何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

イチロー式集中力

2011-01-13 23:27:06 | Book Reviews
「イチロー式集中力」 児玉光雄・著、インデックスコミュニケーションズ、2007年11月30日

p.22 タオル、歯ブラシ、ヒゲ剃り等は置き場所まで決めているくらいです。
 すべての物事が整理整頓されていれば、どんなプレッシャーの中にあっても余分なことを考える必要がないため、肝心の自分の仕事だけに集中できるからです。

p.30 ほとんどの人が嫌なことを後回しにしてしまいます。そのため、そのことが気にかかって目の前の仕事に集中できないのです。

p.43-4 「僕だってみんなと同じように、イライラしたり腹も立ちます。だけど、ほかの人にそれを知られたり、闘争心をむき出しにしたくないんです」

p.53 大切なのは、ピンチの「受けとめ方」であって、決して「逃げ方」ではないのです。

p.54-5 「すばらしい評価でも、最悪の評価でも、評価は周囲がするものであって、自分自身が出した結果でも、示した方針でもない。自分の姿だけは絶対に見失ってはいけないと思っているんです」

p.55 ピンチに陥り外部の評価にいつも意識がいってしまうと、結局軸を見失い、何をしていいかわからなくなり、集中できず、成果も上がらなくなるものです。
 集中力をつけたいならば、まず、「自分はこうだ」と思うものを決め、その信念を貫き通す勇気を持つようにしてください。

p.58-9 「僕の中のスランプの定義というのは、感覚をつかんでいないことです。結果が出ていないことを僕はスランプとは言わないですから」。
 人は結果だけで判断してしまうと、自分を見失ってしまいます。

p.62-4 「今でもブレない自分というものが完全にでき上がっているわけではないですよ。ただ、その時々に感じたものを削除するという行為を繰り返してきただけなんです」
 自分に「プラスしていく」のではなく、自分が持っているものから「マイナスしていく」。
 これは「学ばない」という意味ではなく「脱習」、つまり「知識のぜい肉を取り除く」という意味です。これは「無駄な仕事をしない」ということにも通じます。

p.72 「やっている間にそのプレッシャーから解き放たれるのは不可能ですね。プレッシャーがかかった中で、どうやってそこから抜け出すのかとよく聞かれますけど、その方法というのはないですよね。その苦しみを背負ってプレーするしかない」

p.100 例えばロッククライマーにおけるアマチュアとプロの違いは、テクニックではなく気迫なのだといいます。

p.127-8 その商品に普通以上の何か特別なプラスαのものを感じなければ、それなりのお金しか払いたくないものです。支払う側に「この人の代わりは他にいくらでもいる」と思わせたら負けです。
 このときのプラスαの定義は人によってさまざまですが、「感動」や「満足感」といった相手の心に訴えかけるような目に見えないものが一番強いものです。

p.156 「試合に出つづけるという意味で自己管理は必要ですが、ぼくらは高い給料をもらっているわけだから、体調管理は当たり前のことです」

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ピンチをチャンスに変える51の質問

2011-01-11 22:15:47 | Book Reviews
「ピンチをチャンスに変える51の質問」 本田健・著、大和書房、2009年7月15日

p.19 ピンチは自分が大きく成長するためにやってきます。
 ピンチをきっかけに知らなければならないこと、やらなければいけないことがあります。多少痛い目をして、そのレッスンを学ぶことができたら、ご褒美としておもしろいオマケがもらえます。それは、それまで自分が知らなかった才能が開花するというオマケです。信じられないような行動力、人をまとめる力、交渉力などが、ピンチを切り抜けるときにあなたの中から出てきます。

p.24 一つのドアが閉じれば、間違いなく次の扉が開きます。

p.29 あなたが、もし今ピンチに陥っていたとしたら、それは、もっと人間的に成長するステージに来ているからです。

p.31 あなたが何かをやろうと決めたとき、ほぼ間違いなく逆風が吹きます。それは、あなたを飛び立たせるために吹く風です。

p.36 「自分がやれることをすべてやった後は、(神に)任せてしまうのがいい」

p.68 事業をやるのが怖い、新しいことをスタートするのが怖いのも、結局は、失敗して、生きていけなくなるのが怖いのです。
 まわりから批判されたり、ばかにされたりするのもイヤかもしれませんが、「失敗=生きていけない」という構図が、人が行動するときの障害になっているのではないでしょうか?

p.111 「やるのが怖いことは、本当にやりたいことだ」

p.117 このまま10年をイメージして、そのときの閉塞感、イライラなどを感じてみましょう。そして、「そんなのは絶対イヤだ!」と心から感じたとしたら、それを自分を変えるテコに使ってください。
 「さあ、この状況をどう変えよう?」というモチベーションが出てくるはずです。

p.131-2 もっとよくなりたいというのは、一見するとすばらしいものですが、気をつけないと、人生で大切なものを台無しにする可能性があります。貢献願望、使命感は、個人や家庭のバランスを崩すことがあるからです。
 「成長しなければいけない」と思いすぎると、オフィスや家庭の中に、必ず亀裂が入ります。それは、そこにいる人が、現状に満足するタイプと、どんどん先に行きたいタイプの二種類に分かれ、綱引きが始まるからです。

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人生を決める3つの約束

2011-01-10 12:17:41 | Book Reviews
「人生を決める3つの約束 西田文郎・著、イースト・プレス、2010年10月22日

p.20 「3つの約束」
 自分との約束=信念、師との約束=尊敬、愛する人との約束=感謝

p.25-6 勉強ができない子どもは、まったく目標を持てなくなってしまいます。目標がなくなるということは、「自分との約束」がなくなることと同じです。そうなってしまうと、親など大切な人からなにかいわれても、「うるさいなぁ」と思うようになります。
 ですから、不平不満をいう子どもたちには、じつは「自分との約束」がないのです。絶対に守るべき「自分との約束」がなくなってしまったため、すぐに他人の責任にしてしまうのです。
 これは、社会人になっても同じことでしょう。会社や上司に対して不平不満をいう人、すぐに他人や環境のせいにする人は、「自分との約束」がないからなのです。

p.30 時にはやる気が出ないこともありますし、思わず否定的なことをいってしまうこともあります。楽しいと思う仕事もあれば、楽しくない仕事もあります。日々忙しく過ごしていると、自分の立ち位置を見失ってしまうこともあるでしょう。
 そういったとき、「自分との約束」を思い出してください。「自分はなんのために頑張っているのか」「なにを優先的にやらなければいけないのか」「自分にとって絶対に守らないといけない約束はなにか」など。「初心」に立ち返ることができます。
 
p.47 「自分との約束」というのは、「夢や目標を約束する」ことではなく、「夢や目標のために行動することを約束する」ことなのです。

p.49 本当に優秀な人は、たとえ自分と約束したことを99%の他人から反対されたとしても、「自分との約束」を守っているのです。
 新しい将来のニーズに対してなにかをしようとしているのですから、まわりの人にはその価値がわからなくて当たり前です。誰でもわかるようなものなら、もう他人がやっているはずです。

p.51 自分を犠牲にしてても、なにかを達成したいという強い欲求こそが、「自分との約束」を守るうえで重要になってきます。
 つまり、自己犠牲を伴う欲望・野望がなければ、「自分との約束」を守ることはできないということです。

p.52 「積極的自己犠牲」がないところに成功はありえない

p.54 そして、「積極的自己犠牲」を楽しんでやらないと、いつの間にか「消極的自己犠牲」で生きることになってしまいます。

p.56 家庭を犠牲にするという究極の「積極的自己犠牲」がなければ、成功することはできないのです。

p.93 「強く、正しく、美しく」
 「強く」とは、「経験力」です。経験を積むことで自分を鍛えることができます。つまり、「どんな仕事でも、どんどん行動しなさい」という教えです。
 「正しく」とは、「他喜力」です。他人を喜ばす利他の心がなければ、いくらお金儲けをしても無益です。自分のことばかり考えていると、人はずるくなってしまいます。
 「美しく」とは、「感謝の心」、素直な気持ちです。素直な気持ちで「感謝の心」を持っていなければ、人は見苦しくなってしまうということです。

p.170 「自分との約束」を破るということは、努力しなくなるということです。つまり、「自分との約束」を破れば、「天運」は下がってしまいます。

p.171 「あなたの努力は、誰にもわかってもらわなくていい。天の神様にだけわかってもらえればいい」と思うことが重要です。
 先ほど、「天運」に気づくと不平不満がなくなるといいましたが、天の神様にあなたの努力が伝わっているのであれば、やはり不平不満はなくなります。

p.174 「ツキ」とは、チャンスをつかむ能力です。
 それに対して、「運」というのは、苦しさを克服した人間にしか訪れないものです。

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くじけないで

2011-01-09 12:28:27 | Book Reviews
「くじけないで」 柴田トヨ・著、飛鳥新社、2010年3月25日

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マネジメント信仰が会社を滅ぼす

2011-01-08 10:50:02 | Book Reviews
「マネジメント信仰が会社を滅ぼす」 深田和範・著、新潮選書401、2010年12月20日

p.5 マネジメント本に書いてあった理論や手法に逃げて、ビジネスの現実を直視しなかったのである。

p.6 ビジネスにかける経営者達の「意志」がないのだ。日本企業は、マネジメントの理論や手法にこだわりすぎて、ビジネスを進めるうえで最も大切な意志を喪失してしまった。

p.7 世界観や哲学を持たない企業経営の理論や手法は、単なる「金儲けのための道具」にすぎず、それを広めたところで「金の亡者」が増えるだけだからである。

p.21 あくまでも、ビジネスが「本質」や「中身」であって、マネジメントは「やり方」や「スタイル」にすぎない。そういう意味では、ビジネスが「主」で、マネジメントが「従」という位置づけになる。

p.21 ところが最近、この主従の関係が逆転している。
 マネジメントによってビジネスが抱える問題を解決できるという「マネジメント信仰」を持つ人が多くなり、マネジメントが主で、ビジネスが従のように扱われている企業が増えてきた。実際に、営業や製造等の現場の第一線でビジネスを行っている人よりも、経営企画や人事等、本部でマネジメントを行っている、いわゆるホワイトカラーのほうが権力を持ち、経営の主役気取りで社内を闊歩している姿をよく見るようになった。

p.29-30 実は、経営者や管理職にしてみれば、意志を示すよりも意見を言っているほうが楽である。意志は個人の考えを示すものであるから、失敗した場合には、それを示した本人が責任を追及される。一方、意見は客観的、建前論的なものであるから、失敗した場合でも、よほどのことがない限り、個人の責任は追及されない。つまり、意志を示すよりも無難な意見を述べているほうが、自分の立場や地位を守るためには都合が良いのだ。

p.31 自らの意見を示さず、責任を回避しながら物事を進めることができるから、経営者達は「真似ジメント」に頼りがちになる。しかし、当然のことながら、意志を示すべき者が最初から逃げ腰になっている策などうまくいくはずがない。したがって「真似ジメント」は、ほとんどの場合、失敗してしまう。何かに失敗すると、意志を示すことに自信が持てなくなり、ますます他社事例に頼るようになる。こういうことを繰り返しているうちに、自分の意志をまったく示さない(示せない)ようになる。

p.43 とくに、マネジメント信仰が強い人ほど、「理論で何でも解決できる」と過信し、あるいは「ある手法を導入すれば問題解決ができる」と思い込み、都合のよいことばかりを考えてしまう傾向がある。

p.57-8 ビジネスを効率的に、あるいは安全に進めるためにマネジメントが行われる。しかし、マネジメント信仰が強まると、それが暴走して、制度やシステムによる管理ばかりを行うようになり、ビジネスの障害となってしまう。
 マネジメントが管理志向を強めると、社内の規程や業務マニュアルが増えていく。様々な届出から日常業務の進め方までルールで縛られるようになる。しかし、これらのルールを運営するマネジメント側は、何か問題が発生したときに責任をとってくれるわけではない。

p.67-8 これら(近年ベストセラーになっているマネジメント)の本には、経営理念の徹底やシステム・制度の導入等によって、会社を変革したという内容のものが多い。これを真に受けて「社内の仕組みを変えれば会社は変えられる」と思い込み、「内向き志向」を強めている経営者や管理者が増えている。
 ビジネスでは、基本的に顧客という「相手」が必ず存在する。したがって、ビジネスを意識しているうちは、「内向き志向」に陥ることはない。ところが、マネジメント信仰を持つ者は、「社内の管理こそがマネジメント」と思い込み、社内ばかりに目を向けるようになる。そして、いつのまにか顧客や社会の存在を軽視してしまい、それが引き金となって企業不祥事や長期的な業績低迷などの問題を引き起こす。

p.73 マネジメントが強化されると、経営者も社員も社内のことばかりに目が向いて、社外に向けて新しいビジネスを行おうという意欲が薄れていく。そのうちにマネジメントが強化された状態に適応した「優等生的」な人材が社内で優遇されるようになり、社外の顧客にしっかりと目を向けてビジネスを行おうとする「起業家的」な人材はあまり評価されなくなる。
 しかし会社は、顧客や社外に価値を提供し、そこから評価されることによって、はじめて存在が認められるものだ。マネジメントを強化して組織を固めたからといって継続できるというわけではない。したがって、顧客よりも組織を重視する組織、ビジネスよりマネジメントを重視する会社は、いつか社外から評価されなくなり、存続の危機に見舞われることになる。

p.81 経営者や管理者が、マネジメント信仰を強めると、消去法でしか物事を決められなくなり、社内の意志決定のスピードは遅くなる。しかもリスクが少ない、ありきたりな案しか採用されなくなってしまう。こうなると、会社が危機的な状況に陥っていたても大胆な改革ができなくなり、ずるずると業績不振を続けてしまう。

p.85-6 マネジメント信仰が広がることによって、経営者や社員は顧客よりも組織に目が向くようになった。この状態が継続すると、組織・会社のためには、顧客・社会を欺いたり犠牲にしたりするのも仕方ないよいう極端な考え方が出てくる。そして、この発想が行き過ぎると、いわゆる企業不祥事が発生する。
 不祥事を起こした会社がブランドイメージを崩壊させ、業績を悪化させる様子を見て、日本中の会社が「コンプライアンス」や「リスク管理」を強化した。
 皮肉なことに、社内のマネジメントを強化すればするほど、経営者や社員は、社内・組織に対する意識を強め、「顧客や社会のために」という感覚を失う。こうなると、ますます不祥事を起こしやすい状態になってしまう。

p.88-9 マネジメント手法を運用する社員とそれ以外の社員との間では、これらの仕事の必要性について大きな意識の差がある。品質や情報のマネジメントを行う中高齢社員は、自分の仕事の必要性が高いと思い、それを徹底的に行おうとする。一方、それ以外の社員は、品質や情報管理を煩わしいものと想い、これらに関する諸手続きを簡単に済ませたいと思っている。そこで、マネジメントをする側は「当社の社員は品質や情報を管理する意識が弱い」と想い、品質や情報を管理するためのシステムをさらに強化していこうとする。マネジメントが複雑化し、コスト体質が悪くなるので、ビジネスはどんどんやりにくくなっていく。

p.90 品質管理も、環境に対する配慮も、本来は社員一人ひとりの意識の問題であって、それが高まらないことには根本的な解決にはならない。ただ全社員の意識を高めることが難しいので、規制やチェックを行うことによって、それらの管理を徹底しようとする。しかし、意識を変えないままにマネジメントを厳しくしたところで、社員はルールやチェックの抜け道を使ってしまうため、かえって問題を深刻なものにする。

p.92 マネジメントが強化されて、社内のことばかりに意識を向けさせられると、社員は顧客・市場との接点を見失ってしまう。そうなると、自分の仕事に対して社会的な意味や目的が感じられなくなり、やりがいを喪失してしまう。ただ会社のために仕事をしているような感覚になり、しかもマネジメント強化によって仕事が厳しく管理されていくので、最終的には仕事をすることも会社に行くこともイヤになってくる。マネジメントが強化された会社では、うつ病に陥る社員が増えてくる。

p.93 うつ病を防ごうとするのであれば、マネジメントを強化して社員の仕事の進め方や労働時間を管理するのではなく、むしろマネジメントを弱めて、社員に主体的なビジネスをさせることが必要である。

p.106 もともと私達は、経験・勘・度胸を伸ばすような教育というものを受けてきてはいない。今の教育では、決められたルールに基づいて正解を効率的に導き出すことが重視されている。様々な経験を繰り返して、勘と度胸を身につけることは奨励されていない。
 この問題を解決するためには、普段から意識して経験・勘・度胸を強化していくしかない。つまり、仕事や生活の中で、勘・度胸を伸ばすような経験を積み上げていくのである。

p.117-8 新ビジネスのリスクを小さくする方法は、「自分がやりたいビジネスを実行する」ということである。自分のやりたいビジネスが、成功する可能性が最も高いからではない。失敗したときに、「ダメだったけど、自分がやりたいことを試すことができた」というあきらめがついて、再スタートを切りやすいからである。

p.123 経営者も、管理職も、監督になるより審判をしているほうが楽である。審判であれば、自分の意志や戦術を示さずに、会社が決めた方針や人事考課制度のとおりに部下をマネジメントしていればよい。組織目標が達成できなくても責任を厳しく問われることもない。「人事考課は会社が決めた仕組みだから従わざるをえない」という言い訳をして、定められたルールや基準を適用する審判の役割を自ら進んで引き受けていれば、自分の身は安全なのだ。経営者や管理職がこういう状態であっては、日本企業は、いつまでたっても復活しない。

p.125-6 知識や能力なんて、室長になればいやでも身につく。大事なことは、室長に向いているかどうかだけだ。それを見極めるのが社長の仕事だ。こういうことは、基準で決めることではなくて、経験とか勘がものをいう。
 逆に、『こういう知識や能力を備えた人を室長にしましょう』なんて基準を作られたりしたら、私にしてみれば迷惑だ。そんなもので室長を選んでいたら、きっと会社はおかしくなる。

p.127-8 なぜ、日本企業において、ビジネスよりもマネジメントのほうが高い立場になっているのであろうか。
 答えは簡単である。社員の処遇を決めいているのが、ビジネスではなくマネジメントをする側の人間だからである。彼らは、マネジメントがうまく機能しなければ、ビジネスは回らないと考えている。だから、経営においてもマネジメントが重要であり、ビジネスをする者よりも地位や報酬が高く設定されている。

p.132 社員が生み出す価値を、将来見込めるものも含めて、会社が独り占めしようとするから、「起業家を育成しても無駄」という話になる。しかし、企業するぐらいの人材を育てられない会社は、「組織の中でしか通用しない社員を多く抱え込む状態」になっているということでもある。こうなると、その会社は「管理はするけど無責任」という傾向が出てきたり、「顧客よりも組織を重視する」傾向が出てきたりして、衰弱していくのである。

p.149 多くの人が「他人のモチベーションをコントロールできる手法が存在する」と信じこもうとしている。
 マネジメントも信仰も同じことだ。企業の業績を確実に向上させるマネジメント理論や手法など存在しない。マネジメント理論や手法自体は、どこかの会社で成功した事例に基づくものかもしれないが、それがあらゆる会社に通用するとは限らない。セミナーやマネジメント本で紹介されてりう理論や手法を真似したところで、成功するとは限らない。

p.151 会社や自分を変えたいのであれば、自分の意志に基づいて、自分の行動を主体的に選択することが必要である。マネジメント本に紹介されている理論や方法を真似している場合ではない。ときにはリスクを冒して新しいことに挑戦しなければ、何一つ変わることはないのだ。

p.153 試合の最後の方で、コーチは子供達に「もういい。お前達の自由にしろ。自分で考えて何とかしろ」と怒鳴った。「自由にしろ」と言われても、子供達は「自分達が何をしたいのか」とは考えない。「コーチが自分達に何をさせたいのか」ということを必死に考えてりう。その挙句、ますます自分の意志で動けなくなってしまう。「自分達で考えろ」「自由にしろ」と言いながら、結局、「上の人の考えるとおりにしろ」という強制になっている。これでは、いつまでも子供は自分の意志を持つようにはならない。

p.155 ミスを避けるためには何もしないでいることが最もよい。しかし、何もしないわけにはいかないので、責任を追及されないようにしながら、重要なことをしているように見せかけようとする。そうして、意志を示さずに建前論的な意見を述べたり、部下の仕事の管理だけを行ったりするようになる。こうしているうちに、リスクを冒して新ビジネスに挑戦する者が、めっきり少なくなた。「マネジメント」にうつつを抜かしているうちに、「ビジネス」がボロボロに崩壊してしまった。


 マネジメントに頼ってきた経営者は、研ぎ澄まされた勘も、先を見通すことに役立つ経験も、今だと踏み切る度胸もないのではないだろうか。
 
★★★★★

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経営のやってはいけない!

2011-01-06 23:55:43 | Book Reviews
経営のやってはいけない! 残念な会社にしないための95項目 岩松正記・著、クロスメディア・パブリッシング、2010年11月11日

p.16 ここで注意したいのは、成功談を聞く目的。その本質は、「あくまでも過去に学ぶこと」、この一点にあります。決して成功者の真似をし、言った通りに物事を実行するためにあるのではありません。
 成功者の話を聞くのは、そこで得た情報を自分で取捨選択し、自分に合ったやり方を見つけ出すため。特に失敗した方法、やらなければ良かったと成功者が言った方法こそ参考になります。成功者がやって失敗したことは後発の我々はしなければいい。成功者が実行しなかったことは、同様に我々もそれをしなければ、間違いなく同様に成功しない。

p.18 成功話はある意味その人独自のものであり、実は多くの場合、再現性がありません。後から同じことをやったとしても、同様に100%成功できることは滅多にない。というより、全くできないと言った方が正しい。

p.19 「これをやったから成功した」ということよりも、「これをやらなかったから成功した」ということの方が、はるかに再現性が高い。
 成功者がやったことよりもやらなかったことに着目し、それを実践して行くのです。やらないことを決めることで、やれることは反対に広がっていきます。

p.50 信用を築くにはどうしたらいいのでしょうか。
 まず考えられるのが、納期等の約束を守る、裏切らない等々。しかし結局最後には、「カネに汚いことをしない」ということで落ち着くのではないでしょうか。

p.57 俗に「2・8の法則」などと言われています。この本当の意味は、稼がせてもらう大手客と、その他のお客とのバランスを保ち続けなければならないという点にあります。

p.63 自分の会社を潰す方法を一つ一つ「潰していく」ことで、万が一のことがあった場合でも会社は持ちこたえられるはずです。

p.70-1 本当に従業員教育はムダなのか。実は、ムダにしているのは、社長の安易な姿勢、取り組み方の問題なのですね。自分が楽をして、従業員を教育することなどは絶対にできないと思った方がいい。自分の考えを伝えるためには、自分も同じ経験をしないとなかなか伝わりません。

p.73 今の現状は半年前の行動の結果。今の行動は半年後の成果です。
 従業員が現状維持を望むのは仕方のないことで、いわば、会社の中で最も現状を変えたくない、保守的になるのは、従業員だと言っても過言ではありません。それを打ち破って先へ先へと進むのが社長の役目であり、いわば、社長が社内では最も革新的でなければならないのです。

p.77 自分の意に沿わないことがあったならば、すぐにその場で指摘する。これは経営者の義務です。

p.144 そもそも社長の役割は決定すること、判断すること。多少、従業員の意に反することもあるかもしれませんが、それにいちいち反応していては生き残れないのが中小・ベンチャー企業の実態です。

p.145 会議での指示命令に必要なのは社長の考え方だけでなく姿勢。単に意志を伝えるのではなく、目的なり目標を絶対に達成するのだ、しなくてはならないのだという強固な意志を示す場だという自覚を、社長自身が持たなければならない。会議で社長以外の人間の意見など聞かずにこちらの意志を伝えるだけでいい。ただし、心を打つように伝えることができなければダメ。ここで従業員の心を動かせないようでは、商売の成功も何もないでしょう。

p.217 世の中に出ると、学歴よりも勉強ができたことよりも、まず問われるのはコミュニケーション能力。つまりは人と接する力。
 では会いさえすればいいのかというとそうでもない。会った上で印象付けなければ、商売は次のステップへは進めないものです。

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無菌室ふたりぽっち

2011-01-05 23:34:21 | Book Reviews
「無菌室ふたりぽっち」 今田俊・著、朝日新聞出版、2010年11月30日

 この本は Apple store で購入して、iPad で読んだ。デジタル書籍というものがどんなものかを知る、お試し読書でもあった。iPad の使い勝手がすべて把握できたわけではない。いや使いこなしていないといったほうが正確だろう。しかし読了した。途中、ブックマークしながら、最後まで辿り着いた。

 フツーの書籍とデジタル本と、どこが違うのだろうか。1冊ではよくわからない。絵や画像、動画などのオプションが入れば別なのかもしれない。エッセイではなく、学術書であったりすると、また様相が変わってくるのかもしれない。それらは今後の課題だ。そう時間がかからずに、アクロバティックなデジタル書籍が次々に出されるに違いない。

 読むことについては、とくに支障はない。本を手に持って読まなくてもいいのが楽だったり、文字を大きく出来て老眼にはやさしかったりする。一方、寝そべりながら読みづらいということもある。ここらは一長一短だ。

 本書のレビューならぬ、電子書籍のレビューになってしまった。内容は闘病記であり、少なからず同病で苦しむ者にはずいぶん参考になるのではないか。また死と隣り合わせの日々を過ごすことについて、文字にはしきれなかった想いが少なからずあるのではないかとも思った。
 自分はまだまだ追いつめられていない。苦しい毎日だなんて思いながらも、甘い生活を送っているのだと、反省させられもした。

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だれかを犠牲にする経済は、もういらない

2011-01-04 11:45:12 | Book Reviews
だれかを犠牲にする経済は、もういらない 原丈人・金児昭、ウェッジ、2010年6月27日

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成功する男はみな、自分の心に嘘がつける。

2011-01-03 14:27:54 | Book Reviews
「成功する男はみな、自分のがつける。」 角川いつか・著、だいわ文庫、2008年11月15日

p.99 「従業員の数」「支店数」「個人資産の金額」「不動産の数」などの数自慢をする経営者をよく見かけるが、じつは裏で経営が行き詰まっていたりする。マイナス要素(現実)をごまかすために、数で虚勢を張っているのだ。


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やまない雨はない

2011-01-02 12:48:39 | Book Reviews
「やまない雨はない 妻の死、うつ病、それから・・・ 倉嶋厚・著、文春文庫、2004年2月10日



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