朝晩冷え込むも日中稍々温暖
暖かい春日和に梅林のみならず大阪城周辺は大勢の人で賑わっていた。
特に大阪城ホールでは某歌手グルプの演奏会が夜開催される模様で、それに関わるグッズが販売されておりホールを取り巻き長蛇の列が出来ている、或る若者に聞くと岐阜、三重から朝9時に出てやって来たと言う。
早咲きが5~7分ていどの開花で今後3月半ば頃まで楽しめるらしい
朝晩冷え込むも日中稍々温暖
暖かい春日和に梅林のみならず大阪城周辺は大勢の人で賑わっていた。
特に大阪城ホールでは某歌手グルプの演奏会が夜開催される模様で、それに関わるグッズが販売されておりホールを取り巻き長蛇の列が出来ている、或る若者に聞くと岐阜、三重から朝9時に出てやって来たと言う。
早咲きが5~7分ていどの開花で今後3月半ば頃まで楽しめるらしい
旧暦正月小28日
我家に咲けるヒヤシンス
プレミアム・フライデーが始まったが、悲喜交々のようだ。
政府はあれこれと言い訳しているが物価上昇2%の約束がなかなか思い通りにに行かない、そこでその一つがこれだ。労働者に早く退勤させることは誠に結構なことで経済の活性化につながるかも知れないが、その恩恵を享受出来るのは一部大企業の労働者で、その人たちが余暇を楽しみ享受しても反面その人達にそれを提供する人々はどうなのだ、早く退勤出来ないどころか労働強化につながるだろう。
こんな小手先の子供だましの試みではなく抜本的な対策を打つことだ、つまり非正規労働者で希望者には正社員に登用したり全ての働く人々の賃金・所得を引き上げることが先決だ、それが景気回復になる。
こんな論調を寡聞にして新聞やその他マスコミ報道に見かけないのは何故だろうか???
夕方、夜中 旧暦正月小26日
近所の「南前川」左岸
ここは大阪府枚方土木事務所の土地だがボランティアの年配女性が管理して色々な四季の花を楽しませて呉れている。各種サクラも植えられソメイヨシノもやがて列をなして花を咲かせ見事な景色となる。
各地からのサクラの便りが待ち遠しい。
↓昨年12月3日に撮影した冬桜
日本海側など降雪多し 旧暦正月小14日
言葉は時代と共に変化するものではあるが、最近特に気になる言葉遣いが増えているように思う。このことについてはこれまで何度か取り上げたが今回は「大丈夫」について考えたい。
この言葉遣いが気になるのは自分だけかとつい思ってしまうほど日常頻繁に遣われていて自分だけがおかしいのかと常々首を傾げていた。
ところが同じ思いの人がいることが分かったのである、過日某新聞の読者投稿欄に出ていた記事で、女性からセール電話がかかってきて「奥様、大丈夫ですか」と言う、「え、妻がどうかしましたか?」と聞くと「奥様、電話は大丈夫ですか」と言う。最近よく耳にする「大丈夫ですか」の言葉遣いに違和感を覚えると言う。全く同感だ。さらに「ご注文は以上で大丈夫ですか」「温めなくて大丈夫ですか」、家電製品を「この商品で大丈夫ですか」と手渡された時は、さすがに「え、大丈夫じゃないの?」と聞きな直したと記している。
他日、同じような記事を見た、子どもに「明日は体操服いるの?」「大丈夫」。「ご飯おかわりいる?」「大丈夫」等々。一瞬ポカンとしたと、またテレビでアイドルが「今度、食事行きませんか?」と誘われて「大丈夫です」と答えていたとその母親は記し、我子には、うちではそういう中途半端な返事はやめて、YESかNOではっきり答えなさいと伝えたと言う。
私も同じような経験は枚挙に遑がない。
一歩外に出ると英字やカタカナが氾濫しここは日本かと思うことが屡々だ、外国語の勉強も大事だが日本語をもっと大切にしたいものだ。
日中稍々温暖 旧暦正月小8日 立春
今冬イルミネーションの見物をしていないので、寒い夜のことでもあり近くをと思い「ひらパー」に出掛けた。京阪電鉄では夜の入園券と15時以降電車当日限り乗り放題の割引乗車券がセットで販売されており大変お得でした。
午後5時半入園、この所日没時間が遅くなっており暗くなるまでには約40分はかかった。園内彼方此方に見所が設けられ全て見て回り退園したのは7時だった。
子ども連れで賑わっていた遊園地が近年次々に閉鎖されて寂しい。
「ひらパー」では昔、毎秋有名な「枚方菊人形」が開催され物凄い人で賑わい、また休日などには家族連れで大勢の人出があり、駅からの沿道には沢山の出店が並んで活気があったものだが、今ではすっかり出店は姿を消して寂れている、そんな中で色々工夫し集客努力をしており数少ない遊園地でもあり閉鎖されないようにと願っている。
↑退園時の撮影 ひらかたパークの横文字が見える
↓以下6葉は薄暮時の撮影
↑入った直ぐ
↓2葉は日没後
*続 く
旧暦正月小6日
↓旧仙洞御料庄屋 重要文化財 旧西尾家住宅(吹田文化創造交流館)の掲示が見える
主 屋
↓玄関入った所
↑主屋の南西側はのちの増築で、縁側がガラス窓で囲まれたサンルーム
↑主屋南西部の縁側の外観。この部分はのちの増築で、床下を石で塞いである
↑台 所 右に配電盤
1つ上の写真の右壁面に見られる大理石の石板に取り付けられたメーター、スイッチ群の巨大な配電盤 このように古い配電盤が残されているのは非常に珍しいそうだ
↑長 持
↑長押や鴨居には随所にこのような釘隠 他に形の違う釘隠があった
大正時代の電灯
電話室 1907年、吹田村に電話が開通し、当家がその最初で1号機-0001番、2号機-0002番は、アサヒビール、3号機-0003番は吹田役場だったそうだ
↑訪問当日 能の人間国宝・三島元太郎師の講演会