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人心地に落つ、今の社会の荒廃の縮図を象徴しているようで寒々しい光景だ
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午前5時半、清掃に励む人々 「ゴミ捨てる者あれば、拾う人あり」
各人、人間らしい自覚と責任を持て
一銭五厘の赤紙1枚で召集される男たち。シゲ子の夫・久蔵も盛大に見送られ、勇ましく戦場へと出征していった。
しかしシゲ子の元に帰ってきた久蔵は、顔面が焼けただれ、四肢を失った無残な姿であった。村中から奇異の眼を向けられながらも、多くの勲章を胸に、“生ける軍神”と祀り上げられる久蔵。四肢を失っても衰えることの無い久蔵の旺盛な食欲と性欲に、シゲ子は戸惑いつつも軍神の妻として自らを奮い立たせ、久蔵に尽くしていく。
四肢を失い、言葉を失ってもなお、自らを讃えた新聞記事や、勲章を誇りにしている久蔵の姿に、やがてシゲ子は空虚なものを感じ始める。
敗戦が色濃くなっていく中、久蔵の脳裏に忘れかけていた戦場での風景が蘇り始め、久蔵の中で何かが崩れ始める。終には、シゲ子が農作業に出ている留守に這って池までたどり着き入水する。
静かな田園風景の中で、1組の夫婦を通して戦争の愚かさと悲しみを描く、若松孝二監督の新境地と言える作品。
(作品資料より抜粋・一部加筆)
若松孝二監督は或る新聞でのインタビューに「・・・多くは撮っておカネにしようとしている。本当にいい映画を撮るなら、メジャーと組んではいけない」「・・・イケメンを使わないとだめとか。・・・イケメンを持つていけば客が来ると思っている。冗談じゃない。男がお面をかぶったみたいな顔で芝居しているよ」
と辛らつで正鵠を得ている。
所で、反戦ドラマ、ドキュメンタリ-や映画が製作の意に反して皮肉にも若者にはカツコウいいと受け取られ賛美する傾向があると言う、困ったものだ。