板を使用

 ↓執 事 室 秘書の役割を持った執事を常駐させていた 左奥には内玄関とつながる窓口

 ↓内 玄 関

 ↓女中(現在のお手伝いさん)部屋 ここから大玄関、内玄関が良く見え人の出入りが分かる

 ↓この板の〇印が点灯するとベルが鳴りどの部屋から呼び出しがあるのか女中部屋から分かる






 ↑食  堂 アールデコ調の照明 ↓床は色の異なる木材を使った寄木貼、70年経つても破損や狂いがない
 ↑食  堂   ↓食堂への調理場からの配膳口   

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登録有形文化財〝樟 徳 館〟見学

2016-11-15 10:59:55 | 学 び

 旧暦10月小16日 昨夜は雨でスーパームーンは見られなかったが、さて今夜十六夜の月は見られるか微妙である。
 去る12日(土)樟徳館(しょうとくかん)[近鉄長瀬駅から徒歩約5分]を見学して来た、きっかけは11月9日の毎日新聞を見て知った。大勢の見学者で混雑した。
            
  樟蔭学園は11月12日・13日の2日間、同学園が保有する登録有形文化財「樟徳館(しょうとくかん)」(東大阪市菱屋西2)を一般公開する。
  同学園の創立者・森平蔵は1875(明治8)年に兵庫県で生まれ、16歳で大阪市内の木材商に見習い奉公に入り、26歳で独立開業。独立後は木材販売や植林業で成功を収め、木材を運搬する船舶に着目して汽船会社を設立した。大正初期の大阪では商家の子女を中心に教育に対する意識が高まっていたが、学校数が不足しており、平蔵は私財を投じて高等女学校設立することを決意。1917(大正6)年に設置認可を受け、翌1918年に樟蔭高等女学校を開校した。
 同館は、帝国キネマ映画長瀬撮影所の跡地を入手した平蔵が、構想を含め1939(昭和14)年の完成まで7年の歳月をかけて建築した私邸。大阪有数の材木商だった平蔵は、現在では入手困難な銘木を日本中から集め、原木から製材するための専用の製材所を隣地に設けるなど材木にこだわり、「関西で最高の松普請」といわれる大正モダンの香り漂う住居を築いた。建物は平蔵が1960(昭和35)年に亡くなった後、遺志により同学園に寄贈され「樟徳館」と名付けられた。
 建築面積1305平方メートルの建物は、外観は純和風、内観は和洋折衷の装飾が施されているのが特徴で、応接室は天井に大きなクスノキの一枚板、壁には西陣綴(つづ)れ織のクロス、曲線を用いた火灯(花頭)窓など、当時の最高技術が集結。2000年には「造形の規範となり、再現が容易でないもの」として、母屋・土蔵・鎮守社・門・東塀・南塀の6点が国の登録有形文化財に登録された。現在では、NHK連続テレビ小説「あさが来た」や「カーネーション」など、ドラマの撮影にも使われている
 過去の一般公開時は、地域の人や建築関係者、建築に関心のある学生など、2日間で約2000人が来場した。一般公開する2日間には「樟徳館の魅力」と題し、同学園監事の藤原準二さんが解説する説明会を、各日11時からと13時からの2回行う。
 同学園スタッフは「木造2階建ての関西最高の松普請。今では入手困難な材木や、今ではできない技法を使った建築美を肌で感じていただけたら」と話す。
 開催時間は11時~16時(受付は15時まで)。入場無料。[東大阪経済新聞より引用]







                   ↑学園監事の藤原準二さんの解説
       
*続 く

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静岡・神奈川方面の旅  続きⅢ 《完》

2016-11-13 21:49:26 | (小)旅 行

小春日和 日中動くと汗ばむ 旧暦10月小14日
第3日目・早雲山駅⇒箱根ケーブルカー⇒強羅駅⇒箱根登山鉄道⇒桃源台駅⇒箱根ロープウェ 
     ⇒箱根園⇒箱根神社⇒浜松駅⇒新大阪駅


 [ケーブルカー] 早雲山駅⇒強羅駅

 ↓
ケーブルカー乗り場


 [箱根登山鉄道] 強羅駅⇒箱根湯本駅

 ↑強羅駅  
 箱根登山鉄道は
1919年に開業した。
日本の粘着式鉄道では最急の勾配や急カーブ、スイッチバックなどがある山岳鉄道で、「日本唯一の(本格的な)登山電車」とも紹介されることがある。
 
箱根湯本駅と小涌谷駅の間には、80‰という日本の粘着式鉄道では最急となる勾配が存在する。80‰の勾配とは、1,000m進む間に高低差が80mにもなるというもので、これは軌条(レール)を固定せずに枕木の上に置いただけでは、自然に下に滑り落ちてしまうほどの勾配であり、角度にすると約5度である。1両の全長が14.6mの車両でも、80‰勾配においては前後で1.1mほどの高低差がつく。[ウイキペディアより一部引用]
 ↓車窓からの風景




 ↓スイッチバック


 [箱根ロープウェイ] 桃源台駅⇒姥子駅(海抜878m)
 


 ロープからの眺め




 [箱根神社]
 

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静岡・神奈川方面の旅  続きⅡ

2016-11-12 22:36:27 | (小)旅 行

快晴小春日和 旧暦10月小13日
第2日目鶴岡八幡宮⇒鎌倉小町通り散策と自由昼食⇒鎌倉大仏江ノ島電鉄乗車、江ノ島


 鶴岡八幡宮


 


 


 鎌 倉 大 仏




 江ノ電⇒江ノ島



 ↓江ノ島に渡る道が右に見える  この道をバスで渡った

 展望台までは有料のエスカレーターで確か4か所に分かれて登る   ↓その途中で

 ↓展望台入口

 ↓展望台からの眺め  展望台からは360度眺めが楽しめる、生憎富士山は見えず


 エスカレーターや展望台は江ノ電の経営
 ↓こんな魚介類を焼いて食べさせる店を含め大小沢山の店があり都会の雑踏並の賑わい

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静岡・神奈川方面の旅 続きⅠ

2016-11-11 22:07:10 | (小)旅 行

日中動くと汗ばむ 旧暦10月小12日
第1日目・新大阪駅⇒浜松駅⇒焼津さかなセンター(自由昼食)⇒三保の松原芦ノ湖遊覧船



焼津さかなセンター

 大きな食事処もあったが大勢の客で食事場所を見つけるのに一苦労

 ↓1,800円の荒磯刺身定食  刺身の量は多くて全部食べられない



三保の松原
 入口 
 ↓板張りの歩道が整備されていて歩きやすい 500m先まで歩く 以前はこんな歩道はなくバスは乗り入れていた 松林保護のため自動車の乗り入れが禁止となる









芦ノ湖遊覧船

 ↓乗船した船

 ↓箱根神社の鳥居が見える

 夕暮れ迫る


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静岡・神奈川方面の旅

2016-11-09 20:41:55 | (小)旅 行

時々 旧暦10月小10日
 阪急交通社・2泊3日のパック旅行
 去る3日~5日にかけて絶好の天気に恵まれ三保の松原・箱根・鎌倉・江ノ島方面の旅をした、鎌倉の鶴岡八幡宮、鎌倉大仏は高校の修学旅行で訪れたが細かい記憶はない
 三保の松原や箱根も嘗て訪れたが箱根は同じ地でも見物場所が異なり、亦違った体験ができた、江ノ島は初めて訪れたが想像と全く違った風景に驚いた、島にはバスで渡ることが出来、島全体が観光地となっていて大勢の人で溢れていた
 行程
 第1日目・新大阪駅⇒浜松駅⇒焼津さかなセンター(自由昼食)⇒三保の松原⇒芦ノ湖遊覧船
 第2日目・鶴岡八幡宮⇒鎌倉小町通り散策と自由昼食⇒鎌倉大仏⇒江ノ島電鉄乗車-江ノ島
 第3日目・早雲山駅⇒箱根ケーブルカー⇒強羅駅⇒箱根登山鉄道⇒桃源台駅⇒箱根ロープウェ   
      イ⇒箱根園⇒箱根神社⇒浜松駅⇒新大阪駅
 1,2泊とも[箱根湯の花プリンスホテル]での連泊  
      此処の食事は和会席と和洋折衷会席で抜群に良かった
      最近バイキング形式の料理が多いけれど、これはせわしない



                        以下ホテルでの光景














*続 く

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