何かをすれば何かが変わる

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そして行動を起こし、何かを生み出す。

安全が軽視される理由

2007-07-13 11:27:50 | 思いつくまま
『安全とリスクのおはなし―安全の理念と技術の流れ―』 向殿 政男・監修、日本規格協会・発行、2006年。

 経営トップに生産現場の安全について質問すると、必ず“安全第一”という言葉が返ってくる。しかし、その一方で“安全は金がかかる”と妄信しており、実際に幾らかかるのかを確認しようともしない。安全は利益を生まないのであまり関心がないというのが本音である。“安全第一”と言いながら、自分は何もしない“お任せの安全”に陥っている。

 社長も役員も事故が起きると部下である部長に対し、“安全第一”の方針を示すが、安全方策の実施は部長に任せて自らは何もしない。“安全第一”の方針を受けた部長は、部下である課長を呼んで“安全第一”、“現場の安全を守れ”との方針を示すが、安全方策の実施は課長に任せて自らは何もしない。部長からこの方針を受けた課長は、部下である係長と職長を呼んで同様の方針を示すが、自らは何もしない。

 ところが、“安全第一”、“現場の安全を守れ”との方針を示された係長と職長は、経営幹部の本音を知っているから、“課長は本気なのか?”と考える。さらに言えば、係長も職長も、生産とコストについてのプレッシャーにさらされているから、突然、“安全第一”、“現場の安全を守れ”と指示されても信じることができない。まして、係長も職長も“ケガと弁当は自分持ち”の環境で育っている。現場の機械設備を安全にするための改造を提案しても、上司からは何の回答もない。ケガをすれば叱られるが、安全を守ったからといって誉められない。これが大方の生産現場の現実の姿である。このような生産現場で働く人たちは、“今回の安全についての指示は建て前だ! 本音は生産にある”と、幹部の本音を敏感に察知している。

 企業のトップ、工場のトップの本音を知っているからこそ、現場で働く作業者は“生産のためには、多少の不安全皇道は許される”と勝手に考え、近道行動や裏技に走る。これが“お任せの安全”が招く結果であり、経営のトップから末端までが集団的浅慮に陥っている現実の姿なのである。 (p.87-8)


 なーんだ、今頃になって気づいたのか、と言われそうだが、最近、つくづく組織のトップがしっかりしていないと、容易に組織はぐらつき、崩れると思う。トップとて人間だ。等しく1日は24時間しかないのだから、その間に見るべきものを見て、正しく理解し、次の決断ができるかどうかで、組織を巻き込むことを実感する。

 いわゆる正論を言うだけなら、誰でもできる。美辞麗句を並べて、このように考えていると言われれば、周辺は容易に反論できない。つまり、近づけない。

 しかしトップの行動や選択を見ていれば、言動不一致が随所に見られる。その一例が「安全」への取り組みだ。関心の程度、どこまで重要と考えているか、急ぐのかどうでないのか、などから力の入れようがわかる。

 これからの時代(これまでもそうだったのだが)、薬局では「安全」こそ“売り物”だ。患者さんに安全を提供できるかどうかが、利用者側の最大のニーズであり関心事だ。
 だから薬局はそこで競っているか、凌ぎを削っているかというと、そうではない。どうやって利用者を呼び込むか、囲い込むかに必死だ。安全第一なんて、理想に近いもので、夢に描く世界のように捉えているふうな経営者が少なくない。

 トップがその意識だから、日ごろ管理されるのは常に売り上げや予算である。どこに収益が安定的に確保できる道があるかどうか探っているかのようだ。どこかにあるか探し、簡単に作ることができないか考える。

 そうじゃないだろう、と思う。あるのは「本質」という道が常に目の前にあるだろう。そこを愚直に進み、質を高めるべく改善し続けるだけではないかと思う。その評価や成績が、経営的数値ではないかと思う。
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