何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

処方鑑査に関する規定

2009-10-24 23:27:05 | くすり雑感
 薬剤師法24条は、疑義照会に関する条文として知られる。

 薬剤師は、処方せん中に疑わしい点があるときは、その処方せんを交付した医師、歯科医師又は獣医師に問い合わせて、その疑わしい点を確かめた後でなければ、これによって調剤してはならない

 当たり前だが、疑問に思う点があるからこそ、処方医とコンタクトをとる・・・、すなわち疑義照会が行われる。何も用事がないのに、処方医に連絡することはない。

 つまり、処方鑑査が行われたからこそ、疑義照会が行なわれる。薬剤師法24条だけ読むと、疑義照会について規定しているように思われるかもしれないが、実は「処方鑑査」と「疑義照会」はセットになっていると解釈することができる。

 処方鑑査をしなければ、疑義照会など行われない。
 処方鑑査をしても、そこで気づきがなければ、疑義照会には至らない。

 処方鑑査を行い、そこで疑義が生まれるかどうかは、処方に対する視野の広さや深さによって変わってくる。処方に対する目は、薬剤師の知識や経験、患者の健康問題に対する使命感や責任感の強さによって変動する。それらは義務でなければ、積極性や主体性も関係してくる。消極的な取り組みからは、処方鑑査レベルの向上は期待できない。

 経験だけは時間や数による部分が大きいので、ただちにどうしようもないが、知識は薬剤師の努力次第であるし、使命感や責任感、あるいは倫理観は感性や良心、教育によって培われる。

 それらが備わって熟成されて、処方鑑査の質が上がり、疑義照会の意味も高まるのではないだろうか。
 
 調剤終了後、疑義照会を忘れていたという報告がある。しなければいけないと知りつつ、忘れたり省いたりすることはまれだろう。多くは、しなければいけないことに、調剤時は気づけなかったのだろう。

 気づけなかったのは、処方鑑査の進め方、取り組み方に問題があったといえそうだ。「しなかった」のは「出来なかった」のだ。疑義に気づけなかったというのは、薬剤師の力量に問題があったのではないだろうか(さもなければ、処方鑑査を行う環境がそれを阻んだのかもしれない)。

 改めて、薬剤師法24条は疑義照会に関する規定であるが、同時に処方鑑査を求める規定でもある。それも、適切で、質の高さが要求されているといえる。

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