猛暑日
金子みすずの詩の一節
〝みんなちがって、みんないい〟を思い出す
それぞれ素晴らしい個性と感性がある
風稍々強く蒸暑い
倪 瑞良(にい みずよし)
1949(昭和24)年神戸市生まれ中国人、切り絵の第一人者
特徴
①基本がモノトーンである
②作品は一枚に繋がっている
③ナイフ一本で切り抜かれたアールヌーボーの細密な曲線で構成
隣の図書館で子どもの可愛い折紙等が
西陣美術織で再現された伊藤若冲の復元作品 『動植綵絵どうしょくさいえ』
縦横数千~万に及ぶ糸で編み込まれている見事な作品です
伊藤若冲は江戸時代の画家
1716年(正徳6年)、京・錦小路にあった青物問屋「枡屋」(家名と併せて通称「枡源(ますげん)」)の長男として生を受ける。問屋の仕事は小売ではなく、生産者や仲買・小売の商人に場所を提供して販売させ、彼らの関係を調整しつつ売場の使用料を徴収する流通業者である。桝屋は多数の商人を管轄していたらしく、商人たちから場所代を取れば十分な利益を上げることが出来たという[4]。23歳のとき、父・源左衛門の死去に伴い、4代目枡屋(伊藤)源左衛門を襲名する。「若冲」の号は、禅の師であった相国寺の禅僧・大典顕常あるいは月海元照(売茶翁)[5]から与えられたと推定される居士号[6]であり、『老子』45章の「大盈若沖(沖は「虚しい、空っぽ」の意、冲は沖の俗字)」[7]から採られた。意味は「大いに充実しているものは、空っぽのようにみえる」である。大典の書き遺した記録「藤景和画記」(『小雲棲稿』巻八)によると、若冲という人物は絵を描くこと以外、世間の雑事には全く興味を示さなかったという。商売には熱心でなく、芸事もせず、酒も嗜まず、生涯、妻も娶らなかった。商人時代、若冲は家業を放棄して2年間丹波の山奥に隠棲してしまい、その間、山師が枡源の資産を狙って暗躍し、青物売り3千人が迷惑したという逸話が残る[8]。ただし、後世に作り変えられた話だと考えられる[9]。
『ウィキペディア(Wikipedia)引用参照』
暖かい1日となりました
気分転換に梅田に出掛けてグランフロントで〝アール・ヌーヴォーの女神たち〟を鑑賞しました。
平日ですがまだ松の内ともあり女性客の多くで賑わっていました。
アール・ヌーヴォーの旗手と呼ばれ時代の寵児として輝いた芸術家、アルフォン・マリア・ミュシャ。
優美で華やかな女性、風になびく豊な髪、流れるような衣装、装飾的なモチーフが特徴で、そのデザインは世紀末を輝かせ、当時の芸術家の模範とされました。現代でも「ミュシャ・スタイル」としてその装飾様式は愛され続けています。
概ねこの種の展覧会は写真撮影出来ませんが、動画も上映されていて何れも撮影自由でした。
イメージと稍々違う展覧でしたが女性には人気があるでしょう。男性客はチラホラでした。
↓右2ツめの絵の前に立ち撮影出来る仕掛けになっています
動画はうまくとれませんでした
作品関連のgoods売場
処暑とは言え灼熱地獄
またまた飛び入りしました 我〝風 呂 物 語〟
次回から掲載します。
足腰不調な上に、この暑い盛りは戸外の活動は無理、そこで好奇心と涼みがてらこの展覧会に出かけることにした。 入口の大きな広告
写真撮影が許可されているのは極く一部でした 木彫です、焼いたら美味しそう
これも木彫
木彫
水滴に憩う蝶 立体木像
真夜中に咲く月下美人 木と鹿角でできた花
金工 銅、銀メッキ、七宝、墨
銀製 梱包材
切 り 絵
↓上の作品の説明文
鑑賞後の昼食 刺身はふぐ刺し 是に最後デザートがついて2,500円
午後から晴れて気温上がり夏日に
珍しい美術館展なので鑑賞する、大規模な展覧会は高知県以外ではこの半世紀ほどは開催されていなかったと言う。
謎の天才絵師と呼ばれる土佐の絵師・金蔵は幕末から明治初期にかけ多数の芝居絵屏風などを残し「絵金さん」の愛称で地元土佐で長年親しまれてきた。屏風絵は今も夏祭りで高知各所の神社で飾られ強烈な印象を残している。
*続 く
ほぼ毎週、日曜日の朝NHKテレビ「日曜美術館」を見ることにしている、美術については全くの素人だが見るだけで楽しく且つ勉強になる、抽象的な作品は理解しにくい。
今回の展覧会のような素朴で分かり易い写実的な絵が好きだ。
↓雑賀崎港
↓五島 奈摩湾
↓鯖街道 熊川宿
↓道頓堀
↓左 水間寺 ↓右 近江 八幡堀
↓古い町家 空堀(からぼり)
↓帰途 画廊近くで昼食 「アナゴ飯」1,800円
朝晩冷え込む
新聞で「水彩画スケッチ展」を知り、気分転換と運動を兼ねて、出掛けることにした。
京阪淀屋橋駅から徒歩約5分と場所は地図で確認していた積りが見付からず、近くでヤクルト配達員の女性に尋ねたら親切丁寧に教えて呉れて助かった、ただでさえ足腰が不調なのに近辺をうろうろしてすっかり疲れた。
↓淀屋駅から画廊までの途中
↑↓淀屋橋 橋上で見かける
↓大阪市役所 万博宣伝のロゴマークも見える
街中の目立たない場所にある、こじんまりとした 画廊 「マ サ ゴ」
↓会員らしき人達の語らい
↑左 京都 四条木屋町 ↑右 祇園 思案橋
↑左 お初天神界隈 ↑右 奈良町風景
↑左 猿生け池 ↑右 若狭 瓜割りの滝
↑東山 粟田神社
↑和歌山 湯浅町
↑大阪 飛田 百番(昔の遊郭飛田にある建造物、登録有形文化財「鯛よし百番」)
*続 く
稍々寒さ戻る
昔懐かし廃校となった校舎の写真展示があるので見に行くことにした
1点撮影は禁止で見にくい
昔は校門を入ると必ず[奉安殿]と二宮尊徳(金次郎)の銅像とがあった。
二宮尊徳(金次郎)は薪を背負い本を読みながら歩いている、勤勉を奨励する意図があった。
[奉安殿]とは
戦前の日本において、天皇皇后の写真(御真影と言った)と教育勅語を納めていた建物である。
教育勅語は学校の儀式などで校長が恭しく読み上げ御真影や教育勅語を紛失したり火事などで焼失しようものなら命に関わった。
戦中戦前の天皇は現人神(あらひとがみ)所謂神様として崇められ、登校すると[奉安殿]や二宮金次郎像に最敬礼して校内に入った。
戦後天皇は人間宣言された。↓左に[二宮金次郎像]見える
明日から最大級の寒波襲来と報じる
《逞 し く 生 き る》 吃音を克服して
「こんなに報われる日がくると思っていなかった」
《生きとし生けるもの》
↑タコの赤ちゃん
↑四つ子のスナネコ
↑雪原の吐息 右・堰を見事に登る
↑秋空ひらり 旅するチョウ
↑お見事でごザル
番 外 自 宅 近 く の 水 仙 畑
新たに何か植えられているが、分からない???