一時豪雨 一時一時 旧暦4月大9日 プールで一泳ぎ
予定しているのに天気予報が外れるのには困る、「当るも八卦、当らぬも天気予報」か。
落語に、こんな話がある或男が出掛ける時天気が気にかかり町内の易者に聞くと「降るような日和じゃない」と言う、男は降らないと思い出掛けると大雨に出あう、易者に文句を言うと「降るような、日和じゃない」と言っただろうと答える。「天気予報でなく天気予想」にしたら・・・
第二無鄰菴(むりんあん)の向かいに〝島津製作所創業記念資料館〟があるので見学する
↓ 館 入 口 蔵のような感じがする
↓ 大正7年~昭和11年にかけて製造されたレントゲン
国内最古の顕微鏡 天明元(1781)年
↑↓ 沢山ある展示や掲示物の1部 実験できる面白い道具もある
↓ 創業者「島津源蔵」の居室
↓ 「2代目・島津源蔵」の言葉
↓ ノーベル賞受賞者「田中 耕一」さんの言葉
京都は最高30.4℃ 旧暦4月大7日
第二無鄰菴(むりんあん) で会があり、川床料理のご馳走だった。昼だったが川沿いなので暑さを殆ど感じなかった。
高瀬川源流庭苑は、慶長16年、豪商・角倉了以によって作られた後、山縣有朋の別邸「第二無鄰菴(むりんあん)」となり、その後は第三代日銀総裁川田小一郎の別邸、阿部信行首相の別邸などをへて、現在「大岩邸」として「がんこ高瀬川二条苑」となっている。
「無鄰菴(むりんあん)」は(京都市左京区南禅寺草川町31番地)にもありここも山縣有朋の別邸で庭園は七代目小川治兵衛の作。
ここの洋館で日露戦争開戦前の1903年(明治36年)4月21日に所謂「無鄰菴会議」が行われた。その時の顔ぶれは、元老山縣有朋、政友会総裁伊藤博文、総理大臣桂太郎、外務大臣小村寿太郎であった。
「無鄰菴」と 名付けられた山縣邸は三つあり、最初の無鄰菴は山縣の郷里、長州·下関の草庵で ある。名前の由来はこの草庵に隣家がない事による。
「無鄰菴」は何れも庭園が素晴らしい
気温約28度暑いがサラッとした爽やかな気候 旧暦4月大6日
会場:市民会館
一時のサツキブームはないが
我家のサツキは今 樹齢約40年
5月30日
一時 旧暦4月大朔
すぐ近所の「打上川治水緑地」で観察する。
今回のように日本の広い範囲で〝金 環 日 食〟が見られるのは平安時代末期1080年以来と言う、大阪では282年ぶり次回は約300年後、北海道では18年後(2030年)に見られるらしい。
5時半頃は晴れていて太陽ははっきり見られたが、金環になる頃は雲が広がり薄雲を通して一瞬金環が見られたがシャッターチャンスを逃し下の写真のように部分的にしか撮影できなかった。
7:30:08(当地金環の時刻)
7:25:00
6:52:52
串本町 7:28(ネットより)
一時 旧暦閏3月大30日
木曾谷には11宿あり「馬籠」「妻籠」はその中に入る宿場である
↓妻 籠 本 陣 本陣は代々島崎氏が勤めていた
↓本 陣 内 部
↓「桝 形」 城にもよく取り入れられている
清内路(「夜明け前」にも出てくる)峠では桃の花が目を奪う美しさ
一時 旧暦閏3月大29日
↓バス駐車場付近 此処から〝妻 籠 宿〟の通りに入る
↓〝妻 籠 宿〟の通り 馬籠のように石畳ではない
↓脇本陣の内部
此処の職員が詳しく説明してくれるが時間がなくて全て聞く余裕がない
引戸式で戸を開けると階段があり3階は隠し部屋になっている
*次回に続く
時々冬を思わす寒さ 旧暦閏3月大22日
急遽、「中之島バラ園」に出掛ける、今がほぼ見ごろ。
約310種類、約3,700本のバラの花が川沿いに東西約500メートルにわたり咲き誇る。
東先端「剣 先」で13時放水していた約3‐5分
園内にはバラにちなんだ時計が
大勢の人出
*あまり珍しくないが、後日個々の花を掲載します
たり4月初めの気候で頗る寒い 旧暦閏3月大21日
「夜明け前」(島崎 藤村)は〝木曽路はすべて山の中である〟から始まる
「夜明け前」では馬籠宿を中心に江戸時代から明治維新にかけて激しく移り変わる時代を詳細に描いている。
馬籠宿や木曽路の宿場では諸国の大名等の行き来に数百人から多い時は数千人にのぼる時があり、食事の提供、宿泊、馬匹、人足の手配と本陣を預かる当主には財政的のみならず心身ともに大変な負担であった。
高札場近くの展望台からの「恵 那 山」 残雪が見える
昔は「1里離れりゃ旅の空」と言い 「江戸と自分の背中を見て死にたい」と言ったとか???
↑↓ 高 札 場
通りは石畳
隠居所
*次回は「妻 籠 宿」