何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

狂った薬局の感覚

2006-11-13 13:43:24 | 思いつくまま
 昨日、都内で保険薬局の薬剤師を中心とした研究会が催された。あたかも学会であるかのようにポスター発表と口頭発表の演題を募集し、それぞれ発表があった。

 ある口頭演題で、薬局が患者さんの動向を分析する中で、再来しない患者さんの群を「脱落」と表現していたところ、フロアより異議が唱えられた。脱落とは何事か、自分の薬局に来ない患者さんが悪いみたいではないか、薬局は何のために仕事をしているのか、再来しない患者さんを「脱落」と表現するような目で対応していたのか。まさに薬局の都合をまるだしの言葉であって、患者の視点に立っているとはいえず、不適切な表現であると。

 また発表者の中に、発表を終えるにあたり、「このような機会を与えてくれた社長に感謝します」などと、謝意を述べる発表者がいた。学術発表は、自らが応募して発表するものであって、招かれて発表する場ではない。「お招きいただき、このような場を与えてくれて・・・」というのが、本来の謝意だろう。それとも発表にあたり社長に謝意を述べなければいけない事情がその薬局に存在するのだろうか。

 いや存在するのだろう。おそらくそれは許可を得なければいけないといった制約的なものではなく、いつ何時も社長サマのお加護のもとに下々があって、常に感謝を忘れてはならない、とでも言いたそうに思われた。

 ある薬局では「結果を出せ」と“社員”に発破がかけられているという。しかもその結果(アウトカム)とは、ご丁寧に、「仕事で求められる結果」だと説明まで付けられているという。
 まさに薬局にとっての結果であって、患者さんのための結果ではないことが一目瞭然としているではないか。自分たちの仕事によって、どれだけ患者さんの健康問題が改善するのか、薬剤師の介入の有無が顧客にとってどのようにメリットをもたらすかどうか、それこそアウトカムではないか。
 「結果」などとキレイ事を言わず、ストレートに売上げとか利益だとか言えばいいものを。そんなことが最優先課題にされている医療機関に、患者さんはかかりたいか、身を任せたいか、相談をもちかけたいと思っているのだろうか。

 これらの問題発言の背後に潜んでいるのは、薬局は“会社”であるという意識ではないだろうか。あたかも善人のように振る舞い、いかに稼ぐかを腹の中で考えて対応されているとしたら、売れ売れ詐欺と言われても仕方がないだろう 

 より良い薬局のあり方を検討するにあたり、医療提供施設である薬局を「会社」と呼び、スタッフ(局員)を「社員」と呼ぶところに、その薬局のもつ文化や環境の危うさや違和感を覚えるのは、私だけだろうか。
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