何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

虚妄の成果主義

2011-01-15 11:40:43 | Book Reviews
「虚妄の成果主義 日本型年功制復活のススメ 高橋伸夫・著、日経BP社、2004年1月19日

p.17 単純な「賃金による動機づけ」は科学的根拠のない迷信である。

p.28 日本型の人事システムの本質は、給料で報いるシステムではなく、次の仕事の内容で報いるシステムなのだということである。

p.34 もともとは内発的動機づけだけの状態で、職務遂行と職務満足はくっ付いていたのであるが、金銭的報酬を与えたことで、そのインパクトの強さから、職務遂行と職務満足との間に金銭的報酬が割り込んでしまい、両者は分離してしまったのである。こうして金銭的報酬を介して、職務遂行と職務満足が結び付くようになってしまった以上、金銭的報酬が与えられなくなると、職務満足も得られなくなり、さらに次の職務も遂行されなくなってしまったのである。

p.42 今、多くの日本起業にとって必要なものは、従業員が生活の不安を感じることなく、それ故、事業の成功に必要な仕事に専念できるような「何か」なのである。

p.42-3 経済的苦境に陥ると、現場から遠い経営者ほど、ついつい安易に「切る論理」を探し始める。成果主義も年俸制も底を流れるものは「切る論理」であろう。しかし、それでは一時的な業績回復はありえても、企業の永続的発展は望めない。アイデアのない経営者ほど、マスコミ受けを狙って、暗にな人件費削減をニュースにしがちである。確かに、短期的には市場も反応するだろう。しかし、そんなものはしょせんその場しのぎに過ぎないし、いつまでも削減し続けられるわけもない。市場が求めているのは、長期にわたって安定的に利益を出せるきちんとした事業構築なのである。むろん、それには時間がかかる。だから、今すぐにでも打ち出さなくてはならないのは、新しい事業戦略のアイデアの方なのだ。そのためには何が必要なのか。企業を成功に導いてきた偉大な経営者達がしてきたことを振り返ってみるべきだろう。

p.49 淘汰された企業の人的資源を含めた資源を吸収しながら成長を続けていく企業があってこそ、はじめて産業構造の変化が起こり、より効率的な企業モデルが普及していくことになる。

p.110 コスト意識をもつことは一見合理的だが、これでは「人材」に対する扱いではない。使い捨ての消耗品と同じ扱いなのである。
 成果主義という選択肢を捨てる覚悟をするところから、本当の意味での企業革新が始まる。成果主義という安易な選択肢を捨て去って、初めて企業や組織にとって、一体何が重要で、今、何をしなければならないのかが見えてくるはずである。必要なことは、人件費にコスト意識を持つことではない。10年後、20年後の未来を考えた人材への投資こそが、今、求められているのである。

p.117 そもそも、目標を達成すること自体が、快感を伴っていたもののはずなのに、その後、それが金銭的報酬に連動したときにわき起こる不条理感。

p.125 生産性に連動した給与制度は、一般的に、長期的な生産性向上に悪影響を及ぼす。なぜなら給与が生産性に連動していれば、一時的にではあれ生産性の低下するような製造工程や製造方法の変化に抵抗するという現象が、現場で発生するからである。それとは逆に、給与システムを動機づけに使うことなく、時間単位の給与を支払うことで、技術革新や製造工程・製造方法の変化に抵抗・反発がなくなり、それどころか、むしろ歓迎されるようになるという現象も指摘されている。

p.130 「管理」では、上から与えられた目標・標準の周りに設定した許容範囲を逸脱した場合、原因を分析し、原因を除去する強制的行動がとられる。それに対して「改善」では、現場で常に標準作りが行われ、それは「標準の改訂」あるいは「目標の上方修正」を意味するようになる。

p.131 ところが20世紀末になると、トヨタに代表されるような、工員の自発性に依存した「快善」が成功することは、誰の目にも明白になる。いまや「改善」は米国はじめ世界中の工場にも移植されている。テイラーがまれなケースだと切り捨ててしまったことが、条件さえ揃えてやれば、本当は頻繁に起こり得るものであったことが実証されたのだ。自発性を信じても良かったのである。

p.133 作業者の作業能率は、工場の照明度や休憩時間などの物理的環境条件よりも、彼らの心理的・情緒的なものに依存するところが大きいことがわかったのである。

p.162 自己決定度が上がるにつれて、満足比率もまた上昇するというようなきれいな直線的関係が得られる。

p.172 内発的に動機づけられていれば、人は、自己の環境を処理し、効果的な「変化」を生み出すことができたとき、有能さを感じるのであり、それはまさに自己決定的であると感じていることにほかならない。

p.179 ある人は、過去の実績がある人よりも、アイデアのある人に社長をやってほしいとまで言い切っていた。われわれが必要としているのは、過去の実績ではない。未来なのだ。過去の立派な功績に報いるために社長にするなんていうのは馬鹿げている。社長職は名誉職ではないのだ。

p.181 要するに、社長でいること自体が目標になってしまっていることが情けないんですよ。自分の責任が問われないようにって、はっきりしたことを言わないわけでしょう?
 実際には、己の保身のために、トカゲのしっぽ切りに走る経営者の何と多いことか。昨今のリストラも成果主義も、しょせんはトカゲのしっぽ切りである。経営陣の過去の無策が招いた付けを社員に回そうという発想は、どうにもいただけない。

p.185 見通しがあれば、従業員の職務満足は向上し、退出願望は弱まるということがわかったのである。

p.190 長期雇用を前提とする日本の会社では、「今」満足している必要はないのであって、将来の見通しさえ立っていれば、人は現時点の苦しいことや、つらいことにも耐えられるものなのである。見通しさえ立っていれば、今の仕事に対して決して満足しないような人でも、会社を辞めたりせずに、チャレンジを続けられるのだ。

p.216 経済的苦境に遭遇すると、すぐに「切る論理」に走る経営者がいる。彼らは、一時しのぎの、本来してはならない資源の削減や圧縮を繰り返すのだ。その結果、終身コミットメントを壊してしまった後に残る殺伐とした風景のみが広がり、もはや共存共栄は存在しえない。

p.229 優秀な人間は、やろうと思えば何でも自分でできてしまう。しかし、一人でできる仕事なんて、試験を除けば、この世に何一つ存在しない。この世のすべての仕事が共同作業であり、誰かと一緒に営んでいくものなのだ。そのことを若者、特に優秀な若者には皮膚感覚で理解してほしいと心から願っている。

p.230-1 本書が批判している「成果主義」とは、①できるだけ客観的にこれまでの成果を測ろうと努め、②成果のようなものに連動した賃金体系で動機づけを図ろうとするすべての考え方、なのである。

p.234-5 経営者にではなく、中間管理職に、これだけは言っておきたいことがある。例えば、○○不祥事と名のつく事件の時には、必ずといっていいほど「会社のために」と不正を働く人々が登場するが、こんな自分への嘘や甘えは許せない。日本のサラリーマンが好きだからこそ許せない。なぜなら、本当は「会社のために」不正を働いているだけではないか。わが身かわいさで、上司や周囲の不正に手を貸し、目をつぶっているdけではないか。背任行為を「会社のために」などとうそぶくとは自己欺瞞も甚だしい。本当に会社のためを思っていたら、会社の中での自分の地位や出世、そして周囲の目が気になっても、体を張ってでも不正を正すべきである。それこそが本当に会社の未来を考えた行動というものだろう。

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