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京の夏の旅

2012-09-22 22:41:34 | 歴 史

時々 朝晩すっかり涼しくある 旧暦8月小7日 秋分の日 
 116年ぶり「秋分の日」が22日となる、20世紀前半は24日が多く、1980年以降は23日が続いていた。





写真
左上は「龍谷大学大宮学舎本館・龍谷ミュージアム」
右上は「長江家住宅」
左下は「木島櫻谷旧宅」
右下は「清水寺・成就院」
この他4箇所公開されていて訪問したのは去る7月15日掲載の「荷田春満旧宅」と涼しくなるのを待って昨日訪問した「木島櫻谷旧宅」「長江家住宅」である。



 木島櫻谷旧宅 入口

 木島櫻谷旧宅 南面

 

              以下「木島櫻谷旧宅」室内












木島 桜谷について
木島 桜谷このしま おうこく、明治10年(1887年)3月6日 - 昭和13年(1938年)11月13日)は、明治から昭和初期にかけて活動した四条派日本画家。本名は文治郎。[Wikipediaより引用]

「木島櫻谷旧宅」はこの書院風の和館の他洋館と画室がある、「洋館」と「画室」は後日掲載します。


67年前の敗戦の日

2012-08-15 11:15:44 | 歴 史

 旧暦6月大28日 
 終戦記念日ではなく、不名誉な「敗戦の日」なのだ、若者の中には「太平洋戦争」でどこの国とどこの国が戦ったかも知らない者がいるらしい、平和な時代は素晴らしいことだが他方知らぬまに戦争に巻き込まれる危険を感ずる
 310万英霊と我国の侵略戦争で尊い命をなくされたアジアをはじめとした諸国の2,000万人の方々の御霊に衷心より哀悼の意を捧げます
              


10日訪れた、特別公開の〝荷田春満旧宅〟続き ≪完≫

2012-07-15 16:41:54 | 歴 史

 各地で猛暑日 旧暦5月小26日  
 お 茶 屋(重要文化財)                     寛永18年(1641) 後水尾院より下賜された
 
 入  口                                                                           

 






 建物の基礎が石積み

 茶 室



 
 池の端の木にモリアオガエルの卵を数箇所発見           普段は木の上で生活している


木 曽 路 を 行 く

2012-05-05 23:40:07 | 歴 史

 夏日 旧暦閏3月大15日 立夏
 バスの日帰りツアーで木曽路を訪れる、恵那で「筍ずくしの昼食」⇒馬籠宿⇒妻籠宿⇒清内路を15時50分発帰路につく、途中約8,500メートルの恵那山トンネルで渋滞、トンネルを抜けるのに約30分かかり、名神では草津付近でも渋滞に巻き込まれ帰着地に着いたのは22時45分(予定の着時間は20時30分)、途中2回の休憩を取ったものの約7時間、行きは恵那まで約5時間と現地の移動の時間を入れると計約13時間のバス旅行にはほとほと疲れ果てた。
 この旅を順次掲載します。
                  最初に「恵  那」

      ↑恵那の昼食場所      ↓筍づくしの昼食

 
         筍1本、竹の箸1膳、竹の匙1個、竹の耳かき1本 
        ↓更に小さい袋に詰め放題の山菜、野菜等がお土産に付く
      


大阪くらしの今昔館〝浦島太郎と竜宮城〟続き≪完≫

2011-11-21 21:04:14 | 歴 史

たり真冬の寒さ・伊吹山初冠雪 旧暦10月小26日
 「大阪くらしの今昔館」では大阪の江戸時代から近代にかけてのパノラマ、ジオラマ等の楽しい展示物の他、色々な資料が紹介されており大変勉強になります、是非一度は訪ねて欲しい所です、小生3度目の訪問になりました
 地下鉄谷町線・堺筋線、阪急線「天神橋筋六丁目」駅に直結していて至便、JR大阪環状線「天満」駅からなら北に徒歩7分


↓2人の美女がモデルとなって写真を撮らせてくれるサービスもありました

↓乙 姫 御 殿



↓↑鯛や平目など魚の舞い踊り

↓龍 蛇


27日の京都国立博物館から下鴨神社へ  ≪続き・完≫

2011-08-30 10:47:02 | 歴 史

 日中夏日で暑いが朝夕少し凌ぎやすくなる 旧暦8月小2日
                      ≪下鴨神社≫
          特別公開中の〝本殿・大炊殿(おおいどの)〟  
 当日行く途中、糺(ただす)の森にさしかかった時激しい俄雨に遭い30分雨宿り、本殿・大炊殿はボランティアが説明してくれるが本殿は写真撮影禁止 





↑↓神様に捧げる料理






三十三間堂から駒井家住宅へ  ≪続 き Ⅱ・完≫

2011-08-26 10:58:43 | 歴 史

真夏日の気温で暑さ厳しい 旧暦7月小27日
                駒井家住宅の内部
 
団体客や次々に訪れる人で賑わっている


居  間

食  堂

サンルーム

↑サンルーム隣の和室   洋室と隔てる引戸に注目、和室側は襖

螺 旋 階 段

↑二階 主寝室サンルーム

寝室の嵌め込み式箪笥  当時としては珍しいのでは



台  所  食器棚と手前の調理台は昔のまま 現住者はなく人物はボランティア
 台所外観


三十三間堂から駒井家住宅へ  ≪続 き Ⅰ≫

2011-08-25 20:13:30 | 歴 史

蒸し暑い 旧暦7月小26日
                     駒 井 家 住 宅
  駒井家住宅は、大正末から昭和初期に形成された京都市左京区北白川の閑静な住宅地にあります。京都帝国大学理学部教授であった駒井卓博士の住居として、1927(昭和2)年に建てられました。設計は、ヴォーリズ建築事務所によるものです。桜並木がある白川疎水に面し、約30メートル四方の敷地の西より建てられ、比叡山が一望される東に庭を広く設けています。主棟は約30坪、木造2階建てで、その北側に5坪程の付属屋と書生部屋として使われていた約10坪2階建ての離れ、温室を有しています。
 外観は当時アメリカで流行していた、アメリカン・スパニッシュ様式を基調とした意匠になっています。屋根は切妻屋根の赤色桟瓦葺で、外壁面はモルタルのスタッコ仕上げになっています。
内部は1階に玄関ホール、居間、食堂、6畳室を配し、2階に寝室、書斎等を設けており、洋風住宅プランの一角に和室を加えた折衷的な間取りとなっています。
 室内の意匠にも随所に行き届いた設備が見られます。ホールの階段は実用性を重視したデザインでありながら、そのやわらかい曲線は造形的にも優れた表現に達してます。居間を特徴づける腰掛付きの出窓は実用的でありつつ、装飾的効果も与えています。6畳和室の上げ下げ窓と障子を併用した出窓は、和風洋風の外観と和室の意匠を巧みに融合させています。(保存団体HPより)



↑入  口

↑裏

↑正  面

↑裏


↑当時としては凝ったドアーのノブ 

↑疎    水  この左手に邸宅
 大文字が見える
建築当時は近くに家は無かった、従って電線も無く素晴らしい眺めだっただろう

*次回に続く


三十三間堂から駒井家住宅へ

2011-08-22 22:42:27 | 歴 史

時々 旧暦7月小23日 
 本来の目的は「京都国立博物館」の展覧会の鑑賞だったが、生憎月曜日は休館日、最近天候定まらず天気のことのみが頭を支配して月曜日は普通「休館日」であることにまで気がまわらず大失敗。
 同じように、日にちを間違えてタクシーで乗り付けていた人達があった。
 そこで急遽、博物館の道を隔てた南にある「三十三間堂」に赴いた、普段の日にもかかわらず大勢の人で賑わっていた、特に若者や子どもが多いのが目立った。


↑↓本  堂 





↑↓本堂の東側



↑太閤塀(築地塀)桃山時代  重文

↑南大門  塀の向こうの道路上にある

↑回 廊 塀

↑鐘  楼

↑手 水 舎

↑池泉は二つあり、これは北の池泉

*次回は特別公開されている「駒井家住宅」を紹介します