福井日銀総裁ともあろう者が、その要職にありながら自らを律する行動がとれず、自分は「ど素人」であると表現し、周囲を唖然とさせた。
その相手であった村上世彰は、自らを「プロ中のプロ」と認め、その自分が犯した失策だと認めた。
ジーコジャパンは、予選で1勝もできず、ジーコ監督は日本代表にはプロ意識が足りない、と残念がった。「選手を縛らず、戦術も含めて自ら判断する自由を与えた。さらに上を目指すには、一人一人の自立が欠かせないと考えていたのは間違っていない。しかし、そこまで育たなかった」(朝日新聞 2006.6.24 社説)。日本代表なんだから、その人をおいて右にでる者はいないはずの選手が集合したにもかかわらず、いろいろな意味で能力不足を露呈させた。
一般的に見てとても素人とは思えないはずの人が、さまざまな反応を見せてくれる。みなさん、プロじゃないんですか? そのみなさんが、それほどまでにプロらしくない行動や結果に至るのは、いったいどうしてなんですか、と問いたい。
プロって、いったい何が備わっていることを意味するのだろう・・・。単に、その道で給料をもらっていればプロなのか。それだけじゃないのではないか。ましてや、それぞれの分野で頂点を極める人たちは、並みのプロの次元を超えたものを持ち合わせているのではないだろうか。
中田英寿は、ブラジル戦終了後、しばらくピッチを立てなかった。選手との間の不協和音らしき報道もあった。何が自分たちに欠けていたのか、それを改めて思い知らされたのではないだろうか。またそれは、自分がヨーロッパへの道を切り開き、本場のサッカーを通じて学んだことであり、それこそ一番日本チームに伝えたかったことではなかったのだろうか。チームもふがいなかったが、それを伝授しきれなかった自分が情けなかったのではないだろうか。それがセンターサークルに寝そべらせてしまった原因のように思われた。
「組織と個人能力は対立軸ではなく、両方備えてこそ、強いチームになる。やっぱり個人能力重視はだめだと、組織頼みに針を戻すようでは、日本サッカーは退行するだけだろう」(朝日新聞 2006.6.24 1面)
プロかどうかは、自ら判断する部分と、周囲が認める部分とからなるように思えた。技術のみならず、意識やモラルをも備えてこそ、プロだ。プロの反対はアマチュア。発展途上ということか・・・。少なくとも、甘い考え(でもいい)の「アマ」ではないのだろう
その相手であった村上世彰は、自らを「プロ中のプロ」と認め、その自分が犯した失策だと認めた。
ジーコジャパンは、予選で1勝もできず、ジーコ監督は日本代表にはプロ意識が足りない、と残念がった。「選手を縛らず、戦術も含めて自ら判断する自由を与えた。さらに上を目指すには、一人一人の自立が欠かせないと考えていたのは間違っていない。しかし、そこまで育たなかった」(朝日新聞 2006.6.24 社説)。日本代表なんだから、その人をおいて右にでる者はいないはずの選手が集合したにもかかわらず、いろいろな意味で能力不足を露呈させた。
一般的に見てとても素人とは思えないはずの人が、さまざまな反応を見せてくれる。みなさん、プロじゃないんですか? そのみなさんが、それほどまでにプロらしくない行動や結果に至るのは、いったいどうしてなんですか、と問いたい。
プロって、いったい何が備わっていることを意味するのだろう・・・。単に、その道で給料をもらっていればプロなのか。それだけじゃないのではないか。ましてや、それぞれの分野で頂点を極める人たちは、並みのプロの次元を超えたものを持ち合わせているのではないだろうか。
中田英寿は、ブラジル戦終了後、しばらくピッチを立てなかった。選手との間の不協和音らしき報道もあった。何が自分たちに欠けていたのか、それを改めて思い知らされたのではないだろうか。またそれは、自分がヨーロッパへの道を切り開き、本場のサッカーを通じて学んだことであり、それこそ一番日本チームに伝えたかったことではなかったのだろうか。チームもふがいなかったが、それを伝授しきれなかった自分が情けなかったのではないだろうか。それがセンターサークルに寝そべらせてしまった原因のように思われた。
「組織と個人能力は対立軸ではなく、両方備えてこそ、強いチームになる。やっぱり個人能力重視はだめだと、組織頼みに針を戻すようでは、日本サッカーは退行するだけだろう」(朝日新聞 2006.6.24 1面)
プロかどうかは、自ら判断する部分と、周囲が認める部分とからなるように思えた。技術のみならず、意識やモラルをも備えてこそ、プロだ。プロの反対はアマチュア。発展途上ということか・・・。少なくとも、甘い考え(でもいい)の「アマ」ではないのだろう
-----転載ここから
長年、中田選手を取材してきたスポーツジャーナリストの二宮清純さんは「彼は常に自分を極限に追い詰め、緊張感の中で仕事をしてきた。他の代表選手と多少の温度差があったはずで、彼の勝利に対する使命感は他の誰にも理解されなかったのかもしれない。今回の引退は、他の選手に自立を促す彼なりのメッセージでもある」とみる。
-----転載ここまで
“勝利に対する使命感”という部分を読んで、あーこれだよ、と思った。もちろん、一言で片付けられるものではない、中田選手本人しかわからない、さまざまなものから成り立っていることは承知しつつも、ここは他の選手と大きく異なった部分なのだろう。
欧州リーグを渡り歩いた者しかわからないことは多々ある。サッカーってこういうものなんだ、って言っても、日本での指導や文化では理解できないことがあるのだろう。イタリア語や英語を駆使し、コミュニケートしてきたからこそわかるものがある。
中田自身がそうじゃない!、って思い、世界のサッカーを経験してみろ、と言っても仕方ないことは中田自身もわかっている。厳しさを誰よりも知っているのは自分しかいないし、じゃあ俺の言うとおりにしろ、とも言うのも理屈じゃなくて、精神論でもない、個人的感覚のように思われてしまいかねず、それは本望じゃない。しかし結果的にはそうなってしまうから、距離を置くしかできなかったのではないだろうか。
他の日本代表は、世界との違いを体格や戦術の違いではない、考え方の違いとして学んだのだろうか。ジーコもそれを自ら個々に会得して欲しいと思ったのではないだろうか。
2006年6月25日(日) 19時26分 共同通信
【ハンブルク25日共同】25日付のドイツの全国紙ウェルト日曜版は「酔いからさめて」との見出しで2002年地元大会では躍進したが、今回は1次リーグで敗退した日本と韓国を取り上げた。
ジーコ監督は両国を「プロ意識、持続力、勝ち抜く精神力に欠けている。何よりも、まだ成熟していない。4年前はそういった不足をホームの利点でカバーした」と分析。さらに、日本の現状については「(Jリーグの)10年ほどの短い期間で、伝統ある欧州のレベルに持っていくのは無理」と語っている。
また、両国の国民的スポーツは野球で「今後はサッカーへ移行するだろうが、もう少し時間がかかるかも」とのジーコ監督の談話を紹介した。