■ 修学院離宮
10世紀後半に修学院という寺がここに建立されたのが地名の由来。この地に離宮を建てたのは後水尾上皇で、1655年から造営工事が起こされ1659年に完成された。この時は上と下離宮のみで、中離宮は後に建てられたという。総面積は54万5千平米を超え、高低40メートルの差も上手に使いながら設計された山荘。8万平米にも及ぶ離宮敷地内の水田畑地は、元々近所の農家の所有地だったものを、1964年に国が景観保持のために買い上げて今日に至っているのだそうだ。
下離宮の入り口である御幸門
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車が無い時代に、上皇が御所からここに来るまでに相当な時間がかかったために、到着後にお休みになるお休み処として作られたのが下離宮にある寿月観。石段の上に見える建物がそれで、池泉観賞式庭園の中に建っています。
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そして下離宮を出た門
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杉並木の中を歩いていくと中離宮の入り口となります。
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門を入って右を見ると松の木が庭の中央に鎮座しています。
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中離宮の建物えある楽只軒(左)と客殿(右)。上・下離宮は別荘であったのに対し、中離宮は常時住まう住居であったために、いつ見ても飽きないように庭に設えが異なっているのだそうだ。
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客殿の襖絵と、桂離宮の桂棚や醍醐寺三宝院の醍醐棚とともに「天下三棚」の一として知られる霞棚。
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杉戸に描かれた鯉。この鯉は夜な夜な泳ぎに出るために網をかぶせたという伝説がある。
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上離宮の入り口でる御幸門
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門から石段を上った離宮内の最高所に茶室・隣雲亭があり、その横には滝が作られている。
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隣雲亭から望む浴龍池。浴龍池は谷川を堰き止めて造った人工池で、堤防は高さ13メートル、延長200メートルに及び4段の石垣で補強されているが、武骨な石垣が見えないよう、3段の生垣と大刈込で覆ってあるのだそうだ。
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浴龍池の周辺
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浴龍池の中島に作られた窮邃亭(きゅうすいてい)。西側の景色が愉しむ際に西日を遮るために窓はこのように開ける仕掛けとなっている。
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訪れたのが10月下旬で丁度の茸の季節でした。そのために、通路や庭のあちこちに茸がこれでも!というくらいに生えていました。
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年に何回通ったのかは分かりませんが、これほどまでの別荘を建てられるのも権力者ならではなのですね。明治時代に入るまでは、離宮を取り囲む垣根もなく、自然に対して開放された山荘だったのだそうです。鷹揚な時代だったのですね。
■ 禅華院
修学院離宮の入り口からほんの50メートルも離れていないところにある小ぶりなお寺。事前に電話予約しておいたので、拝観することができました。
門は2階建てとなっており、上には鐘楼が乗っている珍しい構造の門です。
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元々は天台宗に属していたが、1624年に大徳寺の禅師である清巌宗渭禅師(せいがんそういぜんじ)が来られて臨時宗大徳寺派に改宗。その時は開山。正式名は解脱山禅華院で釈迦如来を本尊として脇侍に観音菩薩と地蔵菩薩が配されている。
仏間
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観音堂に安置されている円通菩薩像。
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三面大黒天像。
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観音堂のある仏間。
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この大黒天絵は、省峯禅師が描かれたもの。夢のお告げで出てきた大黒天を1万6千枚描いて、信者に配ったところ、多くのお布施が集まったのだそうだ。さすがに大黒天さまのお力ですね。
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庭は小堀遠州の作と伝えられている。ガラスも年代もので、近くに寄ってみる波打っているのが分かります。
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中ほどに山形の石が置かれている。
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開山された清巌宗渭禅師の絵と、代々の住職の絵も見せていただきました。
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誰の作のものかは尋ねませんでしたが、こちらも見事でした。
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こちらのお寺は常時開いているわけではなく、電話で事前に予約しておくと、住職さんが色々と丁寧に説明をしていただけます。説明の後は、お菓子と抹茶をいただきながら、小堀遠州作の庭をじっくりと拝見。たった一人の空間の中で何の音もしない時間を過ごしましたが、不思議と人寂しくは感じませんでした。
住職から聞いたお話し:
千利休の孫が、茶室を開く前に師匠であった清巌宗渭禅師をお茶に招いたところ、禅師は時間に大いに遅れてしまった。用のあった千利休の孫は弟子に言づけて外出してしまった後に清巌宗渭禅師が到着し、「懈怠比丘不期明日(けたいのびくみょうにちをきせず)」と書き置きして立ち去った。戻ってきた千利休の孫がこの書き置きを読み、自分の不明を恥じて「今日今日と言いてその日を暮らしぬる明日のいのちはとにもかくにも」と詠んで謝罪をしたのだとか。
こんなお話しが聞けるのも、予約して対応いただいたお陰です。ほんの小1時間の拝観でしたが、非常に愉しめる拝観となりました。ありがとうございました。
■ 法幢時
禅華院から蓮華寺まで歩いている途中に見つけたお寺。観光寺ではないので、参拝客は一人もいませんでした。
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門とその左側にある毘沙門天の像。
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本堂。
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境内にあった可愛らしいお地蔵さんたち。
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■ 蓮華寺
応仁の乱後荒廃していた京都駅付近にあった浄土宗系の古寺を、加賀前田家の老臣今枝民部近義が祖父の菩提のために、今ある地に移して再興した天台宗のお寺さん。山号は帰命山。本尊として釈迦如来を祀っている。
大通りからちょっと入ったところにある門。
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入り口の石像
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仏間の軸
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庭園は江戸初期の豪華な石組を誇る名園で、何と言っても柱と鴨井、床とが絶妙な額縁となって、目を愉しませてくれる憎い構図となっています。紅葉には早かったですが、葉が色づく前であっても何時間も座って見続けて飽きることのない見事な景色でした。
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本堂側から見た庭。
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■ 瑠璃光院
蓮華寺からバス1駅離れた風光明媚な八瀬にあるとっても有名なお寺。浄土真宗東本願寺派で無量寿山光明寺瑠璃光院が正式名称のお寺。
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この瑠璃光院を有名にしているのは、窓越しに見ることができる風景と部屋の写経机に映る景色のバランス。写経机が憎いくらいにピカピカに磨きこまれていて、フォトジェニックな環境を作り出しています。
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紅葉の時期には、寺の前に列ができて整理券を配るくらい人が集まるのだとか。訪れた10月下旬は紅葉には早かったですが、それでも多くの人が経机に映る景色を狙ってカメラを構えていました。
2階からの景色の他にも、臥竜の庭という名の池泉庭園や山露路の庭という名の庭もあり、さすがに景勝地である八瀬ならではの見処多いお寺さんです。
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2階から臨む八瀬の風景。
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出口近辺の戸口から見る裏庭。
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入り口に建ててあった立て札。
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書院2階の写経机が有名なために、参詣というよりも撮影会という雰囲気がいっぱいのお寺です。寺側も事情が分かっているので、拝観料は2千円と高めに設定しています。写真を撮るために一度は行ってもいいけれども、景色を愉しむのであれば蓮華寺の方が私は好みです。
■ 青蓮院門跡
天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つで、天台宗の京都五箇室門跡の一つ。山号はなし。開基は伝教大師最澄、本尊は熾盛光如来(しじょうこうにょらい)。明治に至るまで、門主は殆ど皇族であるか、五摂家の子弟に限られており、皇室と関わり深いお寺。門跡(もんせき、もんぜき)とは、皇族・公家が住職を務める特定の寺院のこと。
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寺内で最も大きな建物である宸殿。「宸」は皇帝の意で、有縁の天皇の位牌を祀る堂のこと。奥にある建物は鐘楼で、自由に撞くことができます。
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宸殿前の庭には、右近の橘と左近の桜が配されている。
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龍心池を中心とした庭園は、室町時代の相阿弥の作と伝えられ、粟田山を借景にしてその山裾を利用した池泉回遊式のお庭。
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正式の玄関な入り口である大玄関
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この寺の良さは、気取らないところだと思う。小御所の座敷に座って、いつまでもボッーと庭を眺めていられる雰囲気だったが、外国人たちが縁側にボッーと座ったままだったので、私が居る場所が確保できませんでした。
■ 知恩院
言わずと知れた浄土宗総本山の寺院。浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、現在のような大規模な伽藍が建立されたのは江戸時代以降である。詳名は華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざん ちおんきょういん おおたにでら)。本尊は法然上人像(本堂)および阿弥陀如来(阿弥陀堂)で、開基(創立者)はもちろん法然。
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山門は国宝です。
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山門を裏側の石段の上から撮ったもの。
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御影堂は修繕中でした。
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御影堂横から見える寶佛殿。
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境内の奥にある勢至堂(せいしどう)が建つ地は、法然上人がお念仏のみの教えを広められた大谷の禅房の故地であり、知恩院発祥の地。もともとは法然上人のご尊像を祀っていたが、御影堂が建立された折に移されたため、勢至菩薩像(重要文化財)を本尊として祀ってある。
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千姫(徳川秀忠公の長女)の墓その先にある濡髪大明神。御影堂ができたために住家を追われたキツネが、知恩院第三十二世雄譽霊巌(れいがん)上人にお願いし、代わりに用意してもらったのが、この「濡髪大明神」なのだそうだ。「濡髪」が艶やかな女性の姿をイメージさせることから、祇園町のきれいどころの信仰を集め、今日では縁結びの神様「濡髪さん」として親しまれていますのだそうです。
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広大、というのが強い印象。まず、山門の大きさに驚く。石段を上がって目の前に広がるのが広々とした空間の中に建つ巨大な建物。奥に行くと奥には別の建物や墓地がある。総本山という位置づけが持つ力を見せつけられるお寺でした。
10世紀後半に修学院という寺がここに建立されたのが地名の由来。この地に離宮を建てたのは後水尾上皇で、1655年から造営工事が起こされ1659年に完成された。この時は上と下離宮のみで、中離宮は後に建てられたという。総面積は54万5千平米を超え、高低40メートルの差も上手に使いながら設計された山荘。8万平米にも及ぶ離宮敷地内の水田畑地は、元々近所の農家の所有地だったものを、1964年に国が景観保持のために買い上げて今日に至っているのだそうだ。
下離宮の入り口である御幸門
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車が無い時代に、上皇が御所からここに来るまでに相当な時間がかかったために、到着後にお休みになるお休み処として作られたのが下離宮にある寿月観。石段の上に見える建物がそれで、池泉観賞式庭園の中に建っています。
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そして下離宮を出た門
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杉並木の中を歩いていくと中離宮の入り口となります。
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門を入って右を見ると松の木が庭の中央に鎮座しています。
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中離宮の建物えある楽只軒(左)と客殿(右)。上・下離宮は別荘であったのに対し、中離宮は常時住まう住居であったために、いつ見ても飽きないように庭に設えが異なっているのだそうだ。
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客殿の襖絵と、桂離宮の桂棚や醍醐寺三宝院の醍醐棚とともに「天下三棚」の一として知られる霞棚。
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杉戸に描かれた鯉。この鯉は夜な夜な泳ぎに出るために網をかぶせたという伝説がある。
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上離宮の入り口でる御幸門
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門から石段を上った離宮内の最高所に茶室・隣雲亭があり、その横には滝が作られている。
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隣雲亭から望む浴龍池。浴龍池は谷川を堰き止めて造った人工池で、堤防は高さ13メートル、延長200メートルに及び4段の石垣で補強されているが、武骨な石垣が見えないよう、3段の生垣と大刈込で覆ってあるのだそうだ。
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浴龍池の周辺
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浴龍池の中島に作られた窮邃亭(きゅうすいてい)。西側の景色が愉しむ際に西日を遮るために窓はこのように開ける仕掛けとなっている。
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訪れたのが10月下旬で丁度の茸の季節でした。そのために、通路や庭のあちこちに茸がこれでも!というくらいに生えていました。
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年に何回通ったのかは分かりませんが、これほどまでの別荘を建てられるのも権力者ならではなのですね。明治時代に入るまでは、離宮を取り囲む垣根もなく、自然に対して開放された山荘だったのだそうです。鷹揚な時代だったのですね。
■ 禅華院
修学院離宮の入り口からほんの50メートルも離れていないところにある小ぶりなお寺。事前に電話予約しておいたので、拝観することができました。
門は2階建てとなっており、上には鐘楼が乗っている珍しい構造の門です。
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元々は天台宗に属していたが、1624年に大徳寺の禅師である清巌宗渭禅師(せいがんそういぜんじ)が来られて臨時宗大徳寺派に改宗。その時は開山。正式名は解脱山禅華院で釈迦如来を本尊として脇侍に観音菩薩と地蔵菩薩が配されている。
仏間
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観音堂に安置されている円通菩薩像。
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三面大黒天像。
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観音堂のある仏間。
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この大黒天絵は、省峯禅師が描かれたもの。夢のお告げで出てきた大黒天を1万6千枚描いて、信者に配ったところ、多くのお布施が集まったのだそうだ。さすがに大黒天さまのお力ですね。
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庭は小堀遠州の作と伝えられている。ガラスも年代もので、近くに寄ってみる波打っているのが分かります。
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中ほどに山形の石が置かれている。
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開山された清巌宗渭禅師の絵と、代々の住職の絵も見せていただきました。
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誰の作のものかは尋ねませんでしたが、こちらも見事でした。
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こちらのお寺は常時開いているわけではなく、電話で事前に予約しておくと、住職さんが色々と丁寧に説明をしていただけます。説明の後は、お菓子と抹茶をいただきながら、小堀遠州作の庭をじっくりと拝見。たった一人の空間の中で何の音もしない時間を過ごしましたが、不思議と人寂しくは感じませんでした。
住職から聞いたお話し:
千利休の孫が、茶室を開く前に師匠であった清巌宗渭禅師をお茶に招いたところ、禅師は時間に大いに遅れてしまった。用のあった千利休の孫は弟子に言づけて外出してしまった後に清巌宗渭禅師が到着し、「懈怠比丘不期明日(けたいのびくみょうにちをきせず)」と書き置きして立ち去った。戻ってきた千利休の孫がこの書き置きを読み、自分の不明を恥じて「今日今日と言いてその日を暮らしぬる明日のいのちはとにもかくにも」と詠んで謝罪をしたのだとか。
こんなお話しが聞けるのも、予約して対応いただいたお陰です。ほんの小1時間の拝観でしたが、非常に愉しめる拝観となりました。ありがとうございました。
■ 法幢時
禅華院から蓮華寺まで歩いている途中に見つけたお寺。観光寺ではないので、参拝客は一人もいませんでした。
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門とその左側にある毘沙門天の像。
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本堂。
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境内にあった可愛らしいお地蔵さんたち。
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■ 蓮華寺
応仁の乱後荒廃していた京都駅付近にあった浄土宗系の古寺を、加賀前田家の老臣今枝民部近義が祖父の菩提のために、今ある地に移して再興した天台宗のお寺さん。山号は帰命山。本尊として釈迦如来を祀っている。
大通りからちょっと入ったところにある門。
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入り口の石像
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仏間の軸
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庭園は江戸初期の豪華な石組を誇る名園で、何と言っても柱と鴨井、床とが絶妙な額縁となって、目を愉しませてくれる憎い構図となっています。紅葉には早かったですが、葉が色づく前であっても何時間も座って見続けて飽きることのない見事な景色でした。
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本堂側から見た庭。
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■ 瑠璃光院
蓮華寺からバス1駅離れた風光明媚な八瀬にあるとっても有名なお寺。浄土真宗東本願寺派で無量寿山光明寺瑠璃光院が正式名称のお寺。
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この瑠璃光院を有名にしているのは、窓越しに見ることができる風景と部屋の写経机に映る景色のバランス。写経机が憎いくらいにピカピカに磨きこまれていて、フォトジェニックな環境を作り出しています。
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紅葉の時期には、寺の前に列ができて整理券を配るくらい人が集まるのだとか。訪れた10月下旬は紅葉には早かったですが、それでも多くの人が経机に映る景色を狙ってカメラを構えていました。
2階からの景色の他にも、臥竜の庭という名の池泉庭園や山露路の庭という名の庭もあり、さすがに景勝地である八瀬ならではの見処多いお寺さんです。
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2階から臨む八瀬の風景。
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出口近辺の戸口から見る裏庭。
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入り口に建ててあった立て札。
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書院2階の写経机が有名なために、参詣というよりも撮影会という雰囲気がいっぱいのお寺です。寺側も事情が分かっているので、拝観料は2千円と高めに設定しています。写真を撮るために一度は行ってもいいけれども、景色を愉しむのであれば蓮華寺の方が私は好みです。
■ 青蓮院門跡
天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つで、天台宗の京都五箇室門跡の一つ。山号はなし。開基は伝教大師最澄、本尊は熾盛光如来(しじょうこうにょらい)。明治に至るまで、門主は殆ど皇族であるか、五摂家の子弟に限られており、皇室と関わり深いお寺。門跡(もんせき、もんぜき)とは、皇族・公家が住職を務める特定の寺院のこと。
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寺内で最も大きな建物である宸殿。「宸」は皇帝の意で、有縁の天皇の位牌を祀る堂のこと。奥にある建物は鐘楼で、自由に撞くことができます。
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宸殿前の庭には、右近の橘と左近の桜が配されている。
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龍心池を中心とした庭園は、室町時代の相阿弥の作と伝えられ、粟田山を借景にしてその山裾を利用した池泉回遊式のお庭。
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正式の玄関な入り口である大玄関
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この寺の良さは、気取らないところだと思う。小御所の座敷に座って、いつまでもボッーと庭を眺めていられる雰囲気だったが、外国人たちが縁側にボッーと座ったままだったので、私が居る場所が確保できませんでした。
■ 知恩院
言わずと知れた浄土宗総本山の寺院。浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、現在のような大規模な伽藍が建立されたのは江戸時代以降である。詳名は華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざん ちおんきょういん おおたにでら)。本尊は法然上人像(本堂)および阿弥陀如来(阿弥陀堂)で、開基(創立者)はもちろん法然。
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山門は国宝です。
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山門を裏側の石段の上から撮ったもの。
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御影堂は修繕中でした。
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御影堂横から見える寶佛殿。
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境内の奥にある勢至堂(せいしどう)が建つ地は、法然上人がお念仏のみの教えを広められた大谷の禅房の故地であり、知恩院発祥の地。もともとは法然上人のご尊像を祀っていたが、御影堂が建立された折に移されたため、勢至菩薩像(重要文化財)を本尊として祀ってある。
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千姫(徳川秀忠公の長女)の墓その先にある濡髪大明神。御影堂ができたために住家を追われたキツネが、知恩院第三十二世雄譽霊巌(れいがん)上人にお願いし、代わりに用意してもらったのが、この「濡髪大明神」なのだそうだ。「濡髪」が艶やかな女性の姿をイメージさせることから、祇園町のきれいどころの信仰を集め、今日では縁結びの神様「濡髪さん」として親しまれていますのだそうです。
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広大、というのが強い印象。まず、山門の大きさに驚く。石段を上がって目の前に広がるのが広々とした空間の中に建つ巨大な建物。奥に行くと奥には別の建物や墓地がある。総本山という位置づけが持つ力を見せつけられるお寺でした。
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