何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

医療の株式会社化

2006-11-19 22:03:40 | Book Reviews
 民間活力の導入という空虚

 最近では、学校法人や医療法人など、基本的には「金儲け」を建前としない、広い意味でのNPOにあたる場まで、民営化や規制緩和を唱えて株式会社化しようとしていますが、これも問題があります。
 いろいろ組織のなかで、利益追求を建前にしてきたのは株式会社だけです。だからこそ、教育や医療というものはいままでは株式会社がやってはいけない一種の聖域でした。利益追求の場にしてはいけないからです。ちょっと考えてみればわかりますが、教育が利益を目的としたら、呑み込みの悪い子は切り捨てることになりますし、医療が利益を目的としたら、薬漬けにするほうが儲かってしまいます。教育も、医療も、コストや効率を重視してやっていくものではないのです。
 それがいまや、学校や病院、農業にまで株式会社が参入しようとしています。学校や病院、農業が行き詰まっているのはわかるのですが、それでは会社は行き詰まっていないのかと質問したくなります。学校に民間人校長を迎えるなら、企業にも教師出身の社長を迎えることをすべきでしょう。
 いまは民間、すなわち会社も行き詰まっており、大いなる矛盾を抱えています。それにもかかわらず、民間活力の導入などといって企業人を使えば良くなるという能天気な発想は、バブル崩壊や企業スキャンダルなど、企業の起こしたさまざまな問題に目をつぶっているとしかいえません。
『会社は株主のものではない』岩井克人ら、洋泉社、p.68~69


 これまで、薬局は医療機関であることを基盤にした活動をすべきだと言われてきたのが、今年6月に改めて医療提供施設に規定されたことで、薬局の基本的スタンスを再確認し、体質を改めるべきでだということは繰り返し述べてきた。
 だから、当然と言えばそれまでなのだが、このような記述に出会うと、誰もがわかる論理なのに、それと逆行しようとする動き、見識はたいへん遺憾であり、結論の出ていることに今さらながら議論するエネルギーを取られることは困ったことだ。

 本書は、岩井克人、奥村宏、木村政雄、小林慶一郎、紺野登、成毛眞、平河克美、ビル・トッテンの8氏の共著であ。上記は奥村宏氏によるページであるが、木村政雄氏やビル・トッテン氏のページには多く共感するところがあった。

 昨今、「会社は誰のものか」といったことに関連する書籍が何冊か出されている。株主のものである、という考えに無理が生じているという指摘ではないかと思う。法的なものと、時代の変化の中でどうあるべきか、というもののはざまに今が置かれているように思う。
 また株式会社化に関連し、アメリカに見る医療荒廃が先例として、日本は追随すべきでないとする指摘もある(『市場原理が医療を滅ぼす』李啓充・著、医学書院)。

 これらと合わせて、本書もお勧めの一冊と言っておきたい 
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OTCをもっと「薬」として扱おう

2006-11-19 14:55:40 | よくわからないこと
 「●●●●●は使用上の注意をよく読み用法・用量を守って正しくお使いください」
 多くの人がTVで耳にしたことがあるだろう。
 一般用医薬品の規制緩和や、来年度からの新たな販売態勢が少しずつ明らかになる中、薬の安全性を考えると、前々からこの言い方のどこかに違和感を覚えるのだ。俳優が笑顔で明るく元気よくそう叫ぶだけに、余計にすっきりしない。

 ここで言う使用上の注意とは、添付文書のことだと思ってよい。添付文書中の「使用上の注意」の項をさすのではない。消費者に対し、使用にあたり「使用上の注意」に目を通してもらいたいのは当然としても、「よく」読まなきゃいけないのか。“普通に”読んではダメか。熟読しなきゃいけないのか。読んだ結果、理解が足りなければ、違ったとらえかたをしていれば、読み方が浅いと、「よく」読まなかった消費者の責任だとでもいうのだろうか。「読んでお使いください」でなく、「よく」読め」とダメ押しする意味は何なのか。よく読めばたいていのことは理解されて当然だというのだろうか。

 またOTCを正しく使うにあたり守るべきは「用法・用量」だけではないと思う。ここで「用法・用量」を持ち出すのはなぜか。副作用や体調変化が見られたときのほうが、何かおかしいと思ったときはただちに医師や薬剤師に相談するか、受診を促すほうが、消費者にとって安全を守るうえで重要であって、「副作用」の項目をなぜ強調しないのだろうか

 「用法・用量」さえ守れば、必要以上に多く服用しさえしなければ、正しく使っている限りは問題が起こることは心配ありませんよ、正しく使わなければ何が起きても知りませんよと、どこか消費者側をつきはなしているようにも思えるのだ。

 薬という健康支援のためとはいえ、体にとって異物であるにもかかわらず、外れた使い方だけは避けてもらうとして、使用を促しているように思われるのだ。CMを通じてより安全に適切に必要な人だけに使ってもらおうという雰囲気がいまひとつ感じられない。消費者へのおもいやりや、国民の健康を守る気持ちが薄いような、守ることさえ守ってもらえば、あとは一般の商品と同じように販売促進や売上げ拡大が意図されているような印象を受ける。それが違和感の正体なのだろう。

 薬害の背景には、薬を一般の商品と同じように経済性を追求してきた側面がある。人間にとって健康を維持するために必要な「薬」だから、安全が確保された中で適切に使われるよう、単に消費者に責任を負わせることがないよう、視点を消費者の安全においたコマーシャルであって欲しいと思う 
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