Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

2月17日(日)のつぶやき

2013-02-18 01:24:54 | Weblog

舞う(廻る・眩う)と何かが憑く。僕も舞うたびに周りに取り押さえられた記憶が‥ RT @curatorshinya: …神懸りとはこういう状態のことを指すのだね。「備中神楽 託宣神事 布舞(大賀社)」youtube.com/watch?v=O2_z1v…

Shinya Watanabe 渡辺真也さんがリツイート | 4 RT

とても興味深いです。その何かが「憑く」とは、もう少し言語化した場合、どういった感覚なのでしょうか?動物が乗り移った様な感じですか? @nakashima001 舞う(廻る・眩う)と何かが憑く。僕も舞うたびに周りに取り押さえられた記憶が‥

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@Hirabayashi76 私は三尊形式はデュメジルの三機能仮説で説明が付き、そのヴァリアントが仏教とキリスト教に出ているのだと思います。(以下はランスのガリア人祭壇:左からアポロン、ケルヌンノス、メルクリウス) ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95…

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@Hirabayashi76 私はキリスト教美術は、観音開きの技術だけを応用してオリジナルをパージしたのでは?と考えます。またダヴィンチの「岩窟の聖母」は聖書外伝をモチーフにしたものですが、この絵画は秘仏の様に年1回だけ開陳されるキリスト教オルターの鍵として架けられていました。

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@curatorshinya 言葉ではポゼッションとエクスタシーが分別されて説明されますが、個人的な実感では相補的ですね。例えば「動物が憑く」というのと「動物になる」というのは同時でしょう。日常意識からみれば変性意識は「受動性が高まる」ように見えるということはありますが(笑)

Shinya Watanabe 渡辺真也さんがリツイート | 4 RT

受動性が高まる、とは面白い言い方ですね。つまり自らの意思よりも、何か自分の環境が圧倒的に自らを支配している様な感覚、と言った所でしょうか。 @nakashima001

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実態は日本の傀儡国家だった「満州国」。「人々の希望、欲望、悲惨、絶望が渦巻き、その妖しい魅力は、今なお注目を集めています。人物を通して、この人工国家に近づいてみます」。書店員に聞く 満州入門 - 牧村健一郎:朝日新聞 book.asahi.com/reviews/column…

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祖父が満州国嘱託(営林署)。聞き伝えきくところで、ソウルで師範学校を卒業した後、露中満英の能力を買われて、馬賊対応をやっていたらしい。シベリア抑留を経て帰国。ハルピン時代には0歳のオヤジとロシア人家政婦の写真が。1944年に家族は帰国させている。「憧憬」できない地もある。

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満州国は、革新官僚(……極端にいえば、左派的「維新」意識をもちながら、それを内在的にやろうとする官僚的保守主義 d.hatena.ne.jp/ujikenorio/201…)の実験場。祖父は何も語らず、戦後は、保守、革新とも距離を置いていた。

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@curatorshinya はい、日常意識で言語化すればそうなります。恍惚のなかでアフォードされている。でも同時に日常意識以上に明晰な感覚でもあります。それを何に例えるとすれば極めて性的な感覚とでも言えばよいのでしょうか、自力では動いていない、無境界の感覚ですね。

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宇多田ヒカル的に言うと、it's automatic、なんて所でしょうか。でも同時に日常意識以上に明晰だという点が興味深いです。ご丁寧に返信して下さり、ありがとうございました。 @nakashima001

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@curatorshinya 「メディアとしてautomatic」、ですね。R指定の例えですが、性行為中に、相手と完全にシンクロしている、と同時に神様の巨大な手に体を掴まれて揺さぶられている感覚もある、とします。このとき僕は何のメディウムになっているのでしょう。(続く)

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@curatorshinya それは具体としての相手でしょうか、それとも潜勢する遺伝子情報でしょうか。おそらくそのどちらかに原因をもとめても間違いなのでしょう。無境界であること、メディアであることとは、そういうことなんだろうと思われます。それは制作意識においても現れるものですね。

Shinya Watanabe 渡辺真也さんがリツイート | 2 RT

私は本当に気持ちよく踊れている時には、私自身と言うよりも、遺伝子情報が私を操っている様な気分になる時があります。その場合は、自らが媒体となって、波動としての音楽と一体化しているんじゃないかと思います。 @nakashima001

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映画祭Berlinaleのサテライト展"Waves vs. Particles"が素晴らしかった。歴史建築であるKrematorium(火葬場)の納骨堂を会場にして、そこにビデオをプロジェクションするというアイディアも素晴らしかったけれど、何よりも展示作品郡が素晴らしかった。

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久しぶりに心の底から良いと思える、芸術の良心を感じた展示だった。なかなか良い展示に出会う機会が無かっただけに、心が弾んだ。


@nakashima001 エクスタシスなのかポゼッションなのかという問いの立て方は興味深いですね。この様に、内部と外部が無くなった状態が、いわゆる神憑りの状態なのかもしれませんね。


パリ、ドゴール空港でトランジットなう。ドイツから来ると、パリジャンは随分適当だなー、って印象。



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