「もし2020年に中国のGNPがアメリカを抜いて世界一になったとしよう。内戦がなければ人口が5対1だから不可能ではないだろう、、、。その時、墓場でニタニタ笑っている人が一人いる筈…彼の名は?」ナムジュン・パイク、1993年
— オン・サンデーズ@ワタリウム美術館 (@onsundaysbooks) 2016年11月17日 - 13:14
答えは… twitter.com/i/web/status/7…
お知らせ 11月19日(土)19:00-21:00
— ワタリウム美術館, WATARI-UM, (@watarium) 2016年11月17日 - 21:02
トーク:崔 在銀「私がみたナムジュン・パイク先生」
参加費:1,500円(限定オリジナル缶バッチ付)ワタリウム美術館1F受付にてチケットを若干ご用意しております。定員になり次… twitter.com/i/web/status/7…
ナムジュン・パイク展よかった。映像の中身もさることながら、ビデオアートはブラウン管のテレビに閉じ込められている佇まいが格好良い
— MAKI (@makis00113) 2016年11月15日 - 19:02
ワタリウムのナムジュンパイク良かった
— やまたのおろち (@ymtnorchiiiii) 2016年11月17日 - 23:35
ドイツ語の食事の挨拶Guten Appetit(召し上がれ)と日本語の「いただきます」の最大の違いは、そこに生命や自然に対する感謝の思いがあるかどうかではないか。インドネシアで鶏肉の姿焼きを丁寧にほぐしながら食べていたら、心の底から「いただきます」という気持ちが湧いて来た。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年11月18日 - 06:18
先日久しぶりにベルリンからウィーンを訪れて感じたのは、ここはカトリックの国だということ。オランダが独立した際、その報復としてハプスブルグ家がプロテスタントを禁教にしたのが体感できる様になった。grüß Gott(神様こんにちは)というオーストリアの挨拶が、とても宗教的に聞こえた。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年11月18日 - 06:22
ウィーンの美術館を見ていると、ハプスブルグ家があれだけの力を持っていたにも関わらず、オーストリアから優れた音楽家が出てきたものの画家が出てこなかったのはどうしてだろう?と不思議に思えて来る。クリムトは本当に例外的で、どうしてもヘルマン・ニッチュ的なグロい感じのイメージがある。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年11月18日 - 06:25
えーー、ヨーロッパもですか。(せ)
— 勁草書房編集部 (@keisoshoboedit) 2016年11月18日 - 14:17
「日本から欧州渡航、26か国で事前申請必要に」
news.tbs.co.jp/sp/newseye/tbs…
対談3:志賀理江子(写真家)×畠山直哉「暗夜光路ー写真は何をするのか?ー」12/24(土)13~15時(せんだいメディアテーク) smt.jp/projects/clove…
— Otsuka Akihiko (@otk) 2016年11月17日 - 22:14
白川静『初期万葉論』(中公文庫版2002/9)、「第一章 比較文学の方法」、17頁。「『見る』ことによって、保護霊のあるその地との接触は、すでに行われているのである。〔人麻呂の羈旅歌のうちここで挙げた〕三首いずれも、ただの叙景の歌ではなく、叙景的意識をもつものではない。
— Kanatani, Joe 金谷 譲 (@BlogJoseph) 2016年11月18日 - 00:49
承前)『見る』ことの呪歌的性格は、『見れど飽かぬ』という表現によっていっそう強められる」*すなわちある対象を視界に取り上げてそれと意識する=「見る」こと即「言祝ぐ」ことであり、客観的に対象を認識・描写することではない。(続
— Kanatani, Joe 金谷 譲 (@BlogJoseph) 2016年11月18日 - 00:50
「祝頌詩においては、『瞻〔=見〕る』という行為的な語を着けなくても、存在するものの秩序的な状態、その存在態をいうことが、すなわち魂振りや祝頌的意味をになうものとされた」(同、22頁)
— Kanatani, Joe 金谷 譲 (@BlogJoseph) 2016年11月18日 - 00:50
「永遠なるものへの憧れは、北極と南極とのように、ふたつの極をもつ。そのひとつは『完成』であり、他のひとつは『無限』である。いま、これを藝術の世界について考えると、完成の極にむかうものは、それ以上どうしようもないところまで磨きあげられたblog.goo.ne.jp/joseph_blog/e/…
— Kanatani, Joe 金谷 譲 (@BlogJoseph) 2016年11月18日 - 16:04
承前)高さをめざすのに対し、無限の極におもむくものは、どうなっていくかわからない動きを含む。わたくしは、前者を『雅』、後者を『俗』とよぶことにしている」(「序説」 本書16頁)
— Kanatani, Joe 金谷 譲 (@BlogJoseph) 2016年11月18日 - 16:05
永遠なるものへの憧れを持つ者と持たぬ者の間には、越えることのできない断崖が横たわっている。
— Kanatani, Joe 金谷 譲 (@BlogJoseph) 2016年11月18日 - 16:06
「日本における自然主義は、西欧におけるような科学的実証精神の裏付けをもたなかったので、やはり、本来の在りかたとは違った方向へ動いてゆく。すなわち、狭い日常経験のみを真実とし、なんの構成もなく、無理想・無解決の描写に流れ、社会や時代を離れた自己に没頭し、
— Kanatani, Joe 金谷 譲 (@BlogJoseph) 2016年11月18日 - 16:07
承前)作中の主人公がすなわち作者となっていて批判の余地を容れず、人生の暗黒・人間の醜悪だけ見て、浅薄な虚無・絶望に陥るというような共通的欠点を示すにいたるのであるが、その傾向は、まさに『蒲團』の決定したものであった」(第五章「近代」 本書199頁)
— Kanatani, Joe 金谷 譲 (@BlogJoseph) 2016年11月18日 - 16:08
ヨーゼフ・ボイスは何故日本でコヨーテになったのか? goo.gl/IxHlyV
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年11月18日 - 16:54
城南海さんのニューアルバム「月下美人」に収められた「七草の詩」を聞いている。窓を開けて風通しを良くして、外に広がるベルリンの景色を見ながら聞いていると、風やそれが立てる梢の音、すなわち自然の印象が、大分変わって来る。城さんの歌声に乗った歌詞が、私の世界を変革しているのを感じる。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年11月18日 - 17:37
城南海さんのニューアルバム「月下美人」では、笹川美和さんが作詞作曲した2曲「晩秋」と「月下美人」が光っていた。城さんの天才は、深い精神性・芸術性を持つ歌を歌った時にこそ花開く。月下美人は年に一度しか咲かないのだから、ぜひその天才を、その方向で全力で開花させて頂きたい。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年11月18日 - 17:40
アルバム『月下美人』発売中!
— 城 南海 staff official (@minaminchu) 2016年11月18日 - 12:42
笹川美和さんに作詞、作曲いただいた「晩秋」のプロモーションビデオ、ショートバージョンがアップされてます!奄美大島の素敵な風景が満載です。
ぜひご覧下さい!
youtu.be/dWOtFYfhdec
鬼束ちひろさんの『流星群』は、以前彼女がアメリカ同時多発テロを扱った曲『infection』から誕生したけれど、城南海さんの『七草の詩』に登場する主人公は、彼女の曲『紅』に登場した、知覧から出撃した神風特攻隊員を愛した女性で、彼女はその輪廻を願いに込めて歌っているのではないか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年11月18日 - 17:55
@kizukiminami 「月下美人」聞いています。『七草の詩』を聞いていたら、この主人公は『紅』に登場した、知覧から出撃した神風特攻隊員を愛した女性で、城さんはその輪廻と出会いを、七草という言葉に込めて歌っているのではないか、まるでインドのサティの神話のようだと思いました。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年11月18日 - 17:59
@kizukiminami ケルト人は詩人(語り部)をバルド(Bard)と呼びます。チベット死者の書ことバルド・トドゥル(Bardo Thodol)のバルドとは、人が死んでから次の生を受けるまでの49日間(中陰)のことで、ケルトにおける魔法の数字7の2乗とも一致します。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年11月18日 - 18:01
@kizukiminami 城さんは無意識にアクセスして、それを抽象として表現する能力が秀でていて、その能力に毎回驚かされます。これは本当に一部の芸術家しか持っていない、天才的な能力です。ぜひそれを大切にして行って下さい。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年11月18日 - 18:02
@EGHATUDEN ご丁寧にありがとうございます。私には、彼女の祖母の思い出と戦争体験が、この二つの歌と繋がっている様な気がしてなりません。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年11月18日 - 18:13
ワタリウム美術館で開催中のナムジュン・パイク展に関して「ユートピアの調律」と題した評を書きました。特に《ニューキャンドル》(1993年)に寄せたテキストです。パイクが持つ、異なるメディアを通底させる力こそが現代の「音楽」性だと捉え… twitter.com/i/web/status/7…
— 松井茂 (@matsui_shigeru) 2016年11月18日 - 16:22
ナムジュンパイク(後半)みてきたよ📺ビデオアートっていうのを初めて知ったのは多分90年を過ぎたあたりでブラウン管を人型に積み上げて映像を流した作品をTVか何か(その当時はネットがみれる環境ではなかったから間違いないと思うんだけど)… twitter.com/i/web/status/7…
— miaulement (@miaulement_news) 2016年11月18日 - 03:46