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忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

血染めの日の丸はちまきを

2015-08-25 | 平和を
 【 忘れえぬ特攻隊員との別れ 】 松山市 女性 (86 ・ 無職)

 ◇終戦を迎えたのは女学校4年の夏。私どもの住んでいた台湾に大きな特攻隊基地があり、多くの特攻隊員を送り出した。
 ◇ある日、10人ほどが校長室に呼ばれた。入ると机の上にかみそりが置いてありぞっとした。校長先生が「生徒を選びお願いすることになった。明日特攻隊員が出陣するので血染めのはちまきを作ってもらいたい」と言われる。臆病な私は震え上がった。指は縦に切ると出血が少ないので横に切るように言われた。誰もおびえてかみそりを取らない。私は思いもよらない感情が湧き、かみそりを取り指を横に切ると見事に出血し、真白な布にきれいに日の丸を描くことができた。私たちの真心が少しでも隊員に通じれば幸せで、思わず涙した。
 ◇最後に隊員たちに小さな声で「何かなさりたいことは」と伺うと、皆さん「おふくろに会いたいです」と言われた。翌日、生徒たちがハンカチを振る上空を練習機「赤とんぼ」の翼を振りながら飛び立っていかれた。一生忘れることができない。]
                     《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」 【 戦後70年に思う 】 より

 ( 忘却への扉 ) テレビの戦争特集番組でも特攻隊員の出撃場面を見た。特攻隊基地の後に作られた記念館などにある隊員たちの明るい笑顔の写真や映像がとりあげられ、なぜこれほどまでに明るいのか?を問うていた。
 家族などに残した手紙などは軍の検閲があり、書ける内容は限られ心配させてはいけないとの思いがあって当然だ。しかし、若い命を捨てに行く隊員たちにしては記念写真や映像が笑顔ばかりなのが不思議。
 特攻隊基地で明日の出撃者の氏名を書かなければならなかった人が当時を語る。飛行場に行く前に裏にある林に向かって誰もが大声で「お母さん!」とか奥さん、恋人の名を叫んでいたと、その場所を指差していた。
 特攻特別攻撃機「桜花」(爆撃機に懸架して発進、火薬ロケットで滑空し、敵艦に体当たり)を息子とその友人との面会する部屋の窓から見た母は、特攻出陣を予感し、2人に会った際問い詰める。でも話すことはできず、息子は戦死し友人は生き残った。線香を上げようと訪問するが母親から「あんたは嘘をついた」とずっと家に上げてもらうことはなかったという。
 安倍晋三首相政権与党や「戦争法案」を支持する議員たちは自分が戦争に行くつもりなど全くない。戦争やテロで犠牲となるのは軍隊=自衛隊員か一般人だと人の命の大切さなど考えてはないようだ。ふたたび悲痛の涙を人々に流させて平気なのか。

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