BLOG行雲流水

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〝華 の 竸 艶〟(はなのきょうえん)

2009-07-29 22:56:28 | 
一時 蒸し暑し 旧暦6月小8日
 
               《サマー・グリーン》
 管状の折り曲げてあるのは木賊(とくさ)、裏白に似た葉っぱはアスパラの葉

   
        アサガオ(7輪は今夏最多)も夕顔も沢山咲いた
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所用で尼崎へ

2009-07-26 20:41:07 | Weblog
時々 旧暦6月小5日 
 九州北部、山口県では水害が甚大、衷心よりお見舞申し上げます。1日も早い復旧をお祈りしています。
        
別鉢の「初咲き

          ↑京阪電車お馴染の「階段アート」
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22日の〝第二無鄰菴〟跡  《完》

2009-07-25 23:34:47 | 風 景
 旧暦6月小4日  大阪天神祭り
 〝第二無鄰菴〟(京都市中京区木屋町通二条下ル東生洲町484-6)は約380年前の慶長16年、豪商・角倉了以の別邸としてつくられた。
 
その後明治の元勲・山縣有朋の別邸〝第二無鄰菴〟、第三代日本銀行総裁・川田小一郎の別邸、阿倍市太郎、現在は大岩邸、「がんこ高瀬川二条苑」となっている。
 22日此処で昼食を摂った。10%のサービス料がかかるものの料金はリーズナブルで庭園を眺めながらゆったり食事ができる。今の時期は賀茂川に面して「納涼川床」もある。
 
尚、庭園だけの観賞も出来る、無料
   
              ↑入口にある碑





 ↑邸内には高瀬川の流れを取り込んでいる
    


 ↑「茶 室」 秀吉が好んだ金の茶室と同じ形式の中板3畳にじり口ではなく貴賓口がある
    
 ↑「一枚岩の滝」東山から高瀬川が滝のように流れるイメージでつくられた
    
             ↑樹齢約150年の紅梅

 ↑吾妻屋風「灯 篭」全体は御影石、支柱は網代石で、日本一大きい灯篭

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 この家屋・庭園の直ぐ西には「高瀬川」が流れている

 

 ↑この付近は「舟入」(荷物のあげおろしをする船溜所)となっていた、舟入は他にも数箇所あった

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                無 鄰 菴
 
*京都市が所有
 *京都市左京区南禅寺草川町31番地
 *交通
  京都市営地下鉄東西線 蹴上駅から徒歩約7分
  京都市営バス 京都会館美術館前バス停(平安神宮大鳥居下)から徒歩約9分
 *無鄰菴は,明治27年(1894)から明治29年(1896)にかけて明治・大正の元老である山県有朋が造営した別荘で、その名は,有朋が長州(山口県)に建てた草庵が隣家のない閑静な場所であったことから名付けられたという。

 2007年5月22日此処を訪れた時の写真を若干掲載します。
 ↓入  口


 ↓有朋自らの設計・監督により,造園家・小川治兵衛が作庭したもので,ゆるやかな傾斜地に,東山を借景とし,疏水の水をとり入れ,三段の滝,池,芝生を配した池泉廻遊式庭園となっている。


 ↓簡素な木造2階建の母屋


 ↓明治31年建立(煉瓦造2階建て) 洋館内部の一室
 2階には江戸時代初期の狩野派による金碧花鳥図障壁画で飾られた部屋があり,ここで明治36年(1903)4月21日,元老・山県有朋,政友会総裁・伊藤博文,総理大臣・桂太郎,外務大臣・小村寿太郎の4人によって,日露開戦直前のわが国外交方針を決める「無鄰菴会議」が開かれた。
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22日の〝梨木神社〟

2009-07-24 21:13:35 | 風 景

 旧暦6月小3日 
 
プールで一泳ぎ、自転車での片道約15分は汗ダクダクとなるが水に浸かっている間は暑さを忘れて誠に心地よい

  
 ↑は花に白い縦の線の入る品種「富 士」   「夕 顔」もアサガオに負けずに咲きました
たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時」 [福井の文人・橘曙覧(たちばなのあけみ)[文化9年(1812年) - 慶応4年((1868年)8月28日]の歌]
  これから約2ヶ月毎朝がたのしみだ
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                《梨木神社》

 ↑この神社は「京都御苑」清和院御門の傍にある


  
 ↑萩の名所として有名、毎年9月中旬から下旬に「萩祭り」で賑う
   
          ↑入口付近には僅かに開花あり
   
    ↑境内にはこんな苔むした古木が何本も見受けられる


 ↑手水舎の井戸「染 井」 右側には蛇口がある
 醒ヶ井(さめがい)、県井(あがたい)と並ぶ京都御所三名水の一つで、ここが唯一残る
 次々とペットボトルを何本も持った人々が水汲みに訪れるている。
  ↓「湯川 秀樹」博士の歌碑

 ↑右下木製の歌碑案内板は合成しました、年月を経て湯川秀樹の文字は消えかかっている

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22日の〝迎 賓 館〟

2009-07-23 22:26:48 | 学 び

 湿度が低く暑いがカラットした天気 旧暦6月小2日 大暑
         我家のアサガオ
 ↑種蒔が遅かったからだろう昨年より約10日遅れの開花、咲き始めは例年、花はいびつだ
     

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《迎 賓 館》

 ↑「夕映の間」(大会議室) 比叡山をデザイン
 ↓「夕映の間」(大会議室) 愛宕山をデザイン 何れも西陣織


 ↓「藤の間」 晩餐室 日本の四季の花をあしらった西陣織


   
 ↓「藤の間」 指物と和紙による照明 「光天井」 

 ↓「藤の間」から見た庭園



 ↓「桐の間」(大広間)

 
 ↓「桐の間」(大広間)から見た庭園


 *次回は萩で有名な「梨木神社」を紹介します

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京都〝迎賓館〟〝梨木神社〟〝第二無鄰菴〟へ 

2009-07-22 19:53:20 | 学 び

 旧暦6月小朔 46年振りの日食(日食は旧暦1日、新月の日) 
 見学終わり迎賓館を出た広場で11時前、雲の切れ間に部分日食を観測できた。次回の観測は無理だろう。
  衆議院昨日解散、事実上の選挙戦に突入、政治の流れは変わるのか??? 変えねばならない。

                《迎  賓  館》
 今年の京都〝迎賓館〟の一般参観は5月末日までに往復ハガキで何日かの指定された日の内から希望日を申込み、抽選でそれぞれの日の定数の参観を許可される。
 外から建物は一切撮影禁止、入場の際は運転免許証、保険証等氏名、生年月日、住所が確認できる書類を提示、厳重にチェックされ、持ち物は空港並みのX線チェック、カメラ以外は全てロッカーに入れるように指示され持ち込み禁止。
 随所に大勢の係員がいて厳重な警戒、廊下を歩くのにも絨緞の上を歩けと注意される。視線が鬱陶しく絶えず監視されているようで落ち着かない。
 現今、テロ等の心配があるのだろうが、もつと気楽に大勢の人々が見物できるように配慮をすべきだ。
 特定の人間の独占物ではなく、国民の税金で建てられた国民全体の所有物との認識に欠けているようだ。

 ↓〝迎賓館〟は御所・京都御苑の中にある


 ↓京都御苑東中央の入口 「清和院御門


 ↓迎賓館入った正面の「活 花」
  

  ↓「聚楽の間」(ロビー)
  

 ↓「聚楽の間」からの「庭  園


 *〝迎賓館〟の続きと〝梨木神社〟〝第二無鄰菴〟は後日紹介します。

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祇園祭・宵山

2009-07-16 23:37:49 | 行 事

 旧閏5月小24日 クマゼミの鳴声盛んになる
 夕方より「祇園祭・宵山」の見物に出掛ける、50数年・半世紀振りである。
 時々小雨になったが凄い人出(約38万人)で人波の中は蒸し風呂状態で汗ぶるぶる。
 近辺の道路は歩行者天国となっており、特に飲食の出店が客を呼び込む声とそれを買う人々で誠に賑やか。
 一部のみ見物して帰途に着く。
 山と鉾32基が四条烏丸付近を中心として豪華絢爛に展開されている。
 17日は山鉾が都大路を巡行する。 〝東山回して鉾を回しけり〟 後藤 比奈夫
    



     



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融金焦土の暑さ!!! これからが夏本番なのに!!!

2009-07-15 21:46:17 | 自  然

風強し 旧閏5月小23日 祇園祭宵々宮  
 全国各地で猛暑日となった所があり
体温では微熱並みの37℃を越す所も出現、まだ最低2ヶ月こんな暑さに悩まされると思うとゾットする。

 ↑この所専ら散歩は夜間、「打上川治水緑地の百日紅」 
 満開は過ぎたのか所々実も付けているが、この暑さに負けず灼熱の花を咲かせている。
 
「散れば咲き  散れば咲きして  百日紅」 加賀千代女

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蝉取りはまだ少し早い

2009-07-12 20:40:07 | 自  然
酷暑 旧閏5月小20日 九州南部梅雨明け
  姪孫[(てっそん)甥/姪の子]にせがまれて日中暑い中を蝉と虫取りに打上川治水緑地に出掛ける、子どもは暑いのも一向に平気だ。 
 蝉は少し鳴声が聞えたが姿は発見できず。収穫はバッタと黄金虫各1匹。

    
 ↓暑い中家族連れが・・・子どものためにご苦労さま


 
       治水の直ぐ北の祠「式内細屋神社
 細屋神社・社殿
 (延喜式神名帳に記載されている神社(式内社)で、市内3社の内の1社です。祭神は秦の記録に天神星屋、星天宮と記されており、祖先からの天体崇拝の思想から日月星辰の運行を司ってこの地域の集落や農業豊穣の守り神として祭祀されていたものと考えられます。この境内の木を切ったり、草を刈ったりすると腹が痛くなるが秦、大秦の人々だけは別であると言われており、土地の守り神として尊ばれています。・・・神社の説明板より)
 祠の水溜りに3匹の蛙を発見、近くの水田からやって来たようだ。
 
自宅で嘗て屡々見かけた雨蛙を近年さっぱり見かけなくなった、蛙が生息する環境が残っているのは嬉しい。
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映画〝愛を読むひと〟観賞

2009-07-09 23:20:34 | エンターティンメント
 旧閏5月小17日
 標記の映画をワーナー・マイカル・シネマズ・大日で夜の部を観賞する。
 下の写真は4Fから撮影した映画館の壁面広告である。網目が見えるのはガラスに網目が入っているからだ。
     
  原作は、「朗読者」という原題でベストセラーになった小説を映画化したものである。
              《映画のあらすじ》
 第二次世界大戦後のドイツ。15歳のミヒャエルは、気分が悪かった自分を偶然助けてくれた21歳も年上の女性ハンナと知り合う。猩紅熱にかかったミヒャエルは、回復後に毎日のように彼女のアパートに通い、いつしか彼女と男女の関係になる。ハンナはミヒャエルが本を沢山読む子だと知り、本の朗読を頼むようになる。彼はハンナのために『オデュッセイア』『犬を連れた奥さん』『ハックルベリー・フィンの冒険』『タンタンの冒険旅行』といった作品を朗読して聴かせた。
 ハンナは市鉄で車掌として働いていたが働きぶりを評価され、事務職への昇進を言い渡される。 その日を機に、ハンナはミヒャエルの前から姿を消してしまった。
 理由がわからずにハンナに捨てられたと思いミヒャエルは長い時間が経つ。
 ミヒャエルはハイデルベルク大学の法科生としてナチスの戦犯の裁判を傍聴する。そしてその被告席の一つにハンナの姿を見つけるのだった。
 ハンナは嘗てナチス政権化に看守としてアウシュビッツに勤務していた。その時収容者に対して不当な扱いをしたとして10名の同僚女性看守と共に罪を問われたが、他の女性看守達は自分の罪を逃れるために罪状の記録書の作成をしたのは全てハンナとしてその責任を擦り付けた。けれど記録書の作成をハンナは出来る筈が無い、何故ならばその頃文字すら彼女は読めなかったからだ。
 結果はハンナ無期懲役、他は約4年の懲役を言い渡された。
 その後ハンナは刑務所で文字を独学で学び取る、だが刑期満了を控え所内で 縊死する・・・
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