徳川家康公の正室「築山御前」〈お瀬名の方とも呼ばれる)が眠る西来院(せいらいん)は、浜松市中区広沢2丁目にあります。
家康の長男、信康の正室となっていた織田信長の娘・徳姫が父へ宛てた手紙がきっかけで親子関係が悪化。家康の命で岡崎から浜松に向かう道中、佐鳴湖附近(太刀洗の池)で殺され、西来院に葬られることとなりました(1579年9月29日・38歳)。
浜松市中区広沢の西来院の入り口(門)。
門を中に進むと、近代的な西洋風造りの本堂が見えます。
本堂正面と本堂内部の様子。
左手(西側)奥の墓苑に進むと築山御前の廟堂があります。
白塀と門に囲まれた中に廟堂(月屈廟)はあります。
廟堂は常に開放されていて、堂の中にある築山御前の墓(右)に詣でることができました。
由緒は不明ですが、敷地の入り口近くには六地蔵尊が祀られていました。
※ 家康公の正室「築山御前」についての説明が寺院の中にありましたので上の小画像でご紹介します。
本日のタイトル文字をクリックしてご覧ください。
家康の長男、信康の正室となっていた織田信長の娘・徳姫が父へ宛てた手紙がきっかけで親子関係が悪化。家康の命で岡崎から浜松に向かう道中、佐鳴湖附近(太刀洗の池)で殺され、西来院に葬られることとなりました(1579年9月29日・38歳)。
浜松市中区広沢の西来院の入り口(門)。
門を中に進むと、近代的な西洋風造りの本堂が見えます。
本堂正面と本堂内部の様子。
左手(西側)奥の墓苑に進むと築山御前の廟堂があります。
白塀と門に囲まれた中に廟堂(月屈廟)はあります。
廟堂は常に開放されていて、堂の中にある築山御前の墓(右)に詣でることができました。
由緒は不明ですが、敷地の入り口近くには六地蔵尊が祀られていました。
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