アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

歯なしの話(11)

2008年01月18日 18時11分34秒 | Weblog
 毎回同じ時間に行く。椅子は窓に向いており、窓の外の景色が比較的明るくなったような。春が少しずつ近づいているということなのだろうか。
 そんなことをはっきり考えている訳ではない。ぼんやり。もうどうでもしてくれというステバチと無関心を混ぜて、それに絶望を振りかけたような感じの中でぼんやり、そんなことを考えていた。
 今日は隣の椅子にほぼ同年配の男が座っていて、言葉は交わすことはなかったが、握手したい思いを感じた。同病相憐れむってヤツかもしれない。
 今日は明るいうちに終わった。早退する生徒を校門から出る時、結構元気な様子であることは珍しくない。あれと同じかもしれないが、ドアを出て車に向かう時に鳴り響くベートーベン。歓喜の一週間の始まりだ。

学校巡回相談の喜劇(2)

2008年01月17日 20時38分19秒 | Weblog
 相談員が来ると、教頭が誰かに行ってもらわなければ、と、右往左往する。誰かが相談しないといけないという発想。相談がなければ、それはそれで結構なことではないのか。それを誰かが相談したいという事実をこしらえ、それなりの対応をしていますという外部向けのアドバルーンをあげるためか。それがいかに滑稽なことなのかがわからないバカ。
 秘密は守ります、と、いうけれど、それも信用できない。教師が教頭、校長と「出世」する過程を考えれば、いかに上には「イエスマン」に徹し、人には言えないようなこともしているか。退職した校長なら学校現場のあれこれに精通しているから、ということで相談員に使っているのなら、大間違い。何故なら彼らは指導するからだ。それは相談ではない。そして、相談する場合、学校の管理職の無神経や無能、横暴が原因になっていることも少なくないから、正面切って相談したらそこに触れて、その情報は必ず報告されるという確信みたいなものがある。だから誰も相談しない。
 相談の素人じゃなく、使うのならプロにすればいいのだが、そこまで本気じゃない。何故なら、相談体制をつくっているという形だけがあればいいと考えているからだ。機能しないものに金を使う。無駄。

学校巡回相談の喜劇

2008年01月16日 23時17分27秒 | Weblog
 学校に悩みとかの相談を受けに、誰か来る。教頭が「誰かいませんか」と呼びかける。でも誰もいない。すると、教頭は、「受けてくれ」と個人に頼む。そして指名された人はイヤイヤながら行く。
 ところが、その相談員は自分でペラペラ喋るだけだったらしい。その相談員は校長退職者。
 教職員の健康のあれこれが増えている。しかし、退職校長が職員の悩みに何を応えることができるというのだ。結局、年金までのつなぎの役職。だから、自分が仕事をしたという事実つくりのために、自分が喋ってしまう。カウンセリングの知識のかけらもないバカに何ができる?
 こういう公費の無駄使いはやめてほしい。悪いけれど、校長を退職した人間に、悩みはあっても話さない。こんなことがわからないでやってる。アホとムダ以外の何物でもない。退職校長の天下り。中には旅行社に行き、修学旅行の引きよせをする恥知らずもいる。そんな旅行社はお断り。
 退職校長の行方。それって、考えていい問題かもしれない。退職してセクハラした奴知ってるぞ。

密やかな楽しみ

2008年01月15日 19時03分48秒 | Weblog
 寒いので、ストーブを部屋に入れた。古いストーブ。点火はマッチでする。それにヤカンを置いて、やがて沸騰の音をたて、湯気が出るのが好きだ。温風が出るストーブは視覚的に暖かくないので好きではない。
 このストーブのもう一つの魅力はモチが焼けること。カチカチになってヒビが入っている鏡餅を小さく割って、それを上において、焼く。それがカチカチに焼けて、治療中の歯に当たらないように食べる。その硬さ、その香ばしさ。最高だ。無人島に持っていく一つなら、断然カチカチの鏡餅。三段を全部食ったから、ぼくは今糸の切れた凧のような気持ちなのだ。凧になったことはないけれど。

ウインドブレーカーが暑すぎた夜

2008年01月12日 21時21分34秒 | Weblog
 最近の防寒着は性能が頗るいい。昨年サンタにもらったものは、夜明けの犬との散歩のとき、冷えも寒さも寄せ付けないすぐれものだ。これなら北極で白熊と同棲できそうだと思わせる。
 娘たちの母親が留守だったので、娘たちと外食。車から降りて、サンタとは別物のファスナーを首元まで上げて、店まで歩き、注文を終えて、ちょっと暑くなったので、脱ごうとしたらファスナーが下りない。ファスナー部分を隠す部分に食い込んでいるのだ。躍起になるほど暑くなり、汗が出てくる。胸元くらいであれば脱げる。それで外に出た。寒い中の方が暑くないし、店の中で見苦しい右往左往は娘たちにも見せたくない。暗い中で、ぼくはどうにか頭を通し、セーターを脱ぐようにしてどうにか脱ぐことができた。あの時の開放感は、サイコーですね。
 ただファスナーをあげる時の食い込み、あれはどうにかできないのか。酒の紙パックの蓋の中の、指を入れてとる、あれを絡ませていると防げることは知っているが、そうしなくてもいい何かをメーカーは考えて欲しい。

歯なしの話(10)

2008年01月11日 21時41分58秒 | Weblog
 そこの歯科医には椅子が4つある。座る椅子はその都度違う。座ると東側に低い山が見える。緑の山が帰る頃には黒くなっている。100分近く座っていると、窓の向こうだけが時間の経過を教えてくれる。
 狭い駐車場にも慣れた、受付から最後の会計までの流れにも慣れた。しかし、口を開けてから閉じるまでのあれこれには慣れない。
 ウィーンのドリルで削られる時の摩擦。あ摩擦の匂いが何かの拍子に鼻腔をかすめる。現実でもいやだし、幻覚ならもっといやだ。一体いつまで続くのだろうか。訊くのも怖い。来週、また、あの4つのどれかに座り、臆病で弱虫な自分と対面するのだ。本日のファイト、70分。

少年犯罪と大阪府知事選

2008年01月10日 22時45分28秒 | Weblog
 少年犯罪が連続している。それも厳しい内容。こういう事件が起きると、すぐに学校関係者が矢面に立つ。学校とか家族が無関係とは言わない。しかし、それだけじゃないように思う。昔を持ち出しても仕方ないかもしれないが、そういうケースになるようなことがあったと思うが、そうはならなかった。
 小学校に英語が導入。これを金科玉条に唱える人は、たぶん、よほど恵まれているか、よほど恵まれていない人だろう。今疲弊しているのは日本人のコミュニケーション(ここで外来語を使う自分に腹がたつ)なのだ。「頑張れ」と言わずに手をとってギュッと握る。その方がはるかに思いは伝わることがある。国際化じゃなく、日本化、その前に個人の確立だ。文科省は手っ取り早いことしか打ち出さしていない。教育が年々やせ衰えていく方向しか打ち出せない。
 大阪府知事選がテレビで報道されている。「みんなが笑う」とかいう候補者もいるようだが、どうすれば可能なのか。そんなこと可能か? そんな時代があったか? 口当たりのいいことばかり言って、それができなかったら、どうするつもりだ。まあ、がんばって、そうして下さい。
 大人が将来のビジョンを持てない。そんな時に、大人は子どもに負担をかけている。子どもには説得力がないだろう。守屋があれだけやった、それがわかって、迅速明快な動きができない政治。給油法案云々で、管は「教訓を得ました」とかアホみたいに悠長なことを言っているが、もっと国の内情と国民の生活を観て、動け。

 とにかく、大人の社会がしっかりしないと、子どもは育たない。

ヒラリー、涙でひらり

2008年01月10日 06時21分08秒 | Weblog
 ヒラリーが泣いたとかで、それが勝利につながったのかどうか・・・。
 戦略だろうと、ついついだろうと不適格であることを示している。冷たい印象をぬぐうための涙なら、そんなセコイことをすること、有権者がそんなセコイことに動いてしまうこと、アホか。そんなことではなく本当に泣いたのであれば、こんなことで泣く人間を大国のリーダーにしていいのか、と、危惧する。巨大な責任と激務の大統領はできないのではないか。
 テレビでヒラリーを見るたびん、表情が醜く思えて仕方ない。以前はもっとスマートで凛としてカッコよかった。選挙で懸命になっているのだろうが、涙を武器にするくらいなら、表情についても考えた方がよかないか?
 最近彼女は感情的になりすぎている。それだけで、大統領にはならない方がいいのではないかと思う。これから先のことを考えるとなってはいけない、とさえ思う。

夜明け前に走る人たち

2008年01月09日 05時39分04秒 | Weblog
 5時頃、犬と歩く。夏は早朝の光と風が気持ちいいが、冬はまだ暗く、軍手の指先が冷える。新聞や牛乳配達がシャカシャカ走り、遠距離通勤の車が闇を切り裂いて疾走する。空地に置いた車に、アパートから走り出た人影が乗り込み走り去ったり、コートにスカーフの女性が硬い靴音を響かせて消えていくこともある。仕事か、恋か。もし、それが恋であるならば、と、思うと、数少ないそういう経験を思い出し、歩きながら、思い出を指先でなぞるようにたどったりする。そしてたどり着くのは、もはやそういうことができなくなったなァというほろ苦さ。今はただションベンだけの道具かな。失礼。

歯なしの話(9)

2008年01月08日 17時45分46秒 | Weblog
 2時間の休みをとって歯医者へ。
 昔治療したところもとってやり換える方針だった。医者もその考えで、それを取るのに結構時間がかかった。これくらい丈夫なら取らない方がいいかと思ったくらいだった。麻酔を2回打った。内部は結構やられているみたいだった。「馬をくれ、代わりに王国をくれてやる」とリチャードは言ったが、ぼくだったら今何と言えばピタリとくるのか。そんなことを考えつづけていた。
 水を吹き出しながらウイーンと削る時、その水が顔にかかる。「ちょっと我慢して下さいね」と言われる。彼らの言動の端々に、あんたらにとっては大勢の患者の一人だろうが、オレにはそんなの関係なくオンリーワンだ、オッパッピ。そんなことも考えた。早く解放してくれ、代わりに命をくれてやる。本日の時間100分。