忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

名が体を左右する?

2017-09-13 | 平和を

 【 地 軸 】 2017.9.9 地方紙1面下段コラムより

[ ドリーマーズ(夢見る人)。米国で、不法移民の子どもたちをそう名付けた人は誰だったのだろう。存在を認め、励ます温かな呼び名。
 ▲だが今、その夢は奪われる瀬戸際。トランプ政権は、80万人のドリーマーズの強制送還を猶予する措置を打ち切ると宣言した。多様性と寛容、そして努力すれば夢はかなう「アメリカンドリーム」―つまり米国の「魂」を根こそぎ手放す愚挙。名は体を表す。夢見る人を排除する社会は、落日。
 ▲一方で「名が体を左右する」ことも。とっぴな命名や曖昧なスローガンは、度が過ぎると本質からかけ離れ、見えにくくなる。殊に政治のキャッチフレーズなどは、要注意。
 ▲地球儀俯瞰(ふかん)外交、地方創生、1億総活躍、働き方改革…。少し大仰で奇妙な言葉が並ぶ中、どうにも気になるのが「人づくり革命」。教育無償化や人材投資が柱というが、統治するものが倒される「革命」を公職の名に冠するセンスに違和感を禁じ得ない。
 ▲担当相の正式英訳を調べたら「Мinisterinister for Human Resources Development」(人材開発大臣)だった。やはり「革命」は訳せないのだろう。企業で言えば「人事部長」の意味。もしや政権の目玉政策は「人事」—名を秘して本質が露呈した、のかもしれない。
 ▲どの国の子も差別されず、尊厳を守られ、楽しい夢をかなえられるように。政治の責務が果たされる社会の到来を、夢見て。]

 ( 忘却への扉 ) 大統領選での公約ではあったが、ドリーマーズ(夢見る人)80万人を強制送還を実行するのかと思うと怖くなる。
 トランプ米大統領には、自らの考えも強いだろうが、彼の格下のお友だち内閣の、国民を欺くための「とっぴで曖昧な政治キャッチフレーズ」は、裏で政権を動かし実権を握るゴーストライター群の存在が透けて見える。


言葉の人?政治屋に寒気

2017-09-11 | 平和を

 【 地 軸 】 2017.9.4 地方紙1面下段コラムより

[ 風の色が一変し、緑陰にいればひんやり心地よい秋の到来。だが近ごろは、ひんやりを通り越してぞくりと寒気も。
 ▲祭りの参加者は「気違いみたいな人ばかり」—失言の人・麻生太郎副総裁兼財務相が、西条市の講演で信じがたい差別的表現を口にした。すぐ撤回したが、発した言葉は消せない。
 ▲先週「何百万人を殺したヒトラーは、いくら同機が正しくても駄目」と発言、撤回したばかり。4年前には会見の問題でナチス政権を引き合いに「手口を学んだらどうか」と言い放った。政治家は「言葉の人」。なぜ不穏な言葉が漏れ出るのか、本音を想像すればさまつなこと、とは到底思えない。
 ▲逆に「言わない言葉」が雄弁にその人を物語ることも。安倍晋三首相は全国戦没者追悼式で5年続けて「不戦の誓い」の文言を外した。小池百合子東京都知事は、関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付をやめ、虐殺の有無を問われても、「さまざまな見方がある」「歴史家がひもとくこと」と頑として認めない。
 ▲震災直後、数千人が軍や自警団などに殺された事件は、国も報告書で認める「負の歴史」。なかったことにしようとするなら、差別容認にもつながる。
 ▲ついには自民党の竹下亘総務会長が、北朝鮮のミサイル発射計画を巡り「広島はまだ人口がいるが島根に落ちても何の意味もない」と述べた。「言う人」の恐ろしさ、「言わない人」の冷酷。今年の秋は心までしんと冷え渡る。]

 ( 忘却への扉 ) このような持論を口癖にしている同類を、副総理に死財務相まで兼務させ辞めさせもせず、任命責任も取らない安倍晋三首相の無責任さ。
 この「地軸」に名前ので出た人だけではなく、言動の危うさと国会議員としてふさわしくない政治屋があまりにも多すぎる。
 何を言っても、安倍政権と自民党は守ってくれる。麻生太郎氏に「気違いみたいな人ばかりと」と見下されても、講演を聴いた愛媛の西条市民はまた自民党にと投票するだろう。腹が立たないのかと悔しい。
 ナチスドイツやヒトラー賛美は、大日本帝国や軍国主義賛美で天皇崇拝の国家神道への逆行を企む日本会議と神社本庁系の流れ。
 関東大震災での軍や自警団などによる朝鮮人等虐殺「負の歴史」を否定する政治屋たちの増加。これも、先の南京大虐殺や従軍慰安婦問題のもみ消し同様、日本を戦争をする国にするには都合が悪いか…。
 [関東大震災の治安が乱れた背景として、朝鮮人と社会主義者がいると政府は宣伝し、朝鮮人虐殺、大杉栄虐殺、亀戸事件、社会主義者弾圧などが行われた。]と電子辞書版ブリタニカ国際大百科事典にもある。朝鮮人に似ている日本人が巻き添いに虐殺にあったと私も聞いた。


日本上空まで10分足らず

2017-09-07 | 平和を

 【 地 軸 】 2017.9.2 地方紙1面下段コラムより

[ 【先程、上空をミサイルが通過したもようです】。先月末の北朝鮮による弾道ミサイル発射j、北海道や東北に放送が流れた。続けて「頑丈な建物や地下へ避難してください」。無機質な声に、ふと思う。「地下ってどこだ」。
 ▲愛媛など地方には、地下などそう都合よくあるはずもない。いかにも東京の発想。しかも、発射から日本上空まで10分足らずで、住民は「発射を知った頃には、ミサイルが通り過ぎていた」「漁船の上だと逃げられない」。西条市での避難訓練参加者が語る「(発射が)起こらないことを願う」しかない現実に、無力感が募る。
 ▲「本当に、何とかなると思ってたんよね」。戦中、竹やり訓練を体験した女性の言葉を思い出す。「国が米軍に対抗できると言っていたから。なぜ信じられたのか、今では不思議だけれど」。
 ▲東京大空襲に遭った作家の半藤一利さんは、自著に「焼夷(しょうい)弾は恐れるに足らずなんてウソもいいところです」。国は戦意高揚のため、国民に「猛火にも立ち向かう」ことを求めた。バケツリレーに走って、どれだけ多くの人が犠牲になったことか。
 ▲戦中の竹やり訓練もバケツリレーも精神主義的なもので、国民の命を救う手立てにはなりえなかった。現代の避難指示、訓練もおそらく。
 ▲危機対応で、首相はたびたび「国民の生命、財産を守るために最善を尽くす」という。「訓練することに意義がある」では「平成の竹やり」でしかない。]

 ( 忘却への扉 ) 本土上陸の敵兵を壊滅させる竹やり訓練や、バケツリレーで水をかけ、米軍の投下する焼夷弾の猛火をも消す。
 軍国主義と現人神天皇が守る神国大日本帝国の安全は、米軍の軍事力にひとたまりもなく敗れた。役立たず、馬鹿々々しいと分かっていても訓練に参加しなければ、「非国民」として非難され罰せられた。訓練の話は母や戦中体験者からよく聞いた。
 「頑丈な建物や地下に避難してください」。北朝鮮のミサイルに対する注意喚起の放送も、私たちには核発電所事故同様、逃げ場がなく役立たない。
 安倍政権に属する人々は、真っ先に情報が入るだろうし、核ミサイル攻撃を受けた際に対応した、強固な核シェルターも設置されているのだろうなと想像する。


残された時を大切に生きたい

2017-08-30 | 平和を

 【 追悼の言葉 】 鬼北町川上 男性( 63歳 )


 父は先の大戦では少年飛行兵8期に属し飛行機で撤退し生還した。終戦の日を迎えるたび、すざましい光景が脳裏に浮かび、失った戦友、仲間たちを思い出したと、父の残した手帳に帰してあり、この門欄にも何度か投稿していた。
 父は日頃から戦地で部下を特攻に送った悔しさを語っていた。赤紙一枚で招集され、国の扉)ために散った若者を思うと、いたたまれなかったのだろう。
 また、晩年の父は、政治に対して怒りをあらわにしていた。戦争の悲惨さを知らぬ政治家が、国家のためという美名のもと、平和憲法を改めたいとか、国民をないがしろにするような言動が目立ったためであろう。
 父の遺志に報いるためにも、私の子や孫が平和で幸せな人生を送ることのできる国をつくるために、残された時を大切に生きたいと思うのである。合唱。]
               《 こだま 読者の広場 【 へんろ道・終戦の日に思う 】 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 北朝鮮弾道ミサイル発射のニュースが繰り返し流される。安倍晋三政権ら日本を戦争する方向に進めたいと企んでいる人々には願ったり叶ったり。「オオカミが来るぞ」と叫んでいる。
 これら政治屋を裏で動かしている組織などを含め、どれも、戦争の悲惨を知らないことなどない。戦争は巨大利権の道具で、自分たちは守られ儲ける側。悲惨さを体感するのはあくまで一般国民だと、人権を軽んじる政治がまかり通る。


挑発が止まらない

2017-08-28 | 平和を

 【 米追随でなく戦争回避こそ 】 伊予市 男性(6 9・無職 )

 ◇北朝鮮のミサイルによる挑発が止まらない。北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が挑発すると米国のトランプ大統領も北朝鮮への軍事介入をちらつかせ応戦する。一歩間違えれば朝鮮戦争へと発展しかねない。
 ◇米国が北朝鮮に軍事介入して被害を受けるのは米国でなく日本や韓国である。安倍晋三首相はミサイル防衛に万全をと口にするが、国民の不安は日本が被害を受けることだ。北朝鮮のミサイル発射に備えて、陸上自衛隊松山駐屯地(松山市南海本町)に地対空誘導弾パトリオット(PAC3)を配備するのは結構だが、それよりも朝鮮戦争が起こらないこと、そして、その戦争に日本が巻き込まれないようにすることこそ大切だ。
 ◇しかし、安倍政権の下で集団的自衛権の行使が認められており、朝鮮戦争が起きたときは日本が戦争に巻き込まれる可能性がある。安倍首相は、米国一辺倒でトランプ大統領に追随するのではなく、朝鮮戦争を回避するために万全を尽くすべきだ。]

 ( 忘却への扉 ) 北朝鮮の脅威を感じるが、それは、米国とその従属国日本の挑発によるところも多分にあるのでは。
 世界最強の軍事大国とそれに追随する安倍晋三政権。北朝鮮のミサイルを迎撃するため、愛媛県松山市の陸上自衛隊松山駐屯地にも地対空誘導弾パトリオット配備とは、要は米国を守るためで危険極まりない。
 四国電力伊方核発電所のある地に地対空誘導ミサイル配備など、どうぞ攻撃目標にわが県をと言っているようなもの。加計学園獣医学部新設問題どうよう裏を隠したまま押し通せるこの県が恥ずかしく思う。


そんなことできる時代ではなかった

2017-08-25 | 平和を

 【 「平和死守」戦後世代の務め 】 松山市 男性( 61・無職 )

 ◇戦後生まれの私には戦争の現実やその悲惨さは想像するしかない。だが、戦争で生き残った父はさまざまな十字架を背負い人生を歩み続けている。多くを語ろうとしない父とこんなやりとりをしたものだ。「悲惨な戦争を二度と繰り返してはならぬと言いながら、なぜその時、戦争反対と声を大にすることができなかったのか」と軽口を発する私に、「そんなことできる時代ではなかった。お前らにどんなに言ってもわからない」と父は眉をひそめながら言い返していた。
 ◇父は小笠原諸島の父島へ守備隊として配属された。硫黄島での玉砕後、次は自分たちの番だと覚悟したが、米軍が沖縄に上陸したので命拾いしたことなども話してくれた。そのたびに、自分が存在するのは父が戦死しなかったおかげだと、ほっと胸をなで下ろす自分がいた。
 ◇生き残ったことに負い目を感じ、その後は贖罪(しょくざい)としての人生を送る戦争体験者も少なくないだろう。「平和は戦争のための準備期間」というが、それを現実にさせないのが戦後世代の務めだと思う。
                       《 こだま 読者の広場 【 終戦の日に思う 】 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 

[「なぜその時、戦争反対と声を大にして叫ぶことができなかったのか」]わが子に説明できない悔しさが、私には分かる。戦時中に、平和や戦争反対は禁句で、今で言う「共謀罪」当時の「治安維持法」で監視社会、厳しい取り調べと罰則だけでなく命を捨てる覚悟がいること。
 隣人でも知人がそのようなことを言うのを聞けば、警察に密告しなけれが同罪だ。市民同士にスパイを強要させ冤罪を生んでも国家は平気な時代だった。
 以前も書いたが、母が私の2人の幼い兄たちを連れ暮らした貧乏長屋は、隣の声が筒抜け状態、息子に召集令状が届き別れの前夜、親子の泣き声と小声の会話を聞いた。「密告するのが義務とわかっていたが、親子の気持ちも当然、黙っていた」。他の住民がそのことを訴え出れば、親子も母も捕まったはず。誰も密告せず無事だった。
 母の話もあり、権力の犬(回し者、スパイ)には絶対ならないと誓った。まあ、母方の血筋「お人好しの頑固もん」は私も受け継ぐ。


戦争をする国へと方向転換

2017-08-23 | 平和を

 【 「何のための戦争」問い直す 】 松野町 男性( 81・農業 )

 ◇私の叔父は太平洋戦争末期、激戦地ブーゲンビル島(パプアニューギニア)沖で海の藻屑と消えた。父に宛てた最後のはがきに「今回、日米決戦の最前線に挑みます。万死に一生を得て帰郷することはないでしょう。育てて下さった両親に何一つ恩返しができず、この世を去ることが残念です…」と記している。
 ◇個人の尊厳という観念など全く否定された厳粛な事実を思う時、一体何のための戦争だったのか深く問い直したい。「戦争はもうしない国」として再出発して以来七十余年、曲がりなりにも今まで続いてきた、それが「戦後レジーム(戦後体制)」である。
 ◇安倍晋三首相は「戦後レジームからの脱却」を掲げ、憲法改正をはじめ集団的自衛権行使の容認、行使するための法整備などを着々と進めてきた。ともかく、同盟国とともに軍事行動ができるように、つまりは「戦争ができるようになる」ための方向転換である。安倍首相の主張する積極的平和主義が気掛かりである。]
                      《 こだま 読者の広場 【 終戦の日に思う 】 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 軍による厳しい検閲のもとでで兵士が郷里や家族に送るはがきなども、文面によっては処分され送れない時代。
 わが家にも子どもの頃、どれも検閲済みの印が押された軍の検閲逃れのきれいごとの文面だけが書かれた戦地からのはがきや絵葉書がありを見ていた。
 軍に睨まれたら痛い目にあう。同じ日本軍にいながら人権など全くない世界。投稿者の叔父が兄に宛てた最後のはがき、その軍の戦闘内容を記す文面に本当に届いたのだろうかと疑問。
 検閲担当者の、死を前にした兵士へのせめてもの思いやり…?、それとも別の戦友に託した内緒のはがきだったのかもしれない。
 


日本が負けた安心感

2017-08-22 | 平和を

 【 国民欺いた惨禍 もう二度と 】 松山市 男性( 78・無職 )

 ◇戦後72年たち、戦争体験を語れる人も少なくなった。当時6歳の私は空襲警報のサイレンが鳴るたびに学校から逃げかえり、防空壕(ごう)へ避難した。上空はB29が飛んでいて、とても怖かった。
 ◇昭和20年8月15日にラジオから玉音放送が流れると、祖父が「日本は負けた。戦争は終わった」とつぶやいた。子どもの私でも、祖父の表情には悲しみと安堵(あんど)が見て取れた。私が4歳の時、出兵した父はパプアニューギニアで戦死し、白木の箱になって帰ってきた。父との思い出はほとんどないが、父の最後を知りたくて13年前に父の眠る戦地を尋ねた。そこで収集した貝殻を今も大切にしている。
 ◇世界を巻き込んだ戦争では多くの都市が灰じんに帰し、310万人もの日本人の尊い命が失われた。いったい何のための戦争だったのだろうか。太平洋戦争は一部の軍人や政治家と国民を欺き、起こした悲劇の歴史であると思う。戦争の惨禍を教訓として二度と戦争をしてはならない。]
                                    《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 神風が吹き敵を壊滅させると、神国日本の現人神である天皇の力を信じさせられていた国民たち。だが、日本は無謀な戦争に敗北し占領された。
 見上げれば米軍のグラマン戦闘機の翼の星マーク、がはっきり分かる山すれすれをわがもの顔で飛ぶ。畑仕事中の祖父の「見るな!知らん顔していろ!」のおびえた声に戦争の怖さを知った。
 「占領軍の放送が入るから短波放送は聞くな」と、ソニーの携帯ラジオを子どもたちのために買った父は注意した。家の中に米軍払い下げ?を購入したのか、日本製ではない品物がいくつかあった。
 軍国主義日本につながる品も幾らであり、親族たちも満州に朝鮮、インドシナ半島各地を体験している。もう直接話は聞けないが、子どもの頃から母がよく話してくれ、私も高校卒業後は本を集めるだけでなく、体験者に積極的に話しかけ聞いてきた。
 「絶対に戦争はダメだ」と近年、敗戦前に生まれた人からよく聞く。これは日本政府の戦争への歩み方を、体験しただけにきな臭さや軍靴の響きの異常さに危険さを強く感じているからだろう。


戦争をやめろと叫べない叫び

2017-08-21 | 平和を

 【 地 軸 】 2017.8.16 地方紙1面下段コラムより

[ 「憲兵の怒気らんらんと廓は夏」新木端夫、1940年2月14日検挙、釈放。「戦争をやめろと叫べない叫びをあげている舞台だ」栗林一石路、1941年2月5日検挙、懲役2年…。戦争と俳句と弾圧―結びつかない字面の冷徹。
 ▲戦時下の40~43年、治安維持法によって俳人40人以上が「反体制」の角で検挙された。世に言う「新興(昭和)俳句弾圧事件」。戦後72年、新たに「共謀罪」法が施行された今、その苦難を忘れず表現の自由を守ろうと「俳句弾圧不忘の碑」建立計画が始動した。
 ▲予定地は長野の「無言館」近辺。そう聞いて、小高い丘にたたずむ十字架形の建物を訪ねた20年前の夏を思い出した。戦没が学生の慰霊美術館には未完の、だが描く喜びにあふれた絵、絵。
 ▲パリ留学を夢見ながら26歳で命を絶たれた中川勝吉さん(明浜)、尾田龍馬さん(享年25、宇和島)らの絵も「あのつらかったこと、言葉になりません」。ぽつぽつと語ってくれた遺族の無念が、もう一つの「命」である作品を守り、残すことでわずかでも癒えることを願う。
 ▲「無言館泥濘にジャングルに死せり」金子兜太。今年会館20年、140万人が訪れた。碑建立の呼びかけ人でもある管主窪島誠一郎さんや金子さんの「不忘」の思いと作品の輝きが、静かに雄弁に平和を問い続ける。
 ▲今日は、亡き人が空へ帰ってゆく送リ盆。「不忘の碑」は残された人の、それぞれの胸に。]

 ( 忘却への扉 ) 正岡子規や高浜虚子の出身地でもある愛媛県は俳句に関心が深い。松山で毎年夏に、高校生を対象とする俳句選手権大会で全国から選ばれた学生たちが集まり開催される。
 ただ、俳句を競うだけでなく、俳句の意味するところを男女高校生たちが熱く語り合う。その答弁も含め勝負は決するのだ。
 平和であればこその17音の言葉のつながりを表す俳句。その俳句さえ、戦時中には治安維持法(現共謀罪)の監視対象とされ、俳句弾圧事件があったことをやっと知る。
 戦没画学生の慰霊美術館である「無言館」の絵画や話は報道などで見聞きしていたが、これもあって当然なのに愛媛県人名は知らずに来た。「無言館」近辺に「俳句弾圧不忘の碑」建立計画始動、戦争へとひた走る安倍政権暴走に釘を打つためにも、遅くはない。 


戦争に行くのは、俺たちだと小学生怒る

2017-08-18 | 平和を

 【 地 軸 】 2017.8.14 地方紙1面下段コラムより

[ 数年前の41歳の誕生日、ずっと抱えていた不安がわずかに薄らいだ。「これで、戦争が起こっても兵隊に取られることはない」と。
 ▲戦中、兵役対象は17~40歳。終戦時、20~40歳の男性で軍隊に籍があったのは6割に上った。兵役は、これほどに多くの人に免れ得ないものだった。
 ▲今は亡き母方の祖父は、天皇を警護する近衛師団に属した。天皇が神とされていた時代。戦後も「誇り」にしていたという。
 ▲一方井、父方の祖父は軍隊経験がない。背が低かったからと聞いていたが、昨年になり違う理由だったと知った。家族が多く、生活が苦しかったことを、役場の担当者が配慮してくれたという。命をつなげたことに安堵(あんど)しつつも「お国のため」に戦地に行けないつらさがあったかもしれないと、自らは語らなかった背中を思い出す。
 ▲作家の松本清張さんは逆に、恣意(しい)的に兵役に就かされた。森史郎さんの「松本清張への召集令状」(文春新書)によると、34歳で招集されたときは虚弱体質で、家族持ちの自分がなぜ、と不振に感じた。軍事訓練に熱心でなかった懲罰だったと、後に気付く。戦時下、庶民の運命は国家の思惑に左右された。
 ▲安倍政権が3年前、集団的自衛権行使を容認する閣議決定をしたとき、ある小学生が怒りの声をあげた。「戦争に行くのは、政治家ではなく、俺たちだから」。平和憲法の下、徴兵されるかもという心配を子どもにさせる、政治の責任を思う。]

 ( 忘却への扉 ) 兵役対象の40歳間では、とっくの昔に過ぎたが[兵隊に取られることはない]との安心感など虚構に過ぎない現代。
 先の侵略戦争終戦から72年を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京で開かれた。その日の新聞1面には【 揺らぐ「不戦」堅持 】 【 首相 加害責任ふれず 】 【 終戦72年 安保法運用や改憲現実味 】の大きな題字。
 父は病気で徴兵試験に落ち兵役は免れたが、朝鮮北部で仕事をした。本土でも防火訓練を指揮したとか聞いたが、本人に戦時中のことは一度も聞くことはなかった。
 「戦争に行くのは、政治家ではなく、俺たちだから」。小学生の言うように、戦争をする国にする政治屋たちは、戦地に行くことなどなく、安全が補償されている。なのに戦争法や憲法改悪までとは無責任で卑怯だ。戦争をそれほどしたいならば、自分たちや家族が軍隊で訓練し、戦争に行けばいいのだ。
 私自身は兵役にとられなくても、孫たちとその子供たちの将来の非戦の平和を守る責任があると思う。そのためにも戦争をする軍隊を認めない日本国憲法を守る。