穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

直木三十五「南国太平記」に再会

2017-12-12 22:33:38 | 直木賞と本屋大賞

 犬も歩けば棒にあたるといいますが、わたくしという「自我を失った犬」が本日市中徘徊中に珍しい本に遭遇しました。探していた訳ではなくて行き当たりばったりに眼についたのです。

 直木三十五といえば菊池寛の友達で芥川賞と一緒に直木賞を作ってもらった作家で、生前は飛ぶ鳥を落とす勢いの流行作家だったというが、現在一冊の本も手に入らない(古本を除く)。ま、大衆作家というのはそう言う者では有りますが。例外的には吉川英治などがあるが彼とてほぞぼそと文庫が生存しているに過ぎない。

 南国太平記は彼の代表作と言うことになっており、書名だけは好事家の間では有名ですが読んだ人はほとんどいないのではないか。私は大分昔になりますが、幕末の薩摩藩のことを調べる必要があって、古本屋で見つけて購ったのであります。古本に手を出すことの無い私として異例のことでした。

 それが角川文庫で先月出たのですね。上・下二巻約1200ページ。私が読んだのは単行本でたしか五分冊だった。文庫本上下で収まるのかな、と疑いましたがとりあえず購入。昔読んだ本は出版社の名前は忘れたが、確か昭和30年頃の発行だと怪しげな記憶が有る。原作は昭和5年から6年にかけて新聞に連載された。

 この文庫には北上次郎氏の短い解説が載っている。大変面白いとあるが私の記憶では別に面白くもなかった。上に申し上げた様に資料として読んだだけですから。

 その後、つまり昭和30年ころ?以降に再版されなかったとおもっていたが、北上氏によると、1997年に講談社から出版されたそうだ。これには気が付かなかった。それで(一部の大衆文学史では)有名な割には再版されないのは訳があると思っていた。それが正しいかどうかは分からないが、出版界には皇室に対する自主規制というか遠慮があったのではないか、と理解していた。

 おいおい後で回を改めて述べるつもりだが、簡単にいうとこれは薩摩藩の有名なお家騒動を扱っている。世にお由羅(またお油羅)騒動という。簡単に言ってしまうが、香淳皇后(昭和天皇の皇后)はおゆらさまから五代目の子孫であらせられる。

 小説では、またその元になった流説ではおゆらは希代の毒婦である。島津

斉興の側室となり島津久光を生む。斉興が正室に生ませた斉アキラのこどもを次々と呪殺させたとして西郷隆盛に毛嫌いされた女性である。

 昭和天皇がご婚約を発表された時には薩摩の西郷党(昭和の初めでも右翼の間では勢力があったらしい)一派は右翼を結集してこの婚約を破棄させようとした。世にこれを宮中某重大事件という。直木三十五の南国太平記はまさにこのような時に書かれた。軍部の青年将校の間でも愛読者が多かったと言われる。

 戦後この本が出版界で日の目を見なかったのは出版業界の自主規制ではないかというのはこのことである。1997年の講談社の本もあまり注目されなかったようだし、今回の角川文庫はどうなのかな。時代の変遷で受容の仕方も違うのかも知れない。>>

 

 

 

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