何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

将来に向かって道が開けているだろうか

2006-11-18 09:45:25 | 思いつくまま
 何年か前に吉本新喜劇の人気が低迷してきた頃、ある大物タレントが吉本を辞めて東京に行きたいと言い出したという。それまで新喜劇は大阪というローカルエリアではそれなりの地位を得ていたが、少し離れるとその影は薄い。
 新喜劇には、落語家や漫才師のように当たれば東京にも進出でき、全国区でもてはやされる道もチャンスもなかった。そんな、頑張って努力しても先が見え、ある一定以上の発展も望めない環境では、タレントのモチベーションも上がるはずもなく、若く才能のある人も入ってこない。新陳代謝がされなければ衰退は自然の流れであり、それ以上新喜劇の成長も期待できない。今の活動が全国区にはばたける道が開けているということで、明るい未来にもつながっているということで、有能な人材が集まり、ひいては新喜劇の発展にもつながる。

 こんな要旨だと思う(『人間の賞味期限』木村政雄・著、祥伝社、p.158~159)。

 著者はやすし・きよしのマネジャーを務めた(本人によると、自ら買ってでたというが)人として知っている人も少なくないだろう。人あっての活動である。素質のある人、成長できる環境、将来に夢が持てること、それが活動の、組織の発展を支えている。

 薬局にもそっくりあてはまるのではないか。薬の袋詰めをしているだけの、有資格者じゃなくてもできる仕事だと、バカにされる向きもあるくらいだ。
 「人は大事だよ、優秀な人がたくさん集まって欲しいよね」と、多くの、ほとんどの経営者がそう言うが、やっていることを見れば、それがいかに口先だけかと思えるほど、悲しいかな、あちことで見られている。
 売上げ減少とばかり、教育研修費を削減しているにもかかわらず(この場合もやむをえずと言いながら、他は変えずに、いとも簡単に削る!)、「自分はけっして教育をどうでもよいなどと思っていない、大事だ思っている」などとうそぶく実態もあるという。「優秀」とは、経営者にとって都合のよい、文句も言わず、もくもくと日常を言われたようにこなす者と言わんばかりではないか。それはその個人の人格や成長を無視したかのような、犠牲を強いたようなことではないのか。教育が大事というのは、それこそ薬局の発展にとって最大の拠り所であると、誰の目にも言動が一致してこそ、組織内に理解されることだ。

 薬剤師も、ずーっと調剤だけを繰り返しているのではなく、そこは基本としてなくならないまでも、続けていくうちに得意もできれば経験も増え、いろいろに活躍の場が出てくる。その範囲も深さも広がれば、薬局内にとどまらず外界との交流も増え、社会の中で活躍することにもなる。

 そんな先鞭が身の回りにあるだろうか。前例といわなくても、そういった可能性を感じることで、やがては自分もと光を感じ、閉塞感から解放され、日々伸び伸びと活動ができ、将来に向かってより多くのことを吸収するようにもなり、個人の成長がそのまま組織の発展にも活かされることにつながるのではないだろうか 

 上に立つ者がすべきは、そういう支援態勢や環境、文化を作ることであろう。
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