現代のグローバル化経済の資本主義では、外国企業も日本企業との区別がつけられなくなっている。
しかし、今回の日産自動車の不正な会計操作は、日本に法人登録されている企業が、外国企業に支配下にある状況が大きな原因となった。
日本企業であれば、いかに敏腕な経営者であっても、法外な実績報酬を得たり、海外に豪華な社宅を購入して、私用に独占するのは論外だ。
しかしルノーの経営者の意識が、これらの法外な報酬を当然のような感覚で会社から受けている行為は、罪の感覚がないのだろう。
アメリカのような企業文化と、独裁的なリーダーシップを重視する社会では、成功した個人が膨大な報酬や、権益を獲得する風習がある。
しかし、日本の企業文化は、企業の好業績は社員全員の成果であり、それを支えた、外注企業の協力も欠かせない。
チーム力を重視した全員の協力と、努力をした成果が企業力として実現し、全員に配分されるのが日本企業の特質であろう。
その面では、日産自動車は日本企業ではなく、外国人が経営する外国企業であると、選別して扱かうことが正常で、必要な視点である。
名前が日本名で法人登録は日本でも、実質的な経営権が、日本の国籍を持った日本人でなければ、外国企業として対応すべきだ。
今回の事件の周辺には、このような錯覚が蔓延していることで、甘い判断が横行していることが、根底の問題である。