忘却への扉

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平和だからこそ、人は笑える

2017-03-03 | 平和を

 【 地 軸 】 2017/2/26 地方紙1面下段コラムより

[ 「昭和の名人たちが、わんわと笑わせていた」。終戦直後、小学生だった桂歌丸さんはラジオから流れる落語に明るい希望を感じ、将来の道を決めた。
 ▲戦前の先行きが見えない状況の「高座」には、後に人間国宝となる故五代目柳家小さん師匠も苦労したようだ。81年前のきょう、陸軍青年将校が二・二六事件を起こし、2等兵だった小さん師匠は反乱軍に加えられた。上官から「元気づけに一席やれ」と言われ、占拠した建物の中で演じたが「だれもクスリともしない」。
 ▲突然「逆賊」にされて、極度の緊張と不安に包まれた同世代の若者たちは笑えなかったのだろう。「本当にばかな話」と後年、自著につづっている。
 ▲事件を機に軍部は政治への影響力を強め、戦争へと突入していく。落語界にも暗い影を落とした。戦時中、落語協会は人気演目の多くを「時局柄ふさわしくない」と上演中止に。自粛の体裁をとるが、実質は国が強いた「笑いの統制」。
 ▲国は政治宣伝に利用しようと、落語の創作も命じた。軍隊賛美や献金奨励を組み込んだ話。そんな「国策落語」が面白いわけがない。庶民に生きる活力を与える落語文化は、壊されてしまった。
 ▲「平和だからこそ、人は笑える」。歌丸さんは今、こう力を込めて訴える。伝わってくるのは、不幸な時代に逆戻りしかねないとの危機感。二・二六事件の年に生まれ、平和の大切さを肌で感じる達人の言葉をかみしめる。]

 ( 忘却への扉 ) 歌丸師匠も長年登場したテレビ番組の「笑点」でも、皮肉を込めた世相風刺はよく聞いた。レギュラー・メンバーでも、特に歌丸さんの政治などに対しての社会批評の一言は、絶品だった。
 戦後のわが家は、真空管ラジオと手回し蓄音機のレコード盤で落語をよく聞いた。横山エンタツと花菱アチャコ、エンタツ・アチャコは漫才師の中でもラジオや白黒映画にもよく登場し笑わせた。
 歌丸さんの言う「平和だからこそ、人は笑える」。の深い意味を受け止め、受け継ぎ、現代のお笑い界で活躍している人たちも、平和だからこその笑いを大切に生きてほしいと思う。


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