goo blog サービス終了のお知らせ 

sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

森山大道とFOUJITA

2016-09-15 | 芸術、とか
駆け足で見ました。
写真の友達と、森山大道展を見ることになってて、あまり時間はなかったのだけど
せっかくなので、同じ場所でやってた藤田嗣治展も見ました。
どっちも今回は見ないでいいかな〜と思ってたんだけど、見てよかった。

大道は、その日は午後から講演があったようで本人が来ていました。
ロビーで、振り返ると大道がそこに!
なのに森山大道をあまり知らないという人が「まだ生きてる人なの?」って聞いて
別の人が「たった今そこ通ったよ・・・」「えっ」という会話をしてて、
ひぇー聞こえてたら失礼〜!と思って苦笑。
でもその少し後に、藤田嗣治を知らないという友達がいたので、
「え〜!大道より世界的には一千倍くらい有名だよ〜!」と大きな声で驚くと
数メートル先にまだ森山大道さんがいらして、今度はわたしが失礼でしたね。
本当に失礼なグループで申し訳ないです。

森山大道は→数年前の中之島の国立国際美術館で、すごいボリュームのものを見て
へとへとになった記憶があるので、今回は別にもういいやと思ってたわけですが
いや、行ってよかった。
写真は、かなりきれいにサイズの合ったものがきれいに展示されて、
写真自体も前に見たものに比べるとどこか整って落ち着いた感じがあって、
もっと大量にごちゃごちゃしてる方が彼らしくていいかもと思ったりしたけど、
今回は、なにより、奥の部屋で見たスライドショーがとても良かったのです。

縦長の本を開いたようなスクリーンが2つ並んでて、
つまり2冊の巨大な本が開いて立ってる感じ。
4ページ分あるわけですが、それぞれ1枚ずつ変わっていくスライドショーで
BGMは街の音や雑踏の音っぽかったり、音楽も聞こえるけど雑音っぽい感じです。
このスライドショーの流れがすごく自然で上手くて
大量の写真から選んで組み合わせて、考え抜かれた構成なんだろうと思ってたら
写真の下に日付があるのに気づいて、なんと時系列なのでした。
もちろん時系列でも撮った順に全部映し出してるわけではなくて
大量に撮った中から選びに選んで構成されたものだとは思いますが
こんなに自然で巧みに見える構成が時系列であらかじめできていたとは驚き。
森山大道の写真は個人的には特に好みでもないのですが、
このスライドショーは全く退屈せずに一通りじっくり楽しみました。
いやぁ、よかった。時間があればもう一回見たかった。

そのあと藤田嗣治も急いで見ました。
こちらも充実していながら、分かりやすい展示で観てよかった。
派手で見栄っ張りで、マーケティングがうまく、時代やその環境が
自分に求めているものをよく感じ取り、それを上手く表現、利用できた人ですね。
藤田嗣治に関しては、去年→映画「FOUJITA」を観たので、
そのイメージと重ね合わせながら、
そして重ね合わないところを面白く思いながら、展示を楽しみました。

一緒に行った友達がみんな、それぞれの大道風で写真を撮りながら帰って
その写真見るのも楽しかったなぁ。

鴨川で納涼と文学と

2016-09-14 | 本とか
先月ですが→「ジニのパズル」の読書会の後そのまま鴨川での納涼会に参加してきた。
この日、この夏一番たくさん汗を書いたかもしれない。
5時くらいから買い出しに行き、食べ物や飲み物を調達。
西日の中、日陰のある川辺の芝生の上で、納涼会始まり。
わたしは、知らない人ばかりで、何をするのかも知らずぼーっと行ったのですが
あれこれ企画を考えててくれる方がいて、ただの納涼会ではない面白い時間でした。

飲んだり食べたりしながら、一通り自己紹介などしたあと、
企画者の人が取り出したのは、白い紙にプリントした文字。
それは、参加予定者にあらかじめ、このあとの朗読会で朗読したい、
夏がテーマの文章、小説でも詩でもなんでものテキストを送るようにと言われて、
それでメールで送っておいたものをプリントしたものでした。
河原で石をたくさん拾い、大体の範囲を決めてその中にどんどん、
その紙を置いていくのです。石で押さえながら。
文学ゲリラインスタレーション。
これは、案外面白かったですね。通りすがりの人や近くにいた人たちが
これはなんですか?と声をかけてくれて、事情を言うと面白がって読んでくれたり。
こういうの、とても好き。小さなコミュニケーションが生まれること。

みんなで置いていった紙に書かれてものを、一通り読みながらうろうろしたあとは、
朗読会。順番にそれぞれ持ち寄ったものを朗読します。
詩や俳句や短歌、小説の一節など、いろんなものがあって、大変興味深かった。
わたしは、北村太郎の夏の終わりの詩と、望月通陽の布に関する散文、
それと岸政彦さんの→「断片的なものの社会学」の中から一節を選びました。
ほんとうはみんな、男も女もかぎらず、大阪のおばちゃんたちのように、電車の中でも、路上でも、店先でも、学校でも、気軽に話しかけて、気軽に植木鉢を分け合えばいいのに、と思う。でも、私たちは、なにか目に見えないものにいつも怯えて、不安がって恐怖を感じている。差別や暴力の大きな部分は、そういう不安や恐怖から生まれてくるのだと思う。別に、大阪のおばちゃんが差別しない、と言っているわけではない。まったくそうではなく(や在日に対する差別は大阪でも強い)、ただ私はどこかで、通りすがりの人と植木鉢について話を交わすことが、あるいは植木鉢そのものを交換することが、なにかとても重要なことのように思えるのだ。
(岸政彦『断片的なものの社会学』)

植木鉢を交換する人を見て書かれた文章だけど、
読書会と言うのも、植木鉢を交換する、あるいは植木鉢について話をするのと
同じようなものだよなぁと思ったので。
そしてこの日にした文学ゲリラインスタレーションも、そうですね。
また、朗読というのも、慣れないけど面白いものだなぁと思った。
自分の声は好きじゃないし、どう発声していいのかよくわからないことも多いけど。
いい夜でした。



エアリゾートホテル滞在中?

2016-09-13 | Weblog
つるつるすべすべ。
勝手にエアタラソテラピー週間には、毎日何か美容にいいことをしたい。

いえ、なんかね、夏だしお盆の頃予定のない日が続いたので
どこにも行かないけど行ったつもりで、ホテルに入るつもりで過ごしてみようかと。
エア断食道場とかだとかわいくないし、エアエステリゾートがいいかな、
ということで、ここはリゾートホテル。
温泉とエステ三昧で、食事はヘルシー。
外には出ずにホテルの中だけでゆったり過ごし・・・ているつもりで。気持ちだけ。

一口サイズとかにカットしてあるカットスイカなんか邪道!と思ってたけど、
今はエアリゾートホテル暮らし中だから、仕方ない。
スイカカットして冷蔵庫に入れてからアロマ風呂に入る。
ジャスミンの香りのミルク風呂に入って、キウィヨーグルトパックをして、
バスローブを着てカットフルーツを食べる。
あとは(自分で)アロママッサージして早く寝る。正しいリゾートだわ。

明日のお風呂はタラソテラピッてる入浴剤で入って、お顔のマッサージもしよう。
夕方からずっとバスローブで過ごす。
普段はバスローブを洗うのめんどくさいから着ないで、すぐにTシャツ着ちゃうけど、
リゾートだからねリゾート。
何度もお風呂に入ってだらだらする。

エステリゾートにいるんですからね、
Twitterもだらだらやってちゃいけない。笑
リゾートにいるので12時には寝ます。

でも・・・言えば言うほど情けない気分になってきた・・・。笑

そういえば昔息子が、ジェイク島袋を聞きながら寝て、
起こしても起きなかったら僕はその時ハワイにいるんだから
無理に起こさないでと言ってたなぁ。・・・似た者親子かも・・・笑

映画:イレブンミニッツ

2016-09-12 | 映画


11分間の、いろんな人の出来事をばらばらと描いた映画らしい、くらいの情報で
でも、オムニバス的な映画好きなので、見に行ってみたら
わーお!なにこれ!このラスト数分間の衝撃といったら!
よく考えたら、ありがちなまとめ方ではあるんだけど、でもですねぇ、
ラストに至るまでの、複数の人たちの11分の描き方が
時系列やら場所や事柄も、なんかシャッフルされててスムーズじゃないので
大きな流れではなく、細切れの意識を研ぎ澄ませて観てたんですよ。
そこから突然プチンとスイッチが入って、それからはもう、ザ・怒涛!
としかいいようのないラストの収束の仕方がすごすぎ、それまでの世界と遠すぎて、
予想もしないことがどんどん起こったような、あっと息を呑み続ける数分だった。
いやはや。これはうまい。”怒涛”の終わり頃には、すっかり舌を巻いていました。

そこへ至るまでは特に暴力的な描写はなく、サスペンスフルなものもないのに、
見ている気持ちはサスペンスなんです、
どこか不穏で、むき出しではない緊張感が隠れてる。
冒頭のカメラのぶんぶん揺れる感じ(酔いそうになった)や
忙しいカット割りで何が何だかわからないし、
カメラの視点が変わっても誰の視点かわからないまま次のカットへいくし、
それ以外にも、いくつもの謎があって、なんだか難しい映画のようです。
空に見えていたものはなんなのか?
数回啓示的に出てくる言葉はなんなのか?
登場人物の背景も目的もほとんど説明されないままつぎはぎで見せられる。
そういう謎の置き方や説明のなさも塩梅がいいです。うまい感じにもやもやする。
登場人物それぞれのわずかな接点も、結局オチはなく、
ラストで強引にひと束になるのだけで、このオチのなさも、またいい。
いろいろと説明のない答えのないシーンを細かく積み上げるので、
登場人物への共感も、あまり許さない作り方です。表面的にしか描かれてないし、
何しろ人やことや場所や時間がばらばらすぎるし、
ひとつひとつのつぎはぎも、わかりやすくは撮られていない。でも、
人はわかりやすい答えがない時、意識をより尖らせ、より注意深く見るものです。
それで、なんだかよくわからないそれらを、集中してみてきた細々した全部を、
ラストの大仕掛けで、一気に、その大仕掛けに釣り合う何かにしてしまった。

78歳の監督イエジー・スコリモフスキはポーランド映画の大巨匠だそうですが、
「心から信じられる話になるか、逆に信じられない話になれば心強い。」
と言ってて、まさにそういう映画。

観終わって思ったのは、
どこかで意味なくすれ違ってるだけの11人の人たちの11分が、
最後は一つ点に収束するようなことになるわけですが、
これはむしろ、最後の出来事から逆回しに見ていったものを
編集した、というような感じがするなぁということ。
時系列を逆回しに見て行くと、もっとわかりやすく、
謎には必然があるかもしれないし、それなら説明のなさも理解できる。かも。

面白い映画でした、
最後のエンドロールの、幾つもの風景がモザイク状になり
最後はドットになっていくシーンもうまい。

いいなと思うカップル

2016-09-11 | Weblog
年初に、友達夫婦の記念写真を頼まれて撮ったんだけど、
直後は、あー下手やなぁと凹んでいたものの、
時間をかけてセレクトして、ちびちびと現像したりして、
お渡ししたあと改めて見ると、写真は下手だけど仕上がりは悪くなくて、
いいご夫婦っていいなぁと、うらやましくほほえましく、しみじみ。

今は人を撮ることにあまり興味がないので余計に自信がなかったけど、
モデルが素敵だとなんとかなるもんだなぁ。
美男美女というわけではなく(ごめん)、でもなんか、
いい距離感で思いやりあってる感じがとてもいいご夫婦なのよねぇ。
浮ついたところがないんだなぁ。

いいなぁと思うカップルはみんなそうだな。
それぞれ自由にしてるけど浮ついたところがない。
相手に対して親愛や敬意はもちろんだけど、
一定の謙虚さがあって二人の関係の中で驕ったところがない感じ。

浮ついたところだらけのわたしは、ああいう関係は一生無理なのかなぁ。

写真は全然関係ない人たち。笑

デブのファッション

2016-09-10 | Weblog
>太っているとどんなに若者向けの服を着てオシャレしても
>「おばさんの参観日ファッション」になってしまう恐怖……やはりデブは罪悪だ…
という写真付きツイートを何度か見かけたんだけど、
痩せている人と太っている人が同じ服の着方をすると、
うまくいかないことは確かにあると思います。
同じ服を着てても別物になって、下手すると10歳くらい老ける。

体型にあった服の着方って確かにあると思う。
昨冬に随分太って、もうデブ以外の何物でもないわたしですが、
そうなると以前の服が、もしもまだ着られても、全然違うものになるのよね。
でも太っててもおしゃれで素敵な人はいくらでもいるので、
服をおしゃれに着るのは難しいけど無理ではない、とは思う。はい。

でも日本のほとんどの服やファッションは痩せてる人対象の世界なので、
その辺に引きずられると残念なことになる可能性が高いから、
その世界観に囚われるのをやめて、ゼロから、独自の着方を考えるしかない。
清楚で儚げとか、シュッとシャープとかを目指すとひどい失敗になるので、
元気でかわいいとか、ふんわりやさしげとかの方向性を目指すしかない。
流行のこともいったん忘れたほうがいいですね。

でもまあ、太ってるだけでなく、背が高いとか低い、肩がどう、腰がどうと、
ひとそれぞれの体型によって、目指す方向は変わるものなので、結局は
それぞれに似合っておしゃれな着方、というのを独自に考えるしかないんだけど、
やはりその中でもデブはどうしても服の選択肢は少ないし、
それでおしゃれに見せるのは至難の技で、
やはり決まった普通のファッションに憧れてしまうんですよねぇ。

あとデブがゆとりのある服を着てると、やれウエストマークして細く見せろだの
やれ腕や足は出したほうが細く見えるだの、わかったように言う人がいますが、
それも本当に人によりけりで、
太っているのにパツパツの服で体のラインを出してきれいに見せる、って難しいよ。
うまく隠した方がきれいな場合ほうが多いんじゃないかな。
わたしは太ると、ややゆったりした服をリラックスした感じに着ます。
ミニスカートもあまりはかなくなるかな。
一概に、出した方が細く見えるとかいうのは、太ったことのない人の
戯言だと思う。こういうのを机上の空論というのでしょうね。

太ると着る服の傾向は本当に変わる。
去年から5キロ以上太って戻らず、着る服のないわたしは仕方ないので、
デブなりの、別のかわいさや落ち着きを目指すんだけど、
でも本当はやっぱり儚げになりたいし、
デブでいるのは難しくてでめんどくさいから、痩せたいです・・・笑

月記:2016年8月

2016-09-09 | 月記
暑かった。体温より暑くなるともう何も考えらえなくなりますね。
とんでもなく暑い夏でした。

・茶碗抄。池田の逸翁美術館
・母と叔母とフレンチディナー。母の愚痴を聞く。
・毎年恒例、猪名川花火を親のマンションのベランダから眺める。
・花火をした。何年ぶりだろう。
・友達のマンションの部屋でワイン会。
 とても美味しいシャンパンの見比べたり豪華な会で酔っ払いました。
・宝塚で短編映画のエキストラ、大勢の観客の役。座って舞台見てるだけ。笑
・写真家國米さんの新しいギャラリーでオープニング写真展見に行って飲む。
・京都で読書会と納涼会
・息子が帰省したりしなかったりばたばた
・友達が短歌の賞もらって授賞式にカメラマンで行く
・友達の店の3周年。笑福亭瓶悟さんのPodcastに少し出る。
・趙博さん(ぱぎやん)の新作独り舞台「NUTS」観に行く。
・斎藤徹のコントラバスのソロコンサート。吹田で。
・実家の人たちと焼肉。焼肉食べるのすごく久しぶり。
・絹延橋のうどん研究所で、初めて2階に行く。息子とかき氷食べる。
・自分で髪を切ってみた。後ろも見ずに。ざくざくと。


・映画館で観た映画「ラストタンゴ」「ジャングルブック」「後妻業の女」
・DVDで観た映画「ジュリエットからの手紙」「モネゲーム」「恋人たちの予感」
「フレンチキス」「黒い十人の女」「恋するレシピ〜理想の男の作り方」

トークづいてる

2016-09-08 | Weblog
今年の前半は、人の話を聴く機会が続いた。
「FOUJITA」の小栗康平監督のトーク、
友達の、80年代の映画のオレサマベストテンを語るイベントトーク、
別の友達のギャラリーでの「16の問い」のライブトーク、
同じイベントの、出題参加者トーク、
想田和宏監督と岸政彦さんとのトーク、
奈良でのミランダ・ジュライに関するトーク。
読書会も、多めの人数で人の話を聴いている時間の長いものに
わりと行ってるように思います。

人の話を聴くのは子どもの頃から得意じゃなかった。
すぐに何か思いついて、話に入りたくなるタイプの子どもだった。
大人になって、それはマシになったけど、
じっと聴いているとすぐ眠くなったり退屈したりする方でした。
眠くなるのは、いつでもどこでもなので人の話を聞くことに限らないけど。笑

今は、結構真面目に、興味深く聞くことができるようになってきたと思う。
でも1対1の対談形式とかは苦手。
いくらでも話してくれる人だといいけど
こちらからうまく誘導して興味深い話を聞くという技術が全くないし、
自分でそれがわかるから、焦るし気を使うし疲れる。
聴くのが上手い人って、話させるのも上手いんですよねぇ。
いつかそんな人になれるんだろうか。
今は、仕方ないから、にこにこだけしてる。
いろんな人の話を聴きたいんですけど、むずかしい。
上手な人の横でニコニコしてるのがいいなぁ。

映画:ジュリエットからの手紙

2016-09-07 | 映画


この女優さん、結構好きです。アマンダ・セイフライド。
「レ・ミゼラブル」で見たときは特になんとも思わなかったけど
「クーパーの晩餐会」での彼女は目がとても印象的で目が止まったし、
「ヤングアダルトニューヨーク」では自由に見えるけどどこか寂しげな役を
うまくやってたけど、「ジュリエットからの手紙」のヒロイン役は
光り輝いてチャーミングと思いました。かわいいなぁ。

この映画は上映してる時に、割と評判が良さそうで見ようか迷ったものの、
でも特に惹かれるものもないかと、見逃してたけど、予想以上によかった。
ヒロインも映画もかわいい。
ただヒロインの相手役が、ハンサムなんだけど髪型があってないのか(笑)
あまり魅力的に見えない子で、途中までただの脇役にしか見えなかった。
だってもう一人の男性役がガエル・ガルシア・ベルナルなんだもん。
ここでは仕事中毒で調子のいい男の役をしていますが、憎めなくてかわいいのよ。
役者の格が違うなぁという感じで、どうにも魅力的なんですよ、こっちの方が。
そして、仕事仕事の人でも、これくらい愛嬌があって優しくて明るい人なら、
わたしなら全然平気かなぁ。
西欧の国のカップル一緒主義って、わたしにはちょっと行きすぎに感じる。
なんでいつもいつも一緒に行動しなきゃいけないのか。
ハネムーンで何日もほっとかれるのは、ちょっとひどいかもしれないけど
贅沢させてくれるなら、わたしならひとりで楽しむけどなぁと。
映画の中のヒロインも彼女なりに楽しんでましたから。

イタリアはヴェローナの街。「ロミオとジュリエット」の舞台です。
そこの観光名所ジュリエットの家には、世界中の観光客が
ジュリエットへ宛てた手紙を貼っていく壁があり、その手紙は回収され
ジュリエットの秘書と呼ばれる女性たちによって返事が書かれるのです。
ここまでは事実。なんだかロマンチックですね、
わたしもこういう仕事したいなぁ。
ヒロインが見つけた50年前の古い手紙に返事を書くとその本人がやってきて
50年前に失った恋の相手を探すことになるのですが・・・というお話。

50年前に手紙を書いた女性はバネッサ・「ジュリア」・レッドグレイブ。
落ち着いた老婦人風の役ですが、漂う貫禄と大物感、
でも同時にお茶目なかわいさもあって、ヒロインに負けない素敵さ。

だいたい、イタリアのラブストーリー映画って、イタリアの風景のせいで
何割か増しに評価を上げてしまいます。
ダイアン・レインの「トスカーナの休日」も大好きな映画なんだけど、
思い出すのは物語自体より、イタリアの景色が多い。
特に、外での食事のシーンに特に弱い。
長い机に大勢並んでテーブルの上にはワインの瓶と豊富な果物や食事。
風に吹かれながらの大勢の楽しい食卓。ほんと好き。
ああ、こういうイタリア旅がしたいなぁ。

ラブコメ映画

2016-09-06 | 映画
ネットでよく流れてくる写真の、コスプレとかしてる女の子の、
作られた上目遣いと、つやつやしたアヒル口にはうんざりするけど、
メグ・ライアンの口角の上がった笑顔は本当に可愛い。
8〜90年くらいの彼女の映画大好きだった。
ラブコメ的な映画が好きなのは、気楽に見られるのと、やはり女優さんが好きだから。
メグ・ライアン、ゴールディ・ホーン、マリサ・トメイ、ジュリア・ロバーツ。
みんな可愛くて好きだったな〜。

友達とやってる映画の会では、毎月映画館で新作映画1本と
ネットやレンタルで旧作映画1本が課題になって、各自それぞれで見るのですが
先月の旧作がメグ・ライアンの「恋人たちの予感」だったんです。
何十年ぶりかで見たけど、昔と同じく主演の男性に対しては
今もやはり良さがわからないままでした。
いい人とは思うけど、友達でいいでしょ、この人なら。恋には落ちないなぁ。
それはさておき、メグ・ライアンは、やっぱり可愛かったので
続けて「フレンチキス」も見た。
これもメグの映画で、かなり好きな映画。
もうひとつ好きなのはトム・ハンクスト共演の「ユーガッタメール」だけど、
「フレンチキス」も昔見て、いいなぁと思ったのを覚えてたので。
そしてこれも、今見ても可愛い映画。
メグ・ライアンのハネハネのショートヘアが、もうめちゃくちゃかわいい。
映画も今見ても十分面白いし、好きだわ〜。

気持ちの沈むことがあったので、気晴らしに、さらに続けてラブコメを見ました。
次の映画は未見だけど、わりと好きなマシュー・マコノヒーと、
あまり好きでないサラ・ジェシカ・パーカーのラブコメ映画。
タイトルが覚えられない系で「〜を〜する方法」とか「恋人をどうこう」とか
なんだかとにかくそういうタイトル。別に思い出さないでいいレベル。
そしてほぼ予想通りに、全くしょうもないダメ映画でした。笑
でも、こういう中身もなく話もつまらなく脚本もだめな映画でもラブコメは
見始めて10分くらいで気分が晴れるのです、とりあえず。

気持ちが軽く元気になるというのは、ハリウッドのラブコメ全般に言えることだけど、
お気楽な軽いラブコメでも名作と言えるものはあるし、
逆に気分が軽くなる効果は同じようにあるのに、
映画としてダメで二度と見ないようなものもある。
メグライアンの「フレンチキス」は前者で、マシューマコノヒーのは後者ですね。笑
でも映画を見るというより気分を軽くしたいだけだったので、
その役には立って、これはこれでいいのです。

難しいミニシアター系の映画を好みそうに見られることも多いけど
ラブコメ、好きなんですよ。
でも最近、記憶に残るラブコメってあまりない気がするのは、
メグ・ライアンみたいなお気に入りのラブコメ女優がいないからかなぁ。

iPhoneのバックアップ

2016-09-05 | Weblog
>スマホを買い換えるとき、「LINEの引き継ぎはお客様の方でお願いします」って
>言われると思うんだけど、その時にウソでいいから
>「LINEやってないから大丈夫です」と言ってみよう。
>店員から異星人にでも会ったかのような、
>こちらを信じられないような顔が見られるぞ。

・・・年取ると、逆にLINEやってることでびっくりした顔をされるようになります。

機種変更にソフトバンクのショップに行ったら、わたしのiPhone4を見て、
ソフトバンクのお姉さんが通信容量について説明されるときに、
SNSをよくされる方とか、たくさん使われる方はですね、
あ、SNSというのはツイッターとかフェイスブックとかいうものでして、
と解説し始めて、なんかすごくおばあさんになった気分・・・
わたし、おばあさんだしIT弱者だけど、
それがツイ廃であることと矛盾しない人もいるのです。笑

バックアップ用のフラッシュドライブメモリ?をセットでつけようとするので
ライトユーザーだしバックアップはパソコンでやってる分だけでいいので
いりませんと言ったけど、
パソコンでできる人はいらない方もいるかもしれませんが面倒ですし、と言う。
いや、パソコンで普通にやってますし、と言ってるのに
でも電話帳とかのバックアップはぁ・・・と勧められる。
それも大丈夫と言ってるんだけど・・・。
あとでぐぐったら、これ抱き合わせ販売で
24回払いに組み込まれることが多いやつのようですね。
月1300円×2年。高っ。笑
まあでも、他のよくわかんないオプションはひとつも勧められなかったし、
組み込まれなかったし、こちらが聞いたら歯切れは悪いけど説明してくれたし、
ましなほうか。。。

結局機種変更しないで帰ってきて、そのままです。
もう寿命だと思うんだけど、わたしのiPhone4・・・。

多分、本当に世の中がスマホ中心になってきてるんだなぁと思う。
パソコンがメインでスマホは単に間に合わせのモバイル、というスタイルは、
もう少数派になっちゃったのだろう。
そうなら、バックアップ用のメモリを勝手に最初からつける態度も少しはわかる。

友達にも、パソコンは持ってなくて、何もかもスマホの中にあるのに
スマホのバックアップを全然とってない人がいたのを思い出した。
こわいよなそれって、思うけど。
写真を撮るので、写真はクラウドでスマホとPCの両方に行くようになってるし
パソコンのバックアップもボチボチ取ってるし、
大事なデータは別の場所にも取ってある。
そもそもわたしは、ストレージを持たない女、を目指してるので、
本当に必要なものは少ない。
iPhoneのバックアップはしょっちゅうは取らないけど、
2、3ヶ月分のデータが消えても困らない。スマホ依存度がかなり低い。
パソコンとWiFiないと死ぬけど。笑

息子は中学の時から自分のMacを持ってたけど、
大学に入ったらあまりにまわりがパソコンを使えないのに驚いたそうです。
でもそういう息子自身も、最近はiPadとモバイルのキーボードとスマホがあれば、
確かにパソコンいらないと言ってますが。笑

やっぱりもう、スマホはやめて、iPodとガラケーにして、
WiFiないとこではネットを離れた人になろうかな。と悩む。

陶磁器などの写真

2016-09-04 | Weblog
陶磁器って、なんでカタログやポストカードの写真に、あんなに魅力がないんだろ。
も少し色味とか整えればいいのに、なんで地味な辛気臭い色に写るんだろ?
実物の方がずっといいのは、絵画も一緒だけど、
絵画は仕方ない、色を頑張っても、マチエールを再現するのが難しい。
焼き物もそうだけど、絵画の写真に比べてほとんどが
古くて地味な博物館の雰囲気を纏う。
そういう写真は、わたしでももうちょっときれいに撮れる気がする。。

何年か前に行ったルーシーリーの展示のポスターとかは、
とてもきれいな色とデザインになってた。
古い焼き物も、あれくらいのテイストで写真にできないものか?

売られてる北欧もの食器なんかは、みんなおしゃれに撮られてるよね。
生活の中の北欧食器の軽やかさとは違うとしても、
日本の古い焼き物も、あんな風に、明るく撮ってみてもいいのに。
暗い上に重く陰気で地味で真面目で辛気臭いんだもんな、写真が。


この写真はネットで拾ってきたもので、
この前→池田の逸翁美術館で見て、惚れたお茶碗。けっこうきれい。


これはその時のチラシとチケット。背景の青がすがすがしくおしゃれな感じ。
でも左奥のポストカードの写真は地味ですね。なんでこんなに地味に撮るのだ?
焼き物の写真はこういうのが多いんです。
古いものを、きれいにおしゃれに撮ったらいけないと思ってるのかな?

トップの写真は、10年ほど前に京都の美大で日本画やってた時
写真のクラスで撮ったもの。
Photoshopなしで、黒バックで撮るの難しかった。





7月のつぶやき:後半

2016-09-03 | つぶやき
今朝は白いポーチュラカが4つ咲いてた。白いの好き。お花は黄色いのも好き。
白と黄色はどんな葉っぱの色とも合うけど、
ピンクや赤い花は、花がどんなにきれいでも、
葉っぱの色や形や質感に全体の感じは左右されるから難しい。


行き過ぎた個人主義、について考えてる。保守の友達がよく言う。
行き過ぎた個人主義はよくないって。それって、うちの父もよく言ってたような。
自分勝手わがまま個人主義をひとまとめにして、いつも責められた。
行き過ぎた個人主義って、なんやろ。


奥さんの体調に問題があって、病院に行ってきた人が
「お互いがお互いのアイデンティティのかなりの部分にさえなっている関係」
ということを再認識しています。」と書かれてて、
そういう関係がずっと怖いし嫌だったんだけど、
今はいいかもしれないと思うことを再認識した。

それぞれが最大限に自由にいながらも、「お互いがお互いのアイデンティティの
かなりの部分にさえなっている関係」になれるならそれは素晴らしいなぁと憧れる。
誰のアイデンティティにも関わりたくないし、
自分のにも踏み込まないでほしいとずっと思ってたけど。



なんか更年期と思うんだけどしんどいのよと言うと、
更年期というか普通に老化ではと言われる。それはそうやけど〜〜〜


明日死ぬくらいの勢いで、一食入魂してると、
結局毎回一番好きで間違いのない同じものを食べることになって、
いつまでたっても、あれ一回食べてみたいなぁと思う別のものを食べられないという
保守的というか変なことになってしまう。くいしんぼうなのに。

夫婦で毎晩晩酌を欠かさない飲んべえを自称する方が、とても素敵な方なんだけど、
その晩酌が二人でビール1缶とか日本酒1合を半分ことか聞いて、
いやそれはまだお酒の量になってない、まだ調味料レベルだから、と突っ込む。
また、食べるの忘れて栄養失調気味の人にも、それ違うからと突っ込む。
食いしん坊は食べるの忘れたりしませんっ!と。
できれば日に何回でも食べたいくらいだから、うっかり忘れることなんてないぞ!
これが食いしん坊なのでは?(・・・だから痩せない。笑)


下の家から聞こえるピアノ。
何年も、少しずつは上達しているけど、
バッハをそんな、やっつけ気味に弾いちゃいけない・・・。


先とか見とかの漢字を書くのが苦手です。九も。
臼や淵も、書くの苦手な漢字。
漢字を書くといえば、自分の名前も、実は苦手で
何十年も書く練習をしているけどいまだに好きな字にならない。バランスが。


自己肯定感が低すぎてノーが言えずつい人に尽くしてしまう人、というのは
自分にも思い当たるので、ちょっと人ごとではない気はするし、
いまだにそういうところは治らないけど、
何十年も失敗するうちに、まずなにか頼まれる状況になる前に、
気配だけで速やかに逃げることはできるようになったかな。予防。
でも、もっと弱い人だと、自分からそっちへ行っちゃったりするんだよね。
共依存の方へ。

ほどほどに依存できるのはいいことだと思うし、
ちょっと我慢したり流したりしながらほどほどに依存しあうというのは
案外誰でもやってることだけど、
真面目な人や傷つきやすい人や人に期待しすぎる人は、
いきすぎて愛憎どろどろになったりするよねぇ。


お酢の匂いが好き、と打つと、最初にオスが出て、やだ。笑
いや、お寿司が食べたいんですけどね。


人生の最初の40年で心の手足をすっかりもがれてしまって、
戦えない弱い自分がいけないんだけど、
その弱さのせいで、いつまでもダメな縁を切りきってしまえない。
本当に情けないなぁ。
まあ、わたしは家族にとらわれて、好き勝手されて
いまだに甲斐性のないままのダメな人生で、もう仕方ないけど、
世の中の、家族に人生を損なわれている人たちはみんな、
もっと自由になれますように。


守られてきた人は呑気に無邪気に驚けていいなぁと、
意地悪なことを思う・・・。


怒る権利のある状況でその怒りが正しかったとしても、
荒れ狂ってる人は難しいので近寄るのはこわい。


もしも外国で犯罪にあったら、テロにあったら、誘拐されたら、
個人の力でどうしようもないことに巻き込まれたら、と考えると、
一番言葉がわかってよく知っている国のパスポートを持ってるの安心だと思った。
今更帰化しても、そういうときに日本が助けてくれるとは思わないけど。
オーバーな妄想に聞こえるかもしれないけど、外国に8年ほど住んでる時に
大小いくつかの犯罪が身近にあって、
自分が被害者になったものやなりかけたものもあり、
日本人の知人が拘留逮捕されたこともあり(冤罪というか陥れられたんだけど)。
それ以来、帰化のことはぼんやりと考えている。
わたしはいいけど、頻繁に世界を行き来するかもしれない息子は、
どうするだろうか。
国なんかに守っていらん、と日本国内にいるときは思えるけど、
外国行くと心細いものです。


「どこ行ってますのん?言われたから『ポテトしばいてるねん』言うてな、」
という会話が聞こえる。
関西弁のポテトは「おでき」や「おもちゃ」のイントネーションね。
ふわふわの髪でロマンチックな服を着た年配女性の会話。
お茶だけじゃなくポテトもしばくんだなぁ。なるほどなぁ。と目からウロコ。


自由にしてるけど、今「自由にさせてもらってる」って書きかけたそこが問題。
させてもらってるとか書いちゃうのは、全然自由じゃない。
だからこの閉塞感。


わたしより少し年上の友達が長い夏休みをとってひと月の英語留学に海外へ。
勉強しない学生の、目的が曖昧な語学留学をわたしはつい軽てしまうけど、
大人の、人生の大きな気分転換、というのはいいなと思います。
帰ったら報告会という名の飲み会をしてもらうぞ。


韓国人(あるいは在日)は嫌いだけどあなたは別、
というようなことを言われるととても困る。
しかもわたしを褒めるような文脈で言われると本当に困惑する。
その人の嫌いな韓国人も在日も、その「あなた」の集まりなんだけど。
好きな「あなた」もいれば嫌いな「あなた」もいる。それだけのことなんだけど。


うどんとか、白米って胃に優しいイメージがあるけど実は違う、って
何かで見た気がするけど、胃に優しい物ではなく、
優しいイメージの物が食べたいときってあって、今。
お昼はおうどん食べよう。


エアコンのない締め切った部屋で写真を撮ってたら
ヘロヘロのベトベトのドロドロになってしまった。
涼しい部屋に戻ってアイスコーヒーなう。
自分は汗をかくのが嫌いなのではなく
汗をかいた姿を人に見られるのが嫌いなのかもなぁと思う。
お風呂で汗かくのは好きだもの。


マルチチョッパーをマッチョチョッパーと空目。なんか強力そうだな。


なんだかとても、うさぎかねこが撫でたい。無理なら桃でいい。桃。


初めて、ステップ全部覚えて間違わずに踊れた。
久しぶりに男性たちと組んで踊ったけど、一人で踊る方がラクだな。笑
先生くらいリードがうまい人となら、組んで踊る方がラク。


血液型による相性が本当にあると思ってる人には驚くけど、
そういう人が多数派だったら、結果的に
血液型による相性は作られていくよねぇと気づいた。
自分はA型と相性がいいと信じてたらA型の人ばかり探して見つけるだろうし、
それの積み重ねで結局血液型による相性がますます信じられていくとか。


駅の本屋で時間つぶしに雑誌を見ようとした目の先に、
立ち飲み特集とバー特集があって、
一瞬悩んだ末、バー特集に手をのばしました。
最近全然、オーセンティックなバー行ってない反省。


やさしくて、おもいやりあってる人たちのことを、
もっとしばしば思い出したほうがいいと思った。
そうすると、わたしも少しやさしくなれる。


3時に寝たのに6時に電話で起こされて実家へ。
母の足が腫れて動けなくなったので、ゴミ出し。
同居弟家族は旅行中ということで。
ついでに洗濯も干して帰ってきた。
ひとりだと、大概の家事はやらずに済ませたり先延ばししたりできるけど、
家族がいると難しい。
実家は2世帯同居でゴミも洗濯物も多くて、たまると大変。
家族がいると家事って結構大変だったなぁと思い出す。
ひとりは本当に楽チンだなぁ。


子どもが遊ぶとき、国籍には何の意味もなくて、
「何語人」かは、少し大事。
言葉わかんなくても遊べるけどわかる方が便利だからね。
両方わかる子がひとりいれば問題なく遊べるけど、
とにかく遊ぶのに国籍はほとんど何の関係もなかった。

息子は日本生まれの在日韓国人の親を持ちマレーシアで育ったけど、
そういう色々なバックグラウンドを持つ子がたくさんいて、それはおもしろかった。
ステファンはねぇ、英語人だけどお父さんはドイツ生まれで
お母さんはインドネシア生まれで今はマレーシアだけど
その前は別の国にいたんだよ、みたいな。
友達が、どこで生まれ育ち何語をしゃべりどんな宗教を信じているかは、
それぞれ興味深いけど、やっぱり国籍は何の関係もない。


手話通訳のこと
なんでも同じことよね。外国文学でも映画の字幕でもなんでも、
どうやっても元のものの100%そのまま伝えることはできないけど、
翻訳がなかったらゼロだもんね。
たまに翻訳の方が面白い部分があったり、伝わってない部分があったりするけど
でもみんな普通にそれ受け入れて楽しんでるよね。


ポケモンGoやってても、発見に満ちている世の中に気付く人は気づくし
気づかない人は気づかないし、他人に気の毒がられる筋合いはないよ。
(わたしiPhone4なのでポケモンGoできないけど。)


本屋で平積みになってた断捨離系の本をパラパラ見てて、なるほど!と思ったのは、
シーツや布団カバーに洗い替えはいらないという意見。
なぜなら、そういうものはその日のうちに乾く時にしか洗わないから、と。
シーツ洗う予定の日に雨だったら、次晴れるまでとりあえず我慢するもんな。

断捨離やこんまり系の本は、つまらないものも大変多いけど、
たまに、なるほどなぁと思うことはある。
なんとなく送ってる日常生活の習慣の中に、
まだまだ無自覚にやってることって多いんだなぁと気づくことが。



皮肉や嫌味の応酬は、話し合いの放棄だよな。
議論したいんじゃなく殴りたいだけの人がすること。
暴力じゃなく言葉や理屈で。自分がすっとしたいだけ。


武者小路実篤。むしゃのこうじさねあつ。
一番口に出して言いたい名前と、友達が言ってた名前。むしゃむしゃ。

7月のつぶやき:前半

2016-09-02 | つぶやき
なんとなーく、誰にも言いたくないしんどさを、ぶちぶち書くのがTwitter。
別に言ってもいいんだけど、なんとなく言いたくないというか、
めんどくさいタイプのしんどさあるよね。濃縮しためんどくささみたいな。
親しい人にこそ、言いたくないようなことってある。


釜山の中心街、中国からの観光客がすっごく多くて、大阪より多いんじゃないか?
免税店通ると、大体お店の人に中国語で話しかけられます。中国の勢いを感じる。

韓国の若い女子が、日本の若い女子と似てるお化粧と前髪具合で、
こりゃ見分けつかんなと思うけど、
韓国のカップルは普通にみんな手をつないでたりいちゃいちゃしてるところが、
ちょっと日本と違う気がする。


数日、異常にのろいiPhone4とホテル内のWiFiだけを頼りに生きてみて、
ネットから離れていると、嫌な思いをすることも少なくなるし時間もできる。
知ってたけど。
旅行中新聞を全く目にしてなくて、ネットにもほとんど繋がってなくて、
テレビはもともと見ないので、さっきたまった新聞読んでてダッカのことを知る。
これくらい何の情報もない世界にいると、ある意味とてもらくで、
普段の生活に戻るのが嫌な気分。


音楽をあまり聴かなくなりましたが、たまにライブとか行くと生はいいなぁと思う。
でも最近は椅子が小さくて硬いとか、空調がダメで暑いとかにあっさり負けてしまって、
行くのがしんどい。年取るということの一つだなぁ。
ゆったりとした涼しい場所で、座り心地の良い椅子にもたれて、
生でない音楽聴くほうがよくなってきたので、これは良くない老化だなぁとは思う。
何より環境が大事なお年頃になってしまった。
面白ければ艱難辛苦もなんのそので向かっていけた時代が遠い・・・


最近また叶姉妹について見かけるようになって、久しぶりによく見たけど、
あれだけ重力に逆らい続けるのは至難の技だろうし、
それに比べたら、わたしが冬に太った5キロ痩せるくらい
なんでもないことのように思えてきた。叶姉妹よありがとう。


与党批判は行き過ぎだと信じている保守の人にも届くように、
Facebookではものすごく言葉を考えて投稿してる。
国民なんていう単語も使う。どこでも国なんて滅びてもいいと思ってるけど
国を守りたい系の人にも少しは聞いてもらえるような
書き方をするように気をつける。軟弱といえば軟弱でしょうけど、
結局、多数派が聞いてくれないとどうにもならない。
一定の理解、まででもいいから、話ができると思ってもらわないとどうにも。
何十年もほぼ自民党の国で、これからもずっとそうかもしれないんだから(悲観的)
多数派と断絶するわけにはいかない。


アートにおいて「癒される」って退屈やもんな、って以前書いたけど、
「癒し」という言葉が嫌いなのはそのせいもあるかも。
自分でもできるだけ使いたくなくて、いつも別の表現を探す。
学びとか気づきとか、同士を名詞化した言葉は大体あんまり好きじゃない。


体調はずーっとよくないんだけど、よくないのが普通になってるので、
なんか普通にしてる。
よくないと言っても、風邪ひいてずーっと寝てるという感じではなく、
急に胃が重くなっていつの間にか治ってての繰り返しだし、
なんともない時には人と飲んだり食べたりするので、元気に見える。
色が白くてフワフワした体型で、熱中症で倒れた時でさえ、血色がよくて、
つい気を使って笑顔を作るので、やっぱり元気に見える。。。


友達が三宅洋平氏への疑問を書いたら、
反自民なら、反自民の邪魔をするなと書かれてて。なんだかなぁ。
反自民だからといって同じ色に染まることを絶対とし、それ以外を認めず、
まともな批判を邪魔だとかいうような人のそういうファッショな心根って
お国のために個人は黙れというのと同じですね。
マイノリティのことを大事にしたいのではなく、
自分がマジョリティになりたいだけの人なんだろうなぁ。


猫やうさぎは、大好きだけど、生のそれが好きなのであって
キャラクターとかに興味はないのでグッズとか全然欲しくないし好みでない。
やたらにプリティーなのも嫌。
でもパンダは、生のパンダもかわいいけど、
キャラクター的なものも結構みんなかわいくて好きなのはどうしたことか。


旅行先で買った、二千円くらいの赤いピアスが気に入りすぎて、赤い服ほしい。


結局息子は就活に、マッシュルームヘアでボーダーTシャツ着てる写真
(旅先でそれしかなかったらしい)を出して、
2社のうち1社はそれで問題なく次の段階に入ってる模様なのですが、
それで大丈夫なものなのか今って。

就活いやだー、トルコ戻りたい〜とか言ってるわりに、なんか楽しそうに見える息子。
そういえば昔からそうだった。いじめのあった小学校時代でも、
先生にはいつも、楽しそうにしてますと言われてた。楽しそうに見える親子らしい。


お豆のサラダを作って食べているけど、
カロリーなんて都市伝説〜と唱えながらマヨネーズをたっぷり使ったので美味しい。
そして、コーンって甘い食べ物だなぁあとしみじみ思う。
味が大体の野菜に買っちゃう甘さ。


先週はある友達の写真の展示も見に行ったけど、いつもながら数が多い。
同じものを、まとめてクリップでとめてあるのを別の場所で見たんだけど、
その時の方がよく見えた。好きな写真なんだけど、
わたしのように心の体力の足りないものには、大量の展示はきつい。

思い入れが強すぎるものを少しだけ、みたいな展示も、
あーしょぼー、っと思ってしまうけど。
王様は裸だっていう勇気ないから黙って見て黙って帰ることがある。
なにしろ、アートに関して、他人の思い込みに付き合う気というか、
そういう優しさが全然ないから。わたし。フリはするけど。


象牙の乱獲による象の絶滅について語っている友だちの投稿のコメント欄に、
欧米人はひどい。日本人は優しく穏やかで凶暴でないけど、
アジアでは中国人が欧米人のようにひどい、とか書いてあるものがあって、
レイシストというのは、何かを差別するあらゆる機会を逃さないのだなと、呆れる。


ワインバーで、女子数人組が、飲みやすいのありますかぁ〜と聞いてる。
何が飲みやすくて何が飲みにくいのか、わたしにはよくんかんない。
味が違うのも好きか嫌いかも安そう高そうも少しわかる。
でも若くて軽くてフルーティでも好みでなければ飲みにくいぞ。
高くて重くて渋くても、好みならするする入る。
値段が怖いので、するする飲まないようにするけどさ。


とりあえず冷蔵庫にある桃がわたしの今の幸せの源泉!と
2年前に書いてたけど今も、桃ある。笑


いつも自分探しっぽい若者男子に「自分ってなんだろうとか、
そういう考えるのはろくでもないことですからね。
具体的なことしか考えないのが一番いいと思う。」と書いてたのも2年前だ。
その子は今もまだ、自分探しっぽいけどな。ろくでもないよそれー。
やめたらー。やめたほうがいいよー。


そして今年の夏もしんどいしんどいと思ってたけど去年の今はもっと体力落ちまくりで、
胃炎、逆食、膀胱炎、喘息の喘鳴、口内炎、ものもらいをやってたみたいで、
今年の方がまだましだった。


うう。万年筆を買ったので手紙が書きたい。。。

買った万年筆は、昭和のおもちゃ感のある安物ですが(ドイツのだけど)、
ちゃんとした万年筆は30年前から探している。
でも30年も間に合わせできてしまって、もういっそ、ずっとこのままでいいような気も。
あと30年生きるかどうかわからへんしなぁ。


日本一?おにぎりのおいしい店も知ってるけど、
大好きな友だちのおにぎりが、いちばんおいしい。
さえこちゃんのおにぎり、ほんまにおいしかったなー。
さえこちゃんのオニギリを食べる会をしたい・・・。


今更だけど、インターネットというのは本当に便利なもので、
どこにも行かずにお金もたいした手続きもなしになんでもすぐ教えてくれるなぁ。
バラの花の水揚げの方法から、外国人の選挙運動について、
万年筆の専門店、読んだ本の作者のプロフィール、と
脈絡のないいくつかのことをこの1時間でぐぐった。
昔なら図書館や本屋さんに行って、あっちの棚こっちの棚、と
たくさんうろうろして探して、分厚い本の中から必死で該当箇所を探し、
お金を払ってコピーするか書き写すかしてたけど、
今は座ったままパソコンでぐぐって、さくっとコピペ。
素晴らしい。ほんとに、いまさらだけど。


総論を絶倫と空目してしまった


眠れなくても眠剤的なものを飲んだことがないんだけど、
風邪ひいて風邪薬飲むとすごい眠れるので自分で驚く。
何時間も続けて眠れて、なんか若い頃みたいで、らく。笑


JRの案内電光掲示板?なんていうのあれ?なんか、あれが変。
飲みすぎると千鳥足になるおそれがあるので気をつけてくださいとか、
車内に忘れ物ございませんよう、思い出をお忘れになりませんようとか、
なんかおかしくなってるぞ。こんなの初めて見た。


右腕が最近だるい。老化かしらん。老化の入り口は、いろいろと目新しいことがあって、
不便が増えるとはいえ結構おもしろいんだけど、
そのうち目新しさや面白さよりも不便の方が大きくなるのだろうなぁ。

映画:ジャングル・ブック

2016-09-01 | 映画


狼に育てられた少年って、設定がかなり無理があるので
昔からよく読まれてる有名な話だけど、自分が子どもの頃は好きではなかった。
でも映画はとても映画らしい映画を見た感じで面白かったです。
ドキドキハラハラして、わっ!と驚いて、キュンとなって、じわっと来て、
映画の王道ですね。
赤ん坊の頃父を悪者のトラに殺され、狼に拾われて育てられた少年。
のびのびと成長していったけど、ある時そのトラに見つかり狙われることに。
それで人間の村に帰ることに決まったんだけど、
その道中で色々な動物と出会ったり、危険にあったり・・・というお話。

動物たちがとてもいいです。
狼の子どもたちはすごくかわいいし、黒豹は頼もしく優美でかっこいい。
象は神話的な威厳があり、怠け者のクマはとても温かい。
ジャングルの動物たちの、姿も動きも堪能しました。

動物の擬人化には、いつも引っかかるところがあるんだけど
これくれいジャングルの様子をきれいに面白く映像化できてたら
ま、いっかと思う。
動物界と人間界を対比させる話って
「動物は純粋で素晴らしい!」か「人間の知恵と勇気と愛は最強!」かの
どっちかが前面に押し出されることがあって、どっちもうんざりなんだけど、
これはそういうとこも、そんなに感じなかったので、気持ちよく見ました。

実はわたし、アウトドア度マイナス1000くらいの人間なのでこの映画を見て、
主人公の子が沼地を歩いたり泥んこになったりするシーンを見てるだけで、
シャワーさせたいよー、汚れるのやだよー、と落ち着かなくなるほど、
軟弱な都会者なのですが、(笑)
それが動物なら、どんなにどろどろになっても落ち着いて見ていられる。
なんでかな、動物の擬人化が好きでないように、動物に全く同化しないからかな。
とにかく、わたしはそんな風なので、息子は
自然の中でのびのび自由に泥んこまみれ、みたいな育て方はしませんでした。
たまたま目の前に機会があればさせたかもしれないけど、
わざわざ機会を作りはしなかった。
だっていやなんだもん。笑
自分本位な子育てだったと思う。別に反省してないけど。
そもそも、すごく苦手なことや嫌なことを、
子供のために無理してやってあげる親になるつもりはなかったですからね。
まあ、やりたかったら勝手にやりなさい、でも私の生活には持ち込まないでね、
というスタンス。
そのせいで、息子も虫が苦手なままで、家に何か虫が出た時に役に立たないのは
子育ての失敗というかなんというか、残念ですが。