今に残る徳川家康のゆかりの地を、浜松市がまとめたがパンフレットにして紹介した地15箇所を順に訪問し、その地を自撮り画像でご紹介しています。
その11回目は、浜松城から北西ヘ1km程進んだ浜松市広沢にある「普済寺」(ふさいじ)です。
普済寺の入り口の「山門」。《江戸時代初期に建立されたといわれている》
普済寺は、 徳川家康が三方ヶ原合戦の折、浜松城が炎上したかに見せかけるため、戦略上、家康の命令で火が放たれ、武田軍を混乱させたとの逸話が現在にも伝わっています。
中門と太鼓橋。 中門には支柱が、太鼓橋周辺は埋め立てられていました。
本堂。たびたびの火災で現在はコンクリート製。長年普済寺は幼稚園経営もされておりこの日も園児が屋外で元気に運動をしていました。
また境内には北山稲荷も祀られており、信仰参拝者も多いようです。
※ 上の小画像はパンフに紹介された普済寺の項の説明文です。
※ 次回は徳川家康の正室「築山御前」の廟所のある西来院を訪ねます。