BLOG行雲流水

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鎮魂 「あゝ〝無惨!! JR尼崎〟の悲劇」

2005-04-30 15:38:35 | 社会事象


 まずもって106名(のち107名)の亡くなられた方々の御霊に謹んで哀悼の意を捧げ、また、負傷された方々及び今尚その苦痛に辛吟されている方々の1日も早いご快復を祈念するものである。

 さて、'97年3月JR「東西線」が開通した4月から2年間JR尼崎駅をほぼ毎日利用した者として所感を述べたい。
 東西線と神戸線は東西両方向行き共、尼崎駅のホームに殆ど同時に到着する、乗客は必要に応じて素早く向かいのホームの電車に乗換える。
 1分足らずで同時にそれぞれの電車は発車する。その上、数分刻みで次々と電車がやって来る。将に神業。
 発車すると片方の電車からもう一方の電車の並走が確認出来る。
 この数分、数10秒の乗換えの為には互いの電車は1分の延着も許されない。
 その上、数分の延着に運転手は様々なペナルティが課せられるとあっては遅れを取り戻そうとするのは至極当然である。
 こんなJRの営業体質がそもそも大惨事の引金であり、また利用者はそんな利便性を求めた訳で接続がうまく行かぬと人によってはクレームを付ける、同業他社との競争もあって会社は無理を強いる、広い意味で社会にも責任の一端があろう。
 随って運転手も或意味での犠牲者である。
 つまり、こんな状態を看過し強行してきたJR西日本に全面的な責任があると言える。

 これは1人JRのみならず他の鉄道にも言える。
 何時も利用する某私鉄も数分置きの超過密ダイヤで走行しラッシュ時は超超過密で最大1時間24本、その間通過電車もある。思えば背筋が寒くなる。
[事故発生:'05.04.25 AM 9:18]
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寝屋川公園Part2

2005-04-29 16:40:54 | 歴 史
快晴・暑い1日となる、これからの散歩は例年通り夜間涼しい時か。早朝は寝坊のため無理。


 公園の一角には「寝屋古墳」がある。
 直径22メートル、高さ5メートルの古墳で、横穴式石室の大きさは北河内では最大規模。
 古墳時代後期末に築かれたと考えられ、大阪府の史跡に指定されている。
 寝屋川には「秦河勝」の墓もあり、川勝、秦、太秦の地名が現在も残っており、古代人が活躍した土地柄であることが窺える。
[下記・寝屋川公園にリンク]
「寝屋川公園」
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寝屋川公園散策

2005-04-28 20:30:47 | 風 景
快晴・暑いくらい
自宅から徒歩35分位の所にある「寝屋川公園」を散策する。
 随所に緑深まる。赤白、桜草(ではなく〝シバザクラでした〟訂正)が綺麗に咲いていた。
               












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HP更新しました

2005-04-27 21:11:35 | お知らせ
夏を思わす暑さでした。
「六甲山から布引ハーブ園」の記事と写真をHP〝ようこそ行雲流水〟に掲載しました、ご笑覧下さい。
[写真は「布引ハーブ園」グラスハウス内で撮影]
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葦 萌 い ず る

2005-04-26 17:54:03 | 風 景
一時
枯れ果てていた葭原に新芽が芽吹き始める。緑鮮やかに変身するのももう直ぐか。
            
   
サトザクラはソメイヨシノのような潔しさが無いのか、今もしぶとく一杯の花を付けて楽しませてくれている。
また、躑躅が咲き始め、愈々花競演の季節となる。
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黄色鮮やかセイヨウカラシナ

2005-04-24 19:11:10 | 

自宅近くの寝屋川河川敷に毎年咲く〝セイヨウカラシナ〟(菜の花)。
今年も綺麗に咲いている。

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六甲山から布引ハーブ園

2005-04-22 21:20:24 | 風 景

快晴に近い上天気だが六甲山上からの神戸の街は春霞にぼやけて見える。
六甲スカイヴィラで一泊する。

[詳細は後日紹介します]
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HP〝行雲流水〟更新しました

2005-04-20 20:22:24 | お知らせ
夕方より


 HP〝行雲流水〟を更新し18日の造幣局「通り抜け」の模様を掲載しました、ゴチャゴチャして減り張りの無い平凡なものですが、ご笑覧下さい。

 今日は、また高槻に懐かしの名画を見に行きました。4月2日に始まった長いシリーズものも22日で終わります。出てくる俳優の殆どは鬼籍に入っている人々ですが若き日に活躍していた姿が懐かしく思いだされました。
 すっかり昔は遠くなってしまいました。

 [写真は「通り抜け」〝牡丹〟です]
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造幣局「通り抜け」

2005-04-18 19:53:56 | 
のち
 3年前の夜桜以来、久し振りの「通り抜け」である。
 午後2時過ぎから出掛ける。
 カンカン照りの暑い日差しが午後になって曇空に変りサクラ見物には暑くなく寒くもなく、もってこいの天候になった。
 人出は多いが、これまでに比べて少ない方である、以前ギュウギュウ詰めで歩くのも難儀した経験がある。
 一昨日、昨日は土日でさぞ大混雑したことだろう。
 写真撮影はどうしても人が入るのが避けられない。
 
[左の写真は3年前の夜桜]











[詳細は近いうちにHPに掲載したい]
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思い出の浜甲子園 !!!

2005-04-16 20:19:04 | (小)旅 行

日中は暑い。

 15年間住み馴れた〝浜甲子園団地〟を27年ぶりに訪ねた。
 当時の公団住宅居住者は「団地族」と呼ばれ団地に住むのは一種の憧れの的であった。 入居基準はかなり厳しく、しかも入居競争率は極めて高かった。
 浜甲団地は神戸と大阪の丁度中間にあり頗る人気が高かった。
 所がいまや老朽化し立替の計画が進み、虫食いの状態で空家が目立つ。当時は若い世代が多く活気に満ち溢れ、団地中央にはコンビニ、その周辺に専門店もあったが、今やコンビニは閉鎖され専門店も櫛の歯が欠けたように少なくなって子供が外に置いてあるゲーム機で2、3人が遊んでいる。土曜と言うのに客の姿はない。勿論団地内も行き交う人影は殆ど無い。高齢者が増え少子化の影響で、二校あった小学の一校は老齢者の施設となっている。しかし近年近くの甲子園競輪場の跡にマンションが建ったり、団地の立替で子供の数が増える見込みで、また学校が不足する虞があると言う???

浜甲子園浜も昔と一変、水はかなり綺麗になったようだが以前無かった湾岸線が沖合いに見え、岸辺にあったテトラポットも無くなっている。 浜辺の一部は鳥類保護地域になっていて潮干狩りの家族連れが見られたが、そのうち潮干狩りも禁止されるとか。

懐かしい阪神パークは既に無くなり、その跡にイトウヨウカドウを含む約170の店舗が入った大型商業施設が出来ている。将に梅田や難波の繁華街の様相を呈している。下は、その入口と店舗案内の写真であるが殆ど英字やカナ文字、一体ここは何処の国、古いかな???
                               



[当時は上に見える棟の右端4階に住んでいた、庭は欝蒼としているが以前は手入れが行き届いてもっとすっきりしていた]

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