何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
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「いじめ」を取り返しのつかない事態を引き起こした主因ととらえると

2006-11-04 11:57:37 | よくわからないこと
子どもをいじめから守る サインつかめぬ裏に 「直視」避け把握遅れる
 朝日新聞 2006.11.1より転載
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 いじめのサインは、なぜ見逃されるのか。

 「いじめられています」。96年にいじめを苦に自殺した福岡県城島町(現・久留米市)の町立中3年、大沢秀猛君(当時15)は、命を絶つ2年前、家庭訪問に来た担任にそう打ち明けた。
 だが、担任は「大分から福岡に引っ越してきたばかりで、少し言葉が違うから」と言った。「いじめではなくトラブル」と判断したという。
 「中学1年のころから同級生から殴るけるの暴行を受け、現金を脅し取られた」と遺書にはあった。父親の秀明さん(62)は「家庭訪問の後、秀猛はいじめられていることを隠すようになった。あの時点で教員が『いじめ』ととらえていれば」と悔やむ。
 秀明さん夫妻が県と町に求めた訴訟の福岡高裁判決は、教師らは自殺を予見できなかったとしたが、その姿勢を「いじめを直視していない」と批判した。

 10月11日に、2年の男子生徒(13)が自殺した福岡県筑前町の町立三輪中学校。生徒は繰り返し、校内で「死にたい」ともらしていた。
 「教師のところまで死ぬという言葉が伝わっていなかった」。合谷智校長は16日の記者会見でそう語った。同校は、この生徒の件以外に過去数年で7、8件のいじめに気づきながら、文部科学省には「0件」と報告した。
 昨年9月に自殺をはかり、今年1月に死亡した北海道滝川市の小6女児の場合、担任や学校は自殺の前から「いじめ」ととれる行為の一部を認識していたが、それを1年余り、「いじめ」と認めなかった。

 学校や教育委員会、教師の「いじめを公式に認めたくない」姿勢だけではない。公立の小中高校でのいじめによる自殺が99年から05年まで0件だった文科省の調査方式に問題はなかったのだろうか。
 「これでは実態把握は難しい」。ある民間信用調査会社の担当者は、文科省の調査書類を見て、そう語った。いじめ自殺の理由を尋ねた項目は、「いじめ」「友人との不和」など、15の選択肢から一つを選び、不明なときは「その他」を選ぶ。
 企業に経営実態を聞く場合、「売上高は」など直接的な質問だけではなく、「1日あたりの来店者」「一般的な客単価」など間接的に売上高につながる質問も織り交ぜて探るという。

 サインの見落とし、調査による把握方法の限界、組織の及び腰・・・・・。隠れたいじめの裏には、そんな実態がある。
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 この記事を読み、岐阜県の中学での自殺報道に見る校長の二転三転した見苦しい会見を見て、さらに身の回りにある実態を見て、「いじめ」とはとりかえしのつかない事態を引き起こした主因と定義してみた。

 なぜ直視しないのか、事実を認めないのか。見て見ぬフリをしたり、さして関心を持とうとしない。

 多くの人も指摘しているように、また気付いているように
・それを認めると、管理不十分、日々の怠慢を認めることになる
・さらには管理側の昇進、昇格の妨げになる
・その原因を探り、掘り下げていくと、管理する側の自分たちもたとえ直接でなくても、間接的にそれを助長していた、プレッシャーを与えていた(守る側の者が、加害者寄りだった!)

 などが衆目のもとにさらされてしまうからではないだろうか。
 だから、予兆、前兆、初期症状、いつもと違うちょっとした変化に気づかず、また気づいても放置してしまうことになる。
 それが、自分たちはそれなりのことをやっていた、というような責任転嫁の姿勢となって見られる。では、いったい何が原因だったというのか。不可抗力なのか。

 無責任体質の裏には自己保身も見え隠れする。そういう資質を持った権力者による人災に他ならないと思う。教育の世界だけの話ではなく、そういう構図はどこにでも見られるように思う。会社でも大人によるイジメは、日常茶飯事だ。
 そんな不心得者が上の地位にいることが既に有害であり、再発防止からもほど遠い。代わる者はいくらでもいるのだから、居座ることなく、責任を取るとともに、即刻退場していただきたい 
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