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「まつり」が終わり、一進一退しながらも秋はそこまでやって来た。
子ども達の楽しかったであろう長い長い夏休みも終わった。愈々明日からいろいろな行事が待ち構える2学期、元気を出して自分らしさを発揮して欲しいものだ。
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桜川唯丸の〝江州音頭〟に乗った盆踊りで21時フィナーレ
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一時
旧暦7月大15日 敗戦の日
巡り巡って63年今日は我国が太平洋戦争で敗れた日である。
「終戦記念日」と呼ぶ向きもあるが、それでは嘗ての無謀な戦争に対する反省の意味が全く欠落している。
310万の戦争犠牲者と英霊に、また諸外国とりわけ莫大な数の無辜のアジアの方々の犠牲者に対し哀悼の誠を捧げます。
下の写真は当時を偲んで、当時とそっくりそのままの製法で南瓜の団子汁を作ってみた、甘味料は一切入っていない、塩味だけだが南瓜の素朴な甘さが味わえて結構美味だった。
恐らく今の贅沢な食生活を思えばとても、このままでは不味くて食べられないだろうと甘い餡も用意していたがその必要は全く無かった。
戦時中や戦争直後は来る日も来る日も南瓜その葉、ナス、キュウリ、サツマイモその蔓・葉、ジャガイモ、虫食いのキャベツ・白菜・春菊、玉葱等が食卓に上り、イナゴや蚕の蛹、食用蛙、兎等々も食べた。幸い海辺に住んでいたので各種魚か食べられたのは有難かった。
飯は麦が殆ど、大豆や高粱が入っていたがそれでも食えれば良いほうだった。戦後何年かして白米が食べられると「銀シャリ」と呼んで、こんなに美味い飯があるのかとつくづく思ったものだ。
あの頃の惨めで哀れで戦戦兢兢として毎日を送っていた日々を思い出すと、今では何かに付け贅沢になってしまって、勿体無い勿体無い。
あと何年かすると、こんな食べ物も食べられなくなる時代が来そうな予感がする、「食 料」「資 源」を巡る戦争が各地で頻発し、世界戦争にまで発展するのではと杞憂する。杞憂に終わって欲しい。