何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

薬の説明が不要のワケは

2006-07-19 23:18:26 | くすり雑感
 薬局に寄せられる要望として、待ち時間をもっと短くしてくれとか、プライバシーに配慮してくれ、といった昔から相変わらず続くものの他に、
・いつもと同じ薬だから(毎回もらっている薬だから)説明は不要
・医者に話したことと同じ事を聞かれ、2度も答えるのは煩わしい

 といったことがある。前者は、毎回でなくても、以前もらったことのある薬だから、既知のものだから、という理由も含まれる。

 薬局で説明するのは、何の薬だとか、のみ方、使い方はどうだとか、何に気をつけろだとか、そんなことばかりではないと思うのだが、それでも言わんとすることは、説明を受ける内容が同じなので、知っていることを繰り返されるくらいなら、もらうものをもらって少しでも早く帰りたいということになる。さも当然だろう。

 後者の要望も、そのような「言い方」で寄せられる背景を考えたとき、前者と共通するものがあると思われ、薬局(窓口)で行っていることは、服薬説明ではなく、服薬管理であるということが、共通の理解になっていないのではないかと思う。そこに齟齬が生じているから、薬剤師が話し掛けようとしている思いと、患者が話し掛けられたときに思っていることとの間に食い違いが出ているのだろうと思う。

 薬局は、薬を渡すところ、だから渡す薬の説明をする、薬剤師の説明とは渡す薬に関する説明である、だから患者にしてみれば知っている薬の場合は話は不要、そんな構図ではないだろうか。

 薬剤師が行おうとしている会話の本質は、説明が必要な薬であれば説明もするとはいえ、基本は服薬管理である、ということが理解されていない。とくに慢性疾患のように、毎回同じ薬をもらう人においては、定期的に“薬局に(も)”受診(--->こういう言い方は誤解を受けるかもしれないが)して、服薬を継続することについて、薬剤師という薬の専門家の目で安全確認をすることが重要なのである。

 そういった「服薬管理」があるからこそ、「指導」も発生する。管理のプロセスなくして、あーしましょう、これに気をつけましょうもないのである。
 医者への受診理由の中には、いわゆる「薬だけ」という“無診察”のときだって往々にしてある。処方せんをもらうだけのために病院に行くのであって、医者へはそれ以上期待しない、という患者の判断だ。医者にはそうだからといって、薬局にもそうであるかもしれないし、そうでない時とがある。薬局は、そこを考慮せず、毎回服薬指導をしなければ、などと無理しないことだ。“薬だけ”の延長で良ければ、それに従えばいいのであるし、そうであっても服薬管理が必要なことがあれば呼び止めて、その理由を伝えることだろう。その伝える内容が、患者さんの安全を守る内容になっていることはポイントだ。

 このあたりを無意識に使い分けができれば、たいへんフットワークのよい薬剤師になれるに違いない。薬局業務もたいへん効率良く行われることだろう 

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2 Comments

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地道な工夫を (さくら)
2006-07-20 10:38:51
 医薬分業になって、薬局に求められていることは服薬説明はもとより、服薬管理であり、特に後者に重点が増してくると思う。しかしながら、このことの重要さが患者には普段気づかれず、何かの副作用が起きて初めてとやかく言うようになるのは止む得ないのではないか。



 このような日常生活中での重要な事柄が認知されていないことは、先日来報道されている、緊急避難命令などでも従わなかったり、その訓練にも参加しないという人々の行動様式と共通するところがある。「仏作って魂入れず」はまさに行政のやり方であるが。



 確かに、同じことを何度も繰り返されても患者にとっては時間の無駄だと感じられるだろう(念を押すことも必要だが)。初回調剤時はともかく、次回からは調剤記録があるはずだから、せいぜい「薬はどの程度飲んでいますか」とか「何か変わったことがありましたか」といった服薬管理に繋がる会話ができると良いのではないだろうか。もちろんその間に添付文書の改訂があれば、それに見合った説明の追加は必要だが。



 薬局で、使命を果たそうとするなら、服薬管理の重要さを簡潔に説明したポスターを掲示し、調剤待ちの間に読んでもらう(そのためには一気に全てを盛り込むのではなく、継続して内容を更新していくなどの工夫をして)などの方法はいかがなものか。薬や商品の広告ばかりを掲示するのではなく。これは押しつけがましく感じさせない一つの方法だと思うが。



 このような地道な活動をすることで患者の信頼を増すことと思う。たぶん、多くの薬局でこのようなことが行われていると思うが、それでも患者に認識が広まらないと言うのであれば、何らかの工夫が必要になる。本来はこのような日常生活にかかわる事柄は義務教育の中できちんと説明され、理解されていなければならないことと思うのだが、いかがなことか。
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コメントありがとうございます (お疲れ)
2006-07-20 15:06:27
 仰られることはごもっともだと思います。既に気づいて実施している薬局もあるでしょう。患者さんが気づかないのは、薬局側に改善の余地があることだと思っています。



 多くの薬局には、薬を渡す側の事情中心の行動をとる文化のようなものがありますので、薬局のほうからそれを変え、いただいているお金の中身は、単純に“お薬代”ではないことを周知させていきたいと思います。

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