Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

30年戦争とネーションによる敵対概念

2007-09-21 07:35:43 | Weblog
日本滞在中、NHK出版の編集者である大場旦さんから頂いたネグリとハートの「マルチチュード」(上)を読んでいる。

この本の冒頭部分にて、ネグリは現在の状況がヨーロッパ近代の最初期と似ている、ということから、現在起こっている戦争を30年戦争の発生から語っているのだが、ネグリのその立ち居地に、私は激しく同意した。私も30年戦争の重要性についてはユーゴに関する論文や講演など、いろんな所で述べてきたが、皆さんの同意を得ることが一度としてなかったように思う。私と同じことを言っている人にこんな場所で会えたとのは、とても嬉しい。いや、もしかしたらこれはキリスト教徒でヨーロッパ近代という現代思想を通過した人の常識なのかもしれないが、キリスト教圏以外では共有できない、というだけのことかもしれない。特に日本語圏においては、そもそもカトリックとプロテスタントの違いを意識する機会がない、というのが現状だろう。

しかし、私がこの下りを読み進めて行く上でふと疑問に思ったのは、カトリックとプロテスタントという一神教における宗教対立そのものが成立しなかったアジアにおいては、ネーションによる、もっと言ってしまえば国民国家的な敵対概念の明確化は果たして必用だったのだろうか、ということである。

30年戦争においては、ローマ・カトリックの国でありながら、ハプスブルグ家の権力の拡大に反旗を翻したフランスがプロテスタント側についた、というフランスの立ち居地が敵対概念を曖昧化させ、それが戦争を長期化させることになった。だから、ヨーロッパではナポレオン戦争以降、30年戦争の教訓から、ネーションという敵対概念を確立することにより、内乱、そして戦争そのものが起こりにくいシステムを作ろうと試み、国民が国家を構成する、という国民国家システムが生まれた。

これはいわゆる政教分離であり、英語でこれをSeparation of Church and Stateと言うが、これはナポレオン戦争直後のトマス・ジェファソンによって、バプティストの考え方としてフランスからアメリカにもたらされた歴史がある。つまり、数多くの宗教が混在するアメリカにおいて、ジェファソンは布石を打ったのである。(だからこそ、そこにおける”サリー”というアメリカにおける黒人奴隷のハーフの女性が、ジェファソンの留学先であるフランスにおいて人間となり、ジェファソンの愛人となる、という歴史の特異点を描いたスティーブ・エリクソンの小説「Xのアーチ」に面白味があるのだ)

この近代における敵対概念は、ネーションの外部、すなわち外国人である。しかし、ここで国民の定義を法律的なものに依拠させようとしたフランスと、国民を言語的一体感と高揚感に求めようとしたドイツとで差異が生まれることとなった。ハバーマスの言う憲法愛国主義とは、ドイツのネーション定義を言語に求めてしまったことに対する失敗であり、そして、どうしてドイツがネーション定義に失敗してしまったかと言うと、カトリック地域であるババリアをビスマルクが併合してしまったこと、そして、オーストリアとスイスというドイツ語地域を他に持ってしまったこと、そしてそのドイツ語アイデンティティの根幹が、ルターによる聖書の高地ドイツ語約にある、ということになる。

これをそっくりアジアに置き換えてみて、宗教的対立が敵対概念そのものを曖昧にしてしまったことは、果たしてあるのだろうか?あえて挙げてみても、島原の乱くらいしか私には思い浮かばない。なぜ、宗教上の理由、特にキリスト教における主体性の理由が原因で戦争になるのか、私には究極的な意味において分からない。

9条は、国家の交戦権そのものを認めていない。この条項が生まれたのは、国民国家システムが世界大戦を招いてしまったことの反省からだと思うのだが、ネーションそのものが戦争を防ぐためのシステムだったのだから、そのネーションそのものを上回る戦争抑止のシステムを作る必要がある。この辺りは、徹底的に論理的に考え抜いて行きたい所だ。

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