「家康の散歩道」は15回目を迎え最終回となりました。
今回のご紹介は、「太刀洗の池」です。
家康の正室、築山午前は、井伊家とも武田家とも血縁があったが、織田信長から武田家と通じたとされ、妻を殺さなければならない状況に。
岡崎から浜松城に向かう御前を、家康の家臣が佐鳴湖湖畔で待ち伏せ命を断ちました。
その血の付いた刀を洗った池を太刀洗の池と呼んだといわれています。
太刀洗の池の碑と説明。
その池は現在は埋め立てられ、上記の碑が立てられています。
少し離れたこのあたりに池はあったのではないか。
その場所は、浜松医療センターの向かい側(南)にあったようです。
家康の散歩道№15の案内と、太刀洗の池の説明が残されていました。
今は埋め立てられてない池の写真も掲示されていました。
太刀洗の池の解説を上の小画像で詳しくご覧板だけます。
※ 「家康の散歩道」を15回のシリーズでご紹介しました。ご来訪に感謝します。
また、全15ヶ所を後日スライドショーに編集する予定でいます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます