グローバル化した世界経済の活動では、お金の移動が自由であり、さらに【モノの移動も関税ゼロ化】の中では、生産地の選択は経済原則だけで実施される。
その様な市場で活動するグローバル企業は、国籍は既に無意味に近く状態で、ただ本社の位置がどの国に所在しているかだけの違いである。
ところが、日本の政府の頭には、いまだに、日本で発祥した企業は日本国籍に企業であるから、何を差し置いても日本のため、「日本政府の言うことを聞いてくれる筈だ」と勝手に片思いをしている。
その様な素ぶりを見せる企業は、いざとなれば完全に期待を裏切るのだ。
国民の立場から見たら、グローバル企業が国のことよりも株主の利益を優先する経営姿勢には、不満があるだろう。
だが消費者向けの商品を販売している企業以外では、消費者の人気取りは不要で、投下資本に対する利益率を維持するのが、経営者に課せられた役割である。
だから法規制が一番緩くて、人件費の負担が少ない地域で企業活動を拡大して行くことが、グローバル企業の経営原則となっている。
経営者は国際的な投機集団の評価に耐えられる経営をしない限り、地位を守ることは不可能なのである。
政府が国民の為とか国益に沿う様に、企業活動に規制や義務を課すならば、グローバル化した企業は、その様な経営環境にするならば、【活動拠点を海外に移転する】と少しだけ政府関係者に匂わせるだけで、規制を止めさせるのだ。
国民の為を思って規制を強めようとする政府は、海外移転による雇用喪失という失点を負わされて、次の選挙で敗退の憂き目の仕返しをされる。
グローバル企業からすれば、規制は極力最小にしてもらう方が、企業活動の自由度が増えて投資環境は好転する。
だから、規制の弊害が多いことをあげつらって、規制緩和を政府に迫る。
ここで、政府とグローバル企業の妥協点である【なれ合い政治】によって、規制緩和と人件費の削減競争の自由化を「国民経済の活性化の為」と称して、推し進めてきたのだ。
グローバル企業の雇用能力は、一国の経済にとって最重要な経済力の証明であるから、無理難題に近い企業要求に出来る限り沿ってきた。
その結果が、1000兆円を超える次世代への借金の先送りであり、賃金デフレの長期化による【格差社会の拡大】の潮流である。