気温29℃と夏日だが空気乾燥して気温ほどの暑さを感じない 旧暦4月大16日
27日までJR大阪伊勢丹で開催されている
約180点を展示しているが今回は所謂大家の出展はなかった
JR大阪駅「時空の広場」のフロアーにペインティングが
気温29℃と夏日だが空気乾燥して気温ほどの暑さを感じない 旧暦4月大16日
27日までJR大阪伊勢丹で開催されている
約180点を展示しているが今回は所謂大家の出展はなかった
JR大阪駅「時空の広場」のフロアーにペインティングが
時々 風強く暑さ稍々和らぐ 旧暦4月大6日
靭公園は街中にある閑静な公園として屡々耳にするので一度は是非行って見たいと思っていた、偶々バラが綺麗だとのことで出掛けた。
「靱公園(うつぼこうえん)は、大阪府大阪市西区靱本町にある公園。四つ橋筋からなにわ筋を越えてあみだ池筋に至るまでの東西に細長い敷地を持つ。
かつての靱塩干魚市場の跡地にあたる。海部堀川(第二次大戦後埋め立て)沿いの靱塩干魚市場は干物や肥料にする干鰯などの海産物を全国から集めていたが、1931年の大阪市中央卸売市場の開場後に閉鎖され、大阪大空襲で廃墟となった。戦後、約3万坪が占領軍に接収され、占領軍の常用飛行場、靱飛行場となった。1952年の講和条約発効をもって大阪市に返還され、靱公園として整備された。東西に細長い形をしているのは滑走路跡地であったことによる。大きな木が多数植わっており、都会のオアシスである。[ウイキペディアより]」
南の入口近くにある「オブジェ」
公園を「なにわ筋」が南北に縦断する 西側(画面左)には幾つものテニスコートがある
夏日 旧暦4月大3日 御堂筋フェスタ・御堂筋kappo
奉仕活動として年配女性1人で管理・手入れをしている桜並木
'13,03,24
後 各地で夏日や真夏日 奈良・十津川村は32℃で全国1番の高温に 旧暦3月大30日
梅田大丸での絵の展覧会が目的で出掛けたが、ついでに今話題のグランフロント大阪を覗く、大勢の人出で賑わっていたが過日報道で見たほどの混雑は感じない、連休があけて人出も稍々一服か?
広大な施設なので少し廻っただけで疲れた、パンフを貰ったので今後は目的を定めて行くことにする
大阪駅からグランフロント大阪南館を
フロント前の「梅北広場」
南館9Fテラスガーデン
↑広大な空き地、今後はどんな姿に???
大阪駅階段アート
冬並みの寒さ 北海道では降雪も 旧暦3月大28日
拾翠亭は五摂家のひとつであった九條家の現存する唯一の建物で、江戸後期に建てられたものと伝えられています。
建物は全体が数寄屋風書院造りで、当時は主に茶会のための離れとして使用され、内部には今も十畳と三畳のふたつの茶室が残されています。
亭の前面には東山を借景に取り入れた勾玉形(まがたまがた)の池(九条池)が広がり、茶室からの景観を一層引き立たせています。
一般参観日 毎週金・土曜日、葵祭・時代祭・京都御所一般公開日(12月28日から2月末はお休み)
■参観時間 9:30~15:30
入口の門
四 阿
池の中央に架かる反り橋「高倉橋」 奥に拾翠亭が見える
西日本各地で夏日、宮崎では真夏日 帯広では12㎝の積雪 旧暦3月大27日
大学内
「良心之全身ニ充満シタル丈夫(ますらお)ノ起リ来ラン事ヲ」
(同志社教育の真髄を示す新島の「良心教育」の碑)
暖炉背面のダクトで2Fへ暖気を送る、所謂「セントラル・ヒーティング」になっていた
2Fは見学できないので掲示板による
いずれにしても当時としては頗る先進的と言えよう
*次回は新島邸見学の後訪れた「拾翠亭(しゅうすいてい)」(御所内南西)を紹介します
ワイナーマイカル大日で映画「L.A.ギャングストリー」を鑑賞
この映画館は大型ショッピングセンターの中の複合映画館、子ども向きの作品も上映されており連休最後の日とあって親子連れで凄い賑わい
時々朝晩肌寒いが日中暑い 旧暦3月大26日 こどもの日
普段内部を見られないが特別公開で見学できた
↑合成がうまくいかず「水桶」が2個見えますが1個で、その右が井戸です、台所を使いやすいように高さも工夫されている。一般家庭の土間は普通「三和土(たたき)」だった
*続 く
時々 気温稍々低く日陰では肌寒い 旧暦5月大24日
正午、四条鴨川南西の中華料理店4Fより東山を望む、大きい建物は「南座」その左の稍々大きい建物は「北座」のあった場所
≪新 島 襄 旧 邸≫
新島旧邸の特別公開
2012年9月~2013年12月
原則として、毎週火曜日を除く毎日開館 午前10:00~13:00 午後13:00~16:00
休館日 毎週火曜日 年末年始(12月28日~1月5日) 夏期(2013年8月12日~16日)
見学申込 個人・団体ともインターネットによる予約申込 インターネットが使えない場合はFAXでの申込
料金はいらないが東日本大震災復興協力金(募金)を、大勢の監視員や案内人が配置され立派なカラー冊子を貰えるので幾らか入場料を取ればと思う
場所 御所の東
新島旧邸について(同志社社史資料センター・抜粋)
新島襄の私邸で、ボストンの友人、J. M. シアーズの寄付によって建てられました。
この場所は同志社英学校が開校したさいに仮校舎として借家した高松保実邸の跡です。外観はいわゆるコロニアルスタイルの洋風ですが、造りの基本は和風寄棟住宅です。間取りは日本的な田の字型であり、壁は柱を露出させる旧来の真壁造りとなっています。床が高く、三方にべランダをめぐらし窓には鎧戸をつけ、白い壁面に茶褐色の木部を見せる簡素な二階建住宅です。
当時の同志社教員で医師・宣教師でもあったW. テイラーの助言を得ながら、新島襄が設計したとも伝えられています。
日本人のために建てられた和洋折衷の木造二階建て住宅として、また、同志社創立者の旧居としての価値が認められ、昭和60年(1985)に京都市指定有形文化財に指定されました。
*ここの紹介、その後訪れた御所内南西にある「捨翠亭」の掲載を今後随時します